大学時代私が所属していたサークルには、当時急速に信者数を増やし政治政党を立ち上げた新興宗教の学生たちがいました。彼らは宗教組織上部から細胞としてサークルに送り込まれたのでしょう、熱心に信者の獲得(折伏)に勤しんでいました。問答集のような分厚い冊子をいつも鞄に入れていましたね。彼らが学生たちに近づく際には”深い同情とか共感”を寄せるようにして学生のあらゆる悩みの相談に乗るような態度で近づき個別に呼び出し折伏を繰り返します。サタン悪魔は静かにそっと近づき粘着テープの如く離れません。言ってみれば典型的なストーカー行動です。私の印象では彼らは悉く”万能感/全能感”に浸っていて、”獲物”の相手とのやりとりの中では絶望的に引き下がらずヒタと相手に接着し相手を圧倒させようとします。そして入信後の因果応報や現世利益の至福を説いていました。このような行動は私には”狂信”にしか見えませんでした。ビルダテとヨブとのやり取りでこの学生たちの事を思い起こします‥権威主義的で精神的な暴力という圧力をかける折伏行動を。昨今のいわゆるカルト教団の狂信もこれと同質です。
さて続く〈第9章〉(1-24)はこの若い神学者ビルダテの言葉にヨブは怒り苛立ち、おそらく彼の言葉を遮るようにして発した言葉のように聞こえます。
【 ビルダテ君、あなたが言ったことなぞは私でも知っていますよ。しかし神の前で正しく居られる人間というものは果たしているのだろうか。神と争おうとしても答えることはできず神は賢すぎて力は強すぎます。神の前で頑なに立ったところで栄える人間などいませんよ。神は山を動かすが山はその事を知らないものです。神が地を震い動かされるだけで建物の柱は揺らぎ倒されます。神が太陽に命じれば太陽は出ることができず、星も同様に閉じ込めることができるのです。神はただ一人天を支配し海を支配しています。神は星座の数々を構成されましたが神の偉大さと宇宙の神秘性は測り知れないものです。ビルダテ君、見てみなさい、神が私の傍らを通られても私は神を見ることができません。神が私たちを奪い去られますがそれを誰が阻むことがでますか。神に向かって「何ということをするのですか ! 」と叱ることができますか。
神は怒りを止めることはないのです。神は超自然的な力をも制御されます。私はどのようにして神に答えどのような言葉をもって神と議論することができるでしょう。仮に私は正しいと考えていても神にその事は言えません。私を責める神に私は憐みを請わなければならないのです。いいですか、仮に私が神に声をかけて神が私に返答されたとしても、私は神が聞き入れてくれたとは信じられません。神は私を大風で打ち砕き私にゆえなく多くの傷を負わせ、私に息もつがせず苦い食物しか私にはくれません。力の争いでは神には勝てません。神は全ての律法や正義の最終的な裁定者ですから、私が神に対して裁判を挑むことは不可能です。
たとえ私が正しいと思っていても神の前では私は罪人だと口では言うしかないじゃないですか。たとえ私には罪がないと思っていても、神は私を曲がった者だと判定します。私には罪はない。しかし私は自分自身がわからなくなりました。私はひたすら自分の命を厭うだけなのです。神は罪のない者も悪しき者も一緒くたにして滅ぼされますよ。災禍によっていきなり人が殺されても神は罪のない者の苦難悲嘆を嘲笑されます。いいですかビルダテ君、世の中は悪人の手に渡っているのですよ。神は世の中で正邪を判定しようとする人間たちを平然と無視します。以上のような事は神でなければ誰も行う者がいるとは考えられないのです。】(9:1-24)
〈第9章〉前半では、神学者ビルダテの話を遮って反論するつもりが、ヨブの怒りはいつのまにか神に対する怒り・抗議へと移って行っています。この部分を読んでいる私は「神に対してそこまで口にして大丈夫なのか ?」と心配になってきますね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます