役所 信太のひとりごと。。。(カウントダウン365×4→0)

旅先で感じたことや報道など私的に思うこと

第54日ざんげ

2009年07月09日 03時18分25秒 | Weblog
ざんげ。

ふたまた。

懺悔してます。

人生において
女性に対して
二股を掛けたことが一度あります。
今では非常に後悔しています。
常識ない行動であったと恥じております。

しかし、
そのときは
「選べなかった」
それが本音だったのです。

言い訳ですね・・・。

ここに書きたくなったので
書き記しておきます。

ウェブログって面白いですね。

知り合いや当事者が見てないの
わかっているから
妙に正直になってしまう自分がいます。

何でも書けてしまいます。
誰にも話したこと無いのに・・・。

まぁ、その前に
こんなこと誰にも話せませんが。

昔の話ですが、
就職したての駆け出しの時期の前後でした。
やることなすこと
すべてうまくいった時期でした。

20歳代前半、
時期は、ずれますが、
2人まったく違うタイプの女性と知り合いました。

いつしか付き合うようになり
自然と関係ができてしまいました。
本当にまったく違うタイプの女性で
同時に同じくらい愛してしまいました。

8か月くらい続いたような気がします。

一人は遠距離になり別れが到来しました。

もう一人は、数年のちに
僕がプチ失踪したため
結婚どころか信頼を失い、
失意のどん底に落としてしまいました。
申し訳ありませんでした。

しかしながら、
「別れる」のと「くっつく」のを
2回も繰り返してしまい
ダラダラとした関係が8年以上続きました。
本当に愛してました。
世界で誰よりも・・・。

彼女の幸せのためなら命を掛けても良いと
本気で思う心がある反面、
自分自身という人間が
どうしても好きになれずにいて
人と交わるのが嫌なところがある人間でもありました。
結婚する自信が無い自分も
心に同居していました。

思えば小学生のころから
ずっと、一人が好きだった。
先生が「友達を作りなさい」
と言うから
無理して
友達を作ったけれど
毎日毎日話するのが苦痛だった。
「友達は大事なのよ」と先生が言うから
信じて思い込んでしまったみたいです。

家でも親や兄弟がいたけれど
家族は仲良くしなければならないと
思い込み、
意味無く大嫌いでしたが
両親や兄弟と
仲良くしている振りをしなければ
ならないと思い込ませていました。
そうしないと、
ごはんが食べれなくなると思っていました。
そうしないと、
寝るところがなくなると思っていました。

本当は
寝るところとご飯が食べれれば
家族と離れて独りになりたかった。
大嫌いな家族と縁を切りたかった。

たぶん、
小学生1年の時
土曜日昼から
電車の写真を撮りに駅に行くと
親に言って、
電車に乗り
出掛けたことがありました。
当時の僕にとって
電車は、遠くの知らない街に
運んでくれる夢の乗り物でした。
だから電車が好きになりました。

米原まで一人で行って
何をかはわかりませんが
反省らしきものをして
夕方6時に帰ってきたことがありました。

これが「一人になりたい」の
始まりだったのかもしれません。
それから
写真を撮りに行くと言って
家出未遂を繰り返し
反省してその日のうちに家に帰るを
何度も繰り返しました。

小学生の子供が
気持の整理なんて
できるわけがありません。

今、そのときの心情を思い出して
書いているわけですが、
一人になりたい衝動に駆られて
行動していたのですね。

ですが、
突然「ふと」われに返り
衝動が消え
家路についていたため
今の自分がここに居るという感じです。

当時、
友達や家族を好きになる努力は
いっぱいしました。
大人になるまでずっとがんばりました。
家族家族とがんばりました。

学生時代のこういった考えから
冷淡な自分を見せては
協調性が疑われると思い
ずっと
本音を隠す傾向になりました。

当時周りにいた大人のいう
成功と安定した生活が
人生で一番大切なこと
という間違った理念が
できる人としか付き合わない人間性を
僕に起こさせました。
そういった感情が
生まれてきたことに気が付いたのは
だいぶ後のこと・・・。

その当時は
当時で
周りの大人が描いた理想の幸せを
絵に描いたような状況だったため
幸せと思いこんでいたのでした。

しかしながら、

そんなときでも
嫌いという気持は一向に変わらず
最悪なことにですが、
社会人になって
一人で暮らすようになり
また恋愛等経験し
病気にもなり・・・・
転機でしょうね・・・
死を考えてしまって・・・

今までの自分を考えると・・・
そういったしてきた努力が
ばかばかしく思えるように
なってきてしまいました。

近距離にもかかわらず
盆も正月も実家にも帰らずです。
両親ともに生理的受け付けないので
理由無く嫌悪感があります。
努力はしましたが消えませんでした。
兄弟2人いますが
今は会わなくて済むことに
ほっとしてます。
だから用も無く実家に帰ったことはありません。
冠婚葬祭等用があるときのみ帰ります。
最近、記憶にすらなくなってきているのが
現状です。
やっぱりまずいですよね・・・。

話は戻りますが、
ダラダラと続いていた彼女ですが、
結局、
僕が仕事を辞めてからは
とんと連絡がなくなりました。
当たり前のことかもしれません。

「一人でいたい」
その思いは今もかわりません。

ただ、誤解を受けたくないのは
「無人島に行きたい」
のではないということです。

都会の中で便利さを享受しつつ
その中で誰にも構われずに
ひっそりと消えて行きたいだけなんです。

僕が愛することができ、
その愛を受け入れてくれる女性には
惜しみなく愛を送ります。
また、信頼でき尊敬できる人間には
歳が上であろうと下であろうと
関係なく
最上の敬意を表して
「友人」になります。

人間社会のいろはもわかっています。
あいさつが基本ではじまり
伝統と冠婚葬祭に終わる。
みざる、いわざる、きかざる、
ねたまざる、
勤勉に勉強し働き怒らない愚痴らない。
だから、
社会的信用を得る為に大学を卒業し、
公務員になったんです。
家族のためにがんばりました。
もう充分がんばって生きました。

こころが悲鳴をあげました。
「もう許してください。」
きらいなものは好きになれません・・・。

社会は、
僕みたいな人間を
ピーターパンシンドローム、
逃げてるだけの弱虫男、
情けない、
社会で通用しないと言うでしょう。

でも僕は僕なんです。
社会がどう言おうと
周りがどう言おうと
これからは
人との関わりを最小限にします。

39年間は、
地道に誰に恥じることなく
社会人をしてきたんですから。

法規を破る著しい非行行為は一度もありません。
これからも絶対ありません。

むきになって書いてしまいました。

たぶん、
こんな人間、
僕だけのような気がします。

人間には向いてなかったのかもしれませんね・・・。

でも、
今、見せかけでも「平和」な現代日本に
人として生まれて
非常に感謝している心があることも事実です。

そして、
幸運に恵まれている人生を享受できたことへも
感謝しています。

もし神様がいるとして
願い事がかなうなら
「あと少しだけ、
 健康で生きていることをお許しください」
よろしく御願いいたします。


。。。

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