循環型社会って何!

国の廃棄物政策やごみ処理新技術の危うさを考えるブログ-津川敬

争点隠しの総選挙

2012年12月08日 | その他
◆ダモクレスの剣 
 “花の建設・涙の保全”―――。9人の死者を出した中央高速の笹子トンネル事故についてある大学教授が紹介した絶妙なキャッチコピーである。
 ゼネコンを喜ばす公共事業のビッグスリーが、道路、橋梁、ダム。それらの建設には膨大な予算がつくものの、つくった後の維持管理費は雀の涙、すなわち涙の保全である。
 ほぼ四半世紀前、東京オリンピックを成功させるため、急ピッチで整備されたインフラが、いま一斉に老朽化し、設備や部品が劣化している。東京オリンピック前後の高度経済成長期に使われたコンクリートの耐久性はかなり低く、一般的に「耐用50年前後」と見られていたから今回の事故は十分予見できたはずである。
 現在、全国のトンネル(8,534個所 2,926キロ)のうち建設から50年以上経過したものが約18%あり、20年後は約46%に増える。橋梁も20年後には建設後50年以上が約53%に達するといわれ、早急な対応が求められている。首都高だけでも危ない個所が約10万件あり、全国規模で補修を行うには約4兆円が見込まれるという(国交省調べ)。
 しかし“花の建設”はゼネコンの領域。保全”はそれこそ雀の涙で中小企業に発注される。そのほとんどはNEXCO(旧道路公団)の子会社だ。
 予算が少なければ手抜きするしかない。笹子トンネルの場合、打音検査もやらず目視だけで安全報告をしたという。老朽化が進むことを前提としたチェックシステムなど最初から設けていなかった。予想通り首都高で部品の脱落が見つかった。我々の日常はまさにダモクレスの剣(危険の上にあるささやかな幸福)といえよう。
 笹子トンネル事故をうまく選挙運動に利用した男がいる。安倍晋三自民党総裁である。「こうした事故を防止するためにも公共事業の強化は必要」と。

◆マスコミも加担する争点隠し
 選挙に利用といえば野田佳彦も「北朝鮮がミサイル発射」の事態を受け、自衛隊に破壊措置命令を出すよう指示。沖縄にPAC3(地対空誘導弾パトリオット)を配備させた。そして街頭では「危機管理に万全を期し、責任を持って国民を守る」と手振り身振りで絶叫している。だがいっていることが無茶苦茶だ。まず、ミサイルではない。弾頭がなければロケットだ。それをミサイルと呼ぶのはその方が「軍事的」で非常事態のイメージが大きいからだ。その“ミサイル”をPAC3で撃ち落とすというが、麻生首相時代にも検討されたように「飛んでるロケットに当たる可能性は限りなくゼロに等しい。首都機能を防護するというが、まともに北朝鮮のいい分を信じているのか。
 守ると本気で考えているなら、何よりも守るべきは若狭湾だろう。大飯原発3、4号機に命中したら(その付近でも同様だが)、もはや日本全体が「誰も住めない国」になってしまうのだ。
 1961年9月25日、原発がもたらす危機についてついて故ケネディ大統領が次のような国連演説を行っている。
「地球のすべての住人は、いずれこの星が居住に適さなくなってしまう可能性に思いをはせるべきであろう。老若男女あらゆる人が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている。世にもか細い糸でつるされたその剣は、事故か誤算か狂気により、いつ切れても不思議はないのだ」。
 野田はあくまで原発に触れたくない。不意打ちの解散総選挙をするに当たり、やろうとしたのが争点隠しである。最も肝心な争点は原発をどうするかだ。ところが最後まで「原発ゼロ」を口にしたくなかった野田は閣議決定をやらず、消費増税を正当化するため「政治家も身を切る議員定数削減」を打ち出した。それに加え、アメリカを喜ばすためのPTT参加を表明したのである。PTTについてはもう少し深い検討が必要だが、たとえば遺伝子組み換え食品がこれにより大手を振って日本に流れ込むことも予想される。
 一方、「強くて美しい日本」を打ち出したい自民の安倍晋三は「原発ゼロなど無責任」と公言、「社会保障はいまのままでいい」と消費増税分を国土強靭化法案によって200兆円の公共事業に投ずるという。
 この結果、争点は最も民意から外れた「原発推進」「消費税増額」「TPP参加」に収斂され、その上で民自連立政権の誕生となる。2009年の政権交代選挙で野党に転落し「地獄をみた」公明は、早々と自民、維新と手を組んだ。選挙は今日から中盤戦に入る。
 こうした構図を既定路線のようにして「世論調査」をデッチ上げるのがテレビを含めたマスコミである。

◆いまふたたびの「12月8日」
  野田という男は前にもブログに書いたが、天才的悪党である(小悪党だが)。まずシレッと嘘をつく。それがあまりに頻繁なので、どこでどんな嘘をついたのか本人にも分からなくなっており、その隙間を巧妙なレトリックで補強してゆく。一連の松下政経塾出身者がそろってやってきた手法だ。枝野をみればよくわかるだろう。
 その野田が12月4日、公示と同時に福島(いわき)で第一声を放った。「福島の再生なくして日本の再生なし、という思いを新たに確認しながら日本の再スタートを切ってゆきたいと思います」。だが1年前、原発事故収束宣言をやったのはこの男である。その時点で原発は終わったとして以後、福島になど見向きもしなかった。
 政治評論家の有馬晴海氏もいう。「人気づくりや話題づくりを優先するからすべてがチグハグになるのです」。
 その結果、いまだに避難者16万人、仮設住宅5万戸という現実がある。戻れないなら戻れないでそれをフォローする政策を打ち出したら先へ進める人もいただろう。それもやらずによく抜け抜けと福島で演説が出来たものだ。それでも野田は小さなことでも大げさな事件にして、ここぞというところで大声を上げる。身振り手振りも交えて。まさにヒトラーである。残念ながら人のいい我々はそこで思考停止する。
 一流のデマゴギーは民衆を夢見ごこちにさせる。野田が一流かどうかは不明だが、太平洋戦争中も民意を危険な方向へと駆り立てた「雄弁家」のひとりであることは間違いない。
 折しも今日、12月8日は日本という国がいますこしで消滅しかねなかった太平洋戦争勃発の日である。

注)
 ダモクレスという表記についてダモレスクと表記する向きが多い。しかし古代ギリシャにまつわる逸話ではダモクレスであり、ケネディの演説についてのWikipediaによる紹介でもsword of Damoclesとなっている。


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