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神と人間の算術

2010-10-09 01:13:00 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学

 すべてのことについて、大いなるもの(神)に感謝しなさい、とよく言いますね。
 いただいているのだ、と。
 だから私たちは大いなるものに対して、責務を負っているのだ、とも。

 一方、不遇は自らが招いているのだよ、とも言われますね。
 あなた自身の責任だ、誰も責めることはできない、と。

 私たちは自己責任でない損害も、甘受しなければいけませんよね。
 天災や事故でこうむった被害は、民事賠償はあったとしても、
 結局償われることはありませんよね。
 いくらお金をもらったって、傷は元に戻りませんよね。
 (マスコミは被害家族の感情をさかんに報道しますが、
 そんなことで加害者への憎しみを煽るのはいけませんね。
 被害者の感情は、賠償でも加害者の死刑でも、償われることはないのです。)

 不思議な算数ですね。一方通行的な算術というか。
 でもたぶん私たちはこの世界ではその不思議な算数を生きているのでしょう。

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 私たちは生かしてもらっていることに対して責務を負う。
 一方、私たちは何に対しても訴訟権、賠償請求権は持たない。
 もしかすると、一神教の「人間は神の奴隷である」という命題は、
 このことを言っているのかもしれませんね。
 「ずいぶんひどいことを言うな」と思いましたけど、そういう意味なら
 わからないでもない。そうかなとも思う。

 「生まれてきたいと思ったわけじゃない」「生んでくれと言ったわけじゃない」
 などと抗議しても門前払いです。大いなるものの思し召しが絶対だから。
 ごちゃごちゃ言う奴隷は、ひねりつぶされ、永遠の業火で焼かれます。
 (ちなみに一神教で自殺が厳禁なのは、奴隷が勝手に契約解除することは
 許されない――ご主人への最大の反逆――からだそうです。)

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 ところで、これを「ちゃぶ台返し」した宗教もあります。
 グノーシスの一部やカタリ派は、「この世を創造したヤハウェは悪神だ」と言います。
 私たちが物質と肉体に閉じ込められて苦しむのは、悪神に陥れられたのだ、と。
 そして人間は、「覚醒へ導く者」に聞き、大いなる叡智(グノーシス)を得れば、
 この苦しみの世界を逃れて光の天界へと帰ることができる、と。
 「神を悪魔だとするなんてとんでもない連中だ」と思うかもしれませんけど、
 現実世界や肉体を忌避するのは、けっこうありがちな宗教思想ですね。
 「神(現実世界の創造神・旧約の神ヤハウェ)」を「無明」と差し替えると、
 あれ、これ仏教じゃない?
 (これ戯れ言ではなくて、カタリ派に仏教の影響を見る学者さんも実際にいます。
 カタリ派の一部は輪廻転生を認めていますし。)

 とはいえ、ここでも一方通行的算術はありますね。
 人間はどうやっても苦しむだけ。そして苦しむことの中に何のプラスもない。
 ただし叡智を獲得すれば、すべてはひっくり返って、プラスしかなくなる。

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 びっくりするくらい異色の宗教もあります。
 苦しみなんかないよ、人間は生きることを楽しむために生まれてきたんだよ、と。
 神道の奥底にある考え方でしょうけど、それをはっきり言ったのは中山みき師でした。
 (みきさんは天理教教祖です。ただし天理教教団を賞揚しているのではありません。)
 「神様は陽気暮らしする人間を見て楽しみたいと思って、人間をお作りになった、
 だからめそめそするな、苦しむな、陽気に笑いなさい」と。
 算術は逆転(あるいは消滅)して、人間は一方的に喜び、明るさ、笑いを生きるだけです。
 素晴らしい呼びかけですけど、苦悩・不幸のどん底で「陽気暮らし」ができるためには、
 逆にとんでもない魂の強さが必要かもしれません。

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 ここまで言ったら、やっぱりスピリチュアリズムのことに触れざるを得ないですね。
 スピリチュアリズムにおける「高級霊からの教え」をまとめると次のようになるでしょう。
 「人間の魂は、神の小さな火花」です。
 10の何百乗分の1の小ささかもしれませんけど、神の一部、神の分身です。
 私たちが生まれるのを欲し、生きるのを欲するのは、神が宇宙(物質的宇宙だけではない)を
 創造したのと同じモメントです。私たちが生まれ、生きているのは、神の創造の一端です。
 私たちが苦しみ、喜んでいるのは、それによって私たちの魂が成長するためです。
 その魂の成長は、神の創造がより壮大に豊かになっていくのとつながっています。
 私たちの魂の経験、苦悩も歓喜も、神の創造の一端であり、神の創造への参与です。
 あえて変な言い方をすれば、私たちは神から魂をもらい、神に魂の経験を返すのです。

 苦しみや災厄や不幸は、単なるマイナスではありません。それは魂の成長の糧です。
 苦悩することで魂は成長します。自分の愚行から招いた苦しみを苦しむことで、
 あるいは自分には責任がないような苦しみを耐え、甘受することで、魂は成長します。
 また、苦しみや不幸は、大宇宙の摂理から離反しているというアラームでもあります。
 シルバー・バーチは言います。「神法に違反すれば苦しみ、則れば幸福になります。
 単純な法則です」と。

 私たちが他者への愛を持つべきなのは、大霊が同様に私たちをケアしてくれるから。
 私たちが苦悩するのは、それによって成長という宝を得られるから。
 私たちが創造されたのは、私たちが創造に参与するから。

 ……何か一方通行的算術ではないような気がするのですけど。


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