仏教は厄介である。定義がはっきりしないからである。
仏教は「八万四千の法門」と自ら認めるほど、様々な派があり、説くところも様々である。互いに矛盾するような内容が仏教という看板の中にひしめいている。「仏教とは何でしょう」と聞いて、一言(とは言わずともまあせめて使徒信条くらいの条文)で答えが返ってくることはないし、返ってきたらそれは逆に怪しいくらいである。
キリスト教がイエス抜きでは成立しないものであるのに対して、仏教は必ずしもブッダ(人間としてのガウタマ・シッダッタ)が必須ではない。ブッダはさとった人という普通名詞だし、ブッダの前世存在(過去七仏)も含め、多数いると仏教自らが言っている。
そのせいか、中国や日本の仏教では、ブッダ自身の生涯や直説がどうであったかという点にはそれほど強い関心はない。それよりも、仏教教団の中で作られてきた経典の教えや、偉大とされる仏教僧の言葉が重視された。仏教教団も、偉大な祖師も、たくさんいる。当然、教えは多様になる。
だから、「仏教とは何でしょう」という問いには、「仏教には様々な教え・考え方があります」というのが誠実な答えとなる。
ところが、そうすると「じゃあ仏教か仏教でないかはどう判断するの」という意地悪な問いが生まれる。これは別に揚げ足取りではなく、いやそれどころではなく、近年、あの集団殺人を犯したオウム真理教が自分たちを仏教の中に入れていたわけで、では、彼らは仏教徒なのかどうか、そうでないならどういう理由でか、ということは思想的には大変悩ましい問いである。
実際、日本の中世では、「あれは仏教ではない」という争いがあった。浄土教の「念仏」は、当初、異端としてかなり弾圧された。また日蓮は念仏と禅を邪教として激しく攻撃し、逆に自らも旧仏教から異端とされた。しかし、どこかに「これが正統な仏教だ」とする確固たる命題があったわけではなく、まあ、いわば水掛け論であった。
歴史上のブッダを正統性の根拠とするという考えは、少なくとも大乗仏教では、あまり強くなかったようである。というより、中国仏教や日本仏教では、後代にできた大乗仏典が典拠であって、ブッダの言説を色濃く伝えた原始仏典(『スッタニパータ』などのパーリ語経典)は、ほとんど知られていなかった。
ところが、明治以降、近代文献学が入ってきて、仏教徒は原始仏典の存在を知った。まあ、当初は「なんじゃこりゃ」というか、「まずいぞこりゃ」というような感じもおそらくはあったと思う。それほど、中国仏教・日本仏教はブッダの言説から遠いものとなっていた。ブッダの思想からすれば、ほとんどの日本仏教は、「なんじゃこりゃ」となるだろう。
この混乱は、実は今も続いている。日本の仏教者はなかなか告白しないが、ブッダの思想からすれば、密教も浄土教も法華経(天台・日蓮)も禅も、ほとんど異教・邪教である。一部の仏教学者は、ブッダや原始仏教に戻ろうとする。あるいは大乗仏教の中で一番正統だとされるナーガールジュナ(竜樹)に戻ろうとする。この「正統」の側の思想は、哲学的色彩が強く、近代の「反・形而上学」的傾向ともマッチしたため、仏教の中の知的階級には非常に好まれた。
ところが現場での実践は、従来の密教や浄土教や法華経や禅である。それに日本の土着的信仰も混じっている。これは混乱するのが当たり前である。何とか総合的な「近代宗学」を作ろうとしているが、正直なところ、これは結構「アヤシイ」。「八万四千の法門」とか「対機説法」というのは、しばしばこうした不整合を糊塗する魔法の言葉だったりする。別にブッダやナーガールジュナに戻らなくても、「空海教」「最澄教」「親鸞教」「道元教」「日蓮教」でいいと思うのだが、なぜそうしないのだろうか。
仏教全般とか日本仏教全般とかを論じることはとてもできないので、まずここではブッダの仏教とはどういうものだったかについて、門外漢ながら、霊学的な知見からいささか考えてみたい。そこから、「仏教とは、果たして宗教と言えるのか」という、異様な問いも浮かび上がってくることになるだろう。(なお、基本的な事柄については、中村元『ゴータマ・ブッダⅠ・Ⅱ』に拠っている。)
(第二回は明日)
仏教は「八万四千の法門」と自ら認めるほど、様々な派があり、説くところも様々である。互いに矛盾するような内容が仏教という看板の中にひしめいている。「仏教とは何でしょう」と聞いて、一言(とは言わずともまあせめて使徒信条くらいの条文)で答えが返ってくることはないし、返ってきたらそれは逆に怪しいくらいである。
キリスト教がイエス抜きでは成立しないものであるのに対して、仏教は必ずしもブッダ(人間としてのガウタマ・シッダッタ)が必須ではない。ブッダはさとった人という普通名詞だし、ブッダの前世存在(過去七仏)も含め、多数いると仏教自らが言っている。
そのせいか、中国や日本の仏教では、ブッダ自身の生涯や直説がどうであったかという点にはそれほど強い関心はない。それよりも、仏教教団の中で作られてきた経典の教えや、偉大とされる仏教僧の言葉が重視された。仏教教団も、偉大な祖師も、たくさんいる。当然、教えは多様になる。
だから、「仏教とは何でしょう」という問いには、「仏教には様々な教え・考え方があります」というのが誠実な答えとなる。
ところが、そうすると「じゃあ仏教か仏教でないかはどう判断するの」という意地悪な問いが生まれる。これは別に揚げ足取りではなく、いやそれどころではなく、近年、あの集団殺人を犯したオウム真理教が自分たちを仏教の中に入れていたわけで、では、彼らは仏教徒なのかどうか、そうでないならどういう理由でか、ということは思想的には大変悩ましい問いである。
実際、日本の中世では、「あれは仏教ではない」という争いがあった。浄土教の「念仏」は、当初、異端としてかなり弾圧された。また日蓮は念仏と禅を邪教として激しく攻撃し、逆に自らも旧仏教から異端とされた。しかし、どこかに「これが正統な仏教だ」とする確固たる命題があったわけではなく、まあ、いわば水掛け論であった。
歴史上のブッダを正統性の根拠とするという考えは、少なくとも大乗仏教では、あまり強くなかったようである。というより、中国仏教や日本仏教では、後代にできた大乗仏典が典拠であって、ブッダの言説を色濃く伝えた原始仏典(『スッタニパータ』などのパーリ語経典)は、ほとんど知られていなかった。
ところが、明治以降、近代文献学が入ってきて、仏教徒は原始仏典の存在を知った。まあ、当初は「なんじゃこりゃ」というか、「まずいぞこりゃ」というような感じもおそらくはあったと思う。それほど、中国仏教・日本仏教はブッダの言説から遠いものとなっていた。ブッダの思想からすれば、ほとんどの日本仏教は、「なんじゃこりゃ」となるだろう。
この混乱は、実は今も続いている。日本の仏教者はなかなか告白しないが、ブッダの思想からすれば、密教も浄土教も法華経(天台・日蓮)も禅も、ほとんど異教・邪教である。一部の仏教学者は、ブッダや原始仏教に戻ろうとする。あるいは大乗仏教の中で一番正統だとされるナーガールジュナ(竜樹)に戻ろうとする。この「正統」の側の思想は、哲学的色彩が強く、近代の「反・形而上学」的傾向ともマッチしたため、仏教の中の知的階級には非常に好まれた。
ところが現場での実践は、従来の密教や浄土教や法華経や禅である。それに日本の土着的信仰も混じっている。これは混乱するのが当たり前である。何とか総合的な「近代宗学」を作ろうとしているが、正直なところ、これは結構「アヤシイ」。「八万四千の法門」とか「対機説法」というのは、しばしばこうした不整合を糊塗する魔法の言葉だったりする。別にブッダやナーガールジュナに戻らなくても、「空海教」「最澄教」「親鸞教」「道元教」「日蓮教」でいいと思うのだが、なぜそうしないのだろうか。
仏教全般とか日本仏教全般とかを論じることはとてもできないので、まずここではブッダの仏教とはどういうものだったかについて、門外漢ながら、霊学的な知見からいささか考えてみたい。そこから、「仏教とは、果たして宗教と言えるのか」という、異様な問いも浮かび上がってくることになるだろう。(なお、基本的な事柄については、中村元『ゴータマ・ブッダⅠ・Ⅱ』に拠っている。)
(第二回は明日)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます