スピリチュアリズム・ブログ

東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

スピリチュアリズム洗脳

2010-09-22 11:53:11 | birch99的スピリチュアリズム周辺
’birch99的スピリチュアリズム周辺’カテゴリーからの投稿です。

先日新聞を読んでいたら、「あなたは常識に洗脳されている」苫米地 英人 (著)という本の
紹介がありました。ちょっと面白そうだなあと思いましたが未だ読んでおりません。親によ
る洗脳、学校教育による洗脳、社会による洗脳、世間による洗脳、政治による洗脳、メディ
アによる洗脳・・・。

私たちが物事を見る目、秤、尺度等は、その時代の一般的な常識、道徳などが大きな比較対
象になります。そして時代の流れと共に、その常識や道徳は変化してきていますね。私たち
は、自分で、これは良い、これは悪いと判断しているつもりでも、このような常識や道徳の
枠の影響下にあることがとても多いのです。

これらの事に気がつき、一般的に言われる「正しい」とか「間違っている」事に疑問を持
ち、本当に大切な事は何か、大事な事は何かを問われ、スピリチュアリズムにたどり着き、
スピリチュアリズムの訓えを読んで、これこそが正しい道、真理へ通じる道だと共感し、
認識して、一つの生活行動の指針とされる方々も多いのではないでしょうか?

そして、これだ、これだと諸手を挙げて賛同し、これこそが求めていたものだとのめり込ん
でいく・・・。しかし、自分自身の状況、状態が順風満帆の時には良いのかもしれません
が、人生の荒波に巻き込まれている時、ネガティブな状況の時には、そんな理想的な事を言
っている場合でなくなるかもしれません。逆にそんな時こそ、スピリチュアリズムの訓え
が、心の拠り所となり安寧をもたらすものとなれば本物でしょう。

自分自身の霊の状態が、ホントにスピリチュアリズムを求めているのか?言い換えれば、今
世において、生き育まれてきた中で、どの枠組みにも入らない自分自身の、自分だけの考え
方、感じ方、思いがスピリチュアリズムの教えと同化するほどの霊の状態となっているの
か?その訓えが本当にストレスを感じずに受け容れらているのか?この辺りがスピリチュア
リズムを知った後の作業になるように思います。

まずは、自分自身を良い状態に保ち、霊界からの良い働きかけを受け易くして、自分自身に
染み付いた常識や道徳の枠組みを取り払い、フラットな状態から自問自答し、自分の良心を
知り、答えを導き出す。誰のものでもない自分自身で導き出した答えは、誰からの押し付け
でない自分だけのものです。そして、この答えは、結果的にスピリチュアリズムの訓えと繋
がってくると思います。このようなプロセスならば、「洗脳」とはならないでしょう。

下記に似たような事が書かれている箇所がありましたので引用します。

-------------------------------------------------------------------------------
いま、多くの方が読んでいるスピリチュアリズムの本には、霊的な世界はこうだから、こう
生きましょう、こう考えましょうと、かなり方向を決めつけてしまった書き方をしているも
のが見うけられます。
「人生では、良いことをすれば良いことが返ってくる。悪いことをすれば悪いことが返って
くる」「自分で蒔いた種は自分に返ってくる」だから、聖人君子たれ、完璧であれ、という
ものです。
まじめな方、良い人ほど、そういうスピリチュアリズムの本を経典のように信じ、書かれて
いることを実行しようとしたことでしょう。
実際、こうした本で書かれた完璧主義に支配され、縛られてしまい、どんどん心を壊して、
病に至る方がいらっしゃるのです。
日本の風土には、特に、画一化された生き方に流れやすい風潮がありますから、日本人の多
くは、ある程度の枠を与えられている方が楽だと感じがちなのです。

・・・・・
この背伸び感こそが、無理をしている証拠です。完璧主義の枠組みに入ろうと頑張り、良い
ことをしたいと思っても、本当の自分はそういう人間じゃないことを知っている。
このギャップに苦しみ、あえぎ、それで自分を責め始めるようになる。そんな悪循環に陥っ
ている人は少なくありません。

・・・・・
私たちは永遠に生き続け、永遠に進化向上を続けていきます。守護霊はそれを熟知している
ので、時間的な焦りもありません。今世でできないことがあったら、生まれ変わった来世で
できるようにしよう。来世が無理ならその次でも、その次でもいい。これが守護霊のスタン
スなのです。
だから、決して「こう生きろ」「こうせねばならない」などと、時間的な焦りにつながるよ
うなことを、守護霊がおっしゃることはありません。
守護霊は「私の言うことは聞かなくてもいい」「頭ごなしに否定してもかまわない」という
メッセージをよく送ってきます。守護霊だからといって、メッセージを鵜呑みにすることは
せず、自分の本音の部分で、「これは納得できる」「多少理解できる」「これは違う」と、
自分の心の判断におもむくままに、受け入れ、もしくは拒否すればいいのです。
だから、本当のスピリチュアリズムでは、守護霊がなんと言おうと、親がなんと言おうと、
友達や恋人がなんと言おうと、一貫して「私は何をしたいのか。私はどうありたいのか。」
と問い、答えを探し続け、それを実現することが大切と伝え続けています。
これが生きる上での命の使い方。これが「使命」なのです。

人の心の動きや行動の基準になるものは、「宗教」や「親の教え」や」「一般常識」です。
もちろん、これらはある程度、快適な生活を送る上で、また安全な社会を築き上げていく上
で欠かせないものです。ですが、こうした基準から逸脱してはならない、それらをきっちり
と守るべきだと真面目に向き合ってきた人ほど、スピリチュアリズムを知ると、今度はスピ
リチュアリズムを新しい「教科書」にして生きていこうとしてしまいがちです。
つまり、この「教科書」から離れると正しく生きていけなくなると誤解し、もっともっと善
人として、聖人君子として生きていかなければと思い込んでしまうのです。しかも、今度は
霊界が相手。いつ、どこで、どのように向こうから自分が見られているかわかりませんし、
もしかしたら心の中まで見透かされているかもしれないということで、一瞬たりとも気が抜
けない状況になります。
スピリチュアリズムは私たちの行動を規制し、枠にはめるための堅苦しい「掟」ではありま
せん。
スピリチュアリズムとは何なのでしょうか?それは、自分への「癒し」と「許し」から始ま
る、「愛」についての教科書なのです。
(スピリチュアリズムに苦しんで 本当の答えは自分の心にある 正木りさ著)
-------------------------------------------------------------------------------
私たちを形作っているものは肉体ですが(表面的には)、肉体を脱ぎ捨てた後に残る霊の状
態を形作るものは、自分自身の精神であり心です。この世でさえも洗脳された精神・心を解
き放つのは大変なようですが、さらに増幅されるような霊の状態での精神解放は、もっと大
変なことなのでしょう。

ですから、スピリチュアリズムと言えども、盲目的な受け容れ方をしたり、現世逃避的な依
存は、そのような霊の状態を形成してしまうでしょうし、受け容れに違和感がある場合は
、逆にストレスとなり今世を生き難くし、更に悪いカルマを生む要素となるかもしれませ
ん。

自分自身を知る事は、とても難しい作業のように思います。忙しく振り回される日常の中で
は、何が好きで何が嫌いかも解らなくなって、自分の心さえも見失いがちです。そんな流れ
を一時停止させるためにも、一日に一度は、静かな環境に身をおき、心を穏やかにして自分
を見つめ直す時間が必要なのかもしれませんね。本当の自分と対話するために・・・。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
スピリチュアリズムの苦しみ (へちま)
2010-09-25 11:51:07
スエデンボルグから抜粋します。

人間が霊的なものにされつつある再生の過程では、彼は絶えず争闘にたずさわっていて、そのため主の教会は「戦闘的」教会と呼ばれている。なぜなら再生以前は人間全体は全く諸々の欲念とそこから発している諸々の誤謬とから成っているため、その諸々の欲念に支配されているからである。
再生の間に是らの欲念と誤謬とは瞬時に廃棄されることはできない。なぜならそれらは彼が獲得した唯一の生命であるため、そのようなことは、その人間全体を破壊してしまうからである。

シルバーバーチも霊的成長のために「苦しみ」が存在すると述べていたと思います。この苦しみは病気を治すときの苦い薬や手術の痛みなどと同じものらしいので「勇気を持って耐えるように」と霊言で述べられていたと思います。
但し、自分自身で苦しい事を行い「修行」だと勘違いしている人もいるので注意が必要です。
返信する

コメントを投稿