ブッダの布教への意欲は、「さとり」の静寂さとは打って変わって、ある種の政治性すら感じさせるほどの強烈さを持っていた。
まず彼は、5人の求道者に論戦を挑み、これを論破した。もちろん教祖伝に「負けた」などという記述が出るわけがないが、それでも、ブッダは非常に頭脳明晰で議論の力もあったようである。
次に彼は、マガダ国ウルヴェーラーで、1500人の信者を持っていたカッサパ三兄弟と対決する。カッサパの宗教は火を崇拝する、きわめて儀礼的なものだったとされる。バラモン教の一派とされているが、ひょっとするとペルシャ由来のゾロアスター教の集団だったかもしれない。
このカッサパとの対決は、幻魔大戦よろしく、超能力をこれでもかと繰り出すものだった。
まず、ブッダは拝火堂に入り、そこに住む毒蛇を降伏させる。次に、四天王、帝釈天、梵天が輝きとともにブッダのもとに現われる。さらには、儀式のために行なう薪割り、点火、消化を、念力でできなくさせ、信者たちが困ると、それらを一瞬のうちに完了させて見せたり、あるいは、大雨を降らせあたりを洪水にし、自らの周りだけ水を退け、乾いた場所を作る、などなど。
結局、カッサパとその1500人の信者たちは、これによってブッダの信者となるわけだが、何とも異常な出来事である。近代の仏教学者は、このことをあまり論じたがらない。ブッダは崇高な真理を説いて信者を獲得したのであって、超能力で人を屈服させるなど、ありえるものではない、ということなのだろうが、あいにく、これは全然後世の偽作ではなさそうである。後々ブッダの教団は1750人と言い習わされるのだが、活動初期はほとんど信者ゼロで、ここで一気に1500人となるのだから、実に仏教発展史において重要な出来事なのだ。
ちなみに、これらの信者たちを連れて歩いている時に、首都の燈火を見下ろせる場所にさしかかり、ブッダは「見なさい、街にはあれだけの火が燃えさかっているが、われらの心の中には貪欲・瞋恚・愚痴などの煩悩の火が燃えさかっている」と教え諭したという。理屈が多い釈尊伝の中では、異色に詩的な場面である。
ブッダの信者獲得活動はさらに続く。同じくマガダ国にいたサンジャヤという懐疑論者の集団から、そこで指導的地位にいた二人の人物がブッダに帰依する。のちにブッダの最高の弟子となるサーリプッタ(舎利弗。知恵第一とされる)とモッガラーナ(目連。六神通を得て神通第一と称された)である。これによってサンジャヤ教団から250人の信者がブッダの教団に転向した。ここで1750人となったわけである。ただし、この時は、ブッダの教説に心服したためであって、超能力合戦などではない。
その後のブッダの生は、比較的淡々としたものである。いろいろな場所で説法し、人々が帰依したことが、繰り返し説かれる。ブッダ教団の隆盛を面白く思わない人々からいくらか嫌がらせを受けたりもするが、特に大きな波乱もない。体制に反逆して死刑になったイエスとは大違いである。ただ、晩年、彼が後にしてきたカピラヴァストゥ王国はマガダ国によって滅ぼされ、シャカ族も滅亡したという。ブッダは傾国の王子であり、一族断絶の当事者だったことになる。
生涯の最後に、ブッダは旅に出るのだが、ベールヴァ村で、重い病気になる。毒キノコを食した云々の話があるが、まあ、どうでもよい。
死が遠くないことをさとったブッダは最後の説法をする。「わたしは内外の隔てなしに理法を説いた。弟子に何かを秘密にしたこともない。修行僧の仲間を導こうとか、修行僧の仲間はわたしに頼っているとか思っているわけでもない。だからわたしは何も語るつもりもない。……それゆえに、この世で自らを島とし、法を島としなさい」(島はわかりにくいせいか、漢訳で灯明とされた。「自灯明、法灯明」として知られる遺言である。)
「私は理法を説いただけで、教祖になったわけではない。みんな、自分で探究しなさい」と言っているわけだが、なかなか意味深長な発言である。論戦や超能力対決で信者を増やしたブッダの面影は、ここにはない。
ブッダの容態は一時回復し、曾遊の地ヴェーサーリーに赴くが、そこで彼はこんな言葉を残している。
「ヴェーサーリーは愛おしい。……世界は美しい。人間の生命は甘美だ。」
これもある意味では爆弾発言である。ブッダの求道の出発点は「生は苦である」であった。単純に考えれば矛盾となるが、好意的に捉えれば、さとりを得てもう生まれ変わらないと会得した人には、世界は美しく、人間の生命はそれなりに甘美なものと映るということなのだろうか。
そして、死の直前には、こんな言葉を残している。
「私は善を求めて出家した。戒めと三昧と行ないと明知と、心を統一することを、わたしは修した。尊い真理を説く者であった。これ以外には〈道の人〉なるものも存在しない。」
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい。」
後半生のブッダの活動は、初期の生死を賭けた修行や、輪廻と業の本質を見通したさとりや、神通力まで使用した教団の拡大といった様相とは打って変わって、非常に穏当な「賢者」のそれのようにも見える。
そこには、「見えない世界」に関連する言説はない。さとりを誰にでも体験させようとする意図すら感じられない。
うがった見方をすれば、何かを封印した、あるいは断念したというような趣さえ見えないでもない。こういう言い方をすると気を悪くする人もいるかもしれないが、ひょっとするとブッダはある時点で、「転向」したのではないか、とさえ思える。
(転向というとひどい表現になるけれども、人生の様々な時期に姿勢や主な主張が変化するのは人間としては当然で、逆に徹頭徹尾一つの姿勢や主張を続ける方が異常ではなかろうか。ブッダだってイエスだって、生きている一個の人間としてその時その時の心境の変化はあるだろう。)
* * *
以上がブッダの生涯のごくおおざっぱなアウトラインである。
文明や時代の傾向のせいか、生涯のドラマとしては、正直、あまり面白くない。ものすごい修行をして、比類ないさとりを開いた。それは日本仏教でも度々論及されるところである。ただそれ以降は、二つの教団を乗っ取り(という表現は失礼だがまあ事実だ)、何人かの豪族の支援を得て精舎を作り、後進の指導にあたり、弟子たちを派遣して信者を増やした、という、いわば「成功者」の生涯である。度々神々が姿を現わしたというような記述はあるが、奇跡的な力で病人を癒したといったことはない。
ある意味では、なぜブッダの教団がここまで成功したのか、不思議である。もちろん、ブッダは人格に優れ、また深い知性と哲学を持っていた。ただ、それだけでこうした成功がもたらされたのだとは単純に納得できない。
もちろん、歴史上のすべての出来事は、「なぜそうなったのか」は解明できない。そこにはいくつもの要因が働いているし、人知を超えた流れもあるだろう。
ともあれ、ブッダの最大の特色は、その「さとり」にあった。またブッダ自身の聡明さや論争力にあった。後半生はともかく、教団揺籃期のエネルギーはそこにあったと見るしかない。
では、ブッダの「さとり」とは何だったのか。
まず彼は、5人の求道者に論戦を挑み、これを論破した。もちろん教祖伝に「負けた」などという記述が出るわけがないが、それでも、ブッダは非常に頭脳明晰で議論の力もあったようである。
次に彼は、マガダ国ウルヴェーラーで、1500人の信者を持っていたカッサパ三兄弟と対決する。カッサパの宗教は火を崇拝する、きわめて儀礼的なものだったとされる。バラモン教の一派とされているが、ひょっとするとペルシャ由来のゾロアスター教の集団だったかもしれない。
このカッサパとの対決は、幻魔大戦よろしく、超能力をこれでもかと繰り出すものだった。
まず、ブッダは拝火堂に入り、そこに住む毒蛇を降伏させる。次に、四天王、帝釈天、梵天が輝きとともにブッダのもとに現われる。さらには、儀式のために行なう薪割り、点火、消化を、念力でできなくさせ、信者たちが困ると、それらを一瞬のうちに完了させて見せたり、あるいは、大雨を降らせあたりを洪水にし、自らの周りだけ水を退け、乾いた場所を作る、などなど。
結局、カッサパとその1500人の信者たちは、これによってブッダの信者となるわけだが、何とも異常な出来事である。近代の仏教学者は、このことをあまり論じたがらない。ブッダは崇高な真理を説いて信者を獲得したのであって、超能力で人を屈服させるなど、ありえるものではない、ということなのだろうが、あいにく、これは全然後世の偽作ではなさそうである。後々ブッダの教団は1750人と言い習わされるのだが、活動初期はほとんど信者ゼロで、ここで一気に1500人となるのだから、実に仏教発展史において重要な出来事なのだ。
ちなみに、これらの信者たちを連れて歩いている時に、首都の燈火を見下ろせる場所にさしかかり、ブッダは「見なさい、街にはあれだけの火が燃えさかっているが、われらの心の中には貪欲・瞋恚・愚痴などの煩悩の火が燃えさかっている」と教え諭したという。理屈が多い釈尊伝の中では、異色に詩的な場面である。
ブッダの信者獲得活動はさらに続く。同じくマガダ国にいたサンジャヤという懐疑論者の集団から、そこで指導的地位にいた二人の人物がブッダに帰依する。のちにブッダの最高の弟子となるサーリプッタ(舎利弗。知恵第一とされる)とモッガラーナ(目連。六神通を得て神通第一と称された)である。これによってサンジャヤ教団から250人の信者がブッダの教団に転向した。ここで1750人となったわけである。ただし、この時は、ブッダの教説に心服したためであって、超能力合戦などではない。
その後のブッダの生は、比較的淡々としたものである。いろいろな場所で説法し、人々が帰依したことが、繰り返し説かれる。ブッダ教団の隆盛を面白く思わない人々からいくらか嫌がらせを受けたりもするが、特に大きな波乱もない。体制に反逆して死刑になったイエスとは大違いである。ただ、晩年、彼が後にしてきたカピラヴァストゥ王国はマガダ国によって滅ぼされ、シャカ族も滅亡したという。ブッダは傾国の王子であり、一族断絶の当事者だったことになる。
生涯の最後に、ブッダは旅に出るのだが、ベールヴァ村で、重い病気になる。毒キノコを食した云々の話があるが、まあ、どうでもよい。
死が遠くないことをさとったブッダは最後の説法をする。「わたしは内外の隔てなしに理法を説いた。弟子に何かを秘密にしたこともない。修行僧の仲間を導こうとか、修行僧の仲間はわたしに頼っているとか思っているわけでもない。だからわたしは何も語るつもりもない。……それゆえに、この世で自らを島とし、法を島としなさい」(島はわかりにくいせいか、漢訳で灯明とされた。「自灯明、法灯明」として知られる遺言である。)
「私は理法を説いただけで、教祖になったわけではない。みんな、自分で探究しなさい」と言っているわけだが、なかなか意味深長な発言である。論戦や超能力対決で信者を増やしたブッダの面影は、ここにはない。
ブッダの容態は一時回復し、曾遊の地ヴェーサーリーに赴くが、そこで彼はこんな言葉を残している。
「ヴェーサーリーは愛おしい。……世界は美しい。人間の生命は甘美だ。」
これもある意味では爆弾発言である。ブッダの求道の出発点は「生は苦である」であった。単純に考えれば矛盾となるが、好意的に捉えれば、さとりを得てもう生まれ変わらないと会得した人には、世界は美しく、人間の生命はそれなりに甘美なものと映るということなのだろうか。
そして、死の直前には、こんな言葉を残している。
「私は善を求めて出家した。戒めと三昧と行ないと明知と、心を統一することを、わたしは修した。尊い真理を説く者であった。これ以外には〈道の人〉なるものも存在しない。」
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい。」
後半生のブッダの活動は、初期の生死を賭けた修行や、輪廻と業の本質を見通したさとりや、神通力まで使用した教団の拡大といった様相とは打って変わって、非常に穏当な「賢者」のそれのようにも見える。
そこには、「見えない世界」に関連する言説はない。さとりを誰にでも体験させようとする意図すら感じられない。
うがった見方をすれば、何かを封印した、あるいは断念したというような趣さえ見えないでもない。こういう言い方をすると気を悪くする人もいるかもしれないが、ひょっとするとブッダはある時点で、「転向」したのではないか、とさえ思える。
(転向というとひどい表現になるけれども、人生の様々な時期に姿勢や主な主張が変化するのは人間としては当然で、逆に徹頭徹尾一つの姿勢や主張を続ける方が異常ではなかろうか。ブッダだってイエスだって、生きている一個の人間としてその時その時の心境の変化はあるだろう。)
* * *
以上がブッダの生涯のごくおおざっぱなアウトラインである。
文明や時代の傾向のせいか、生涯のドラマとしては、正直、あまり面白くない。ものすごい修行をして、比類ないさとりを開いた。それは日本仏教でも度々論及されるところである。ただそれ以降は、二つの教団を乗っ取り(という表現は失礼だがまあ事実だ)、何人かの豪族の支援を得て精舎を作り、後進の指導にあたり、弟子たちを派遣して信者を増やした、という、いわば「成功者」の生涯である。度々神々が姿を現わしたというような記述はあるが、奇跡的な力で病人を癒したといったことはない。
ある意味では、なぜブッダの教団がここまで成功したのか、不思議である。もちろん、ブッダは人格に優れ、また深い知性と哲学を持っていた。ただ、それだけでこうした成功がもたらされたのだとは単純に納得できない。
もちろん、歴史上のすべての出来事は、「なぜそうなったのか」は解明できない。そこにはいくつもの要因が働いているし、人知を超えた流れもあるだろう。
ともあれ、ブッダの最大の特色は、その「さとり」にあった。またブッダ自身の聡明さや論争力にあった。後半生はともかく、教団揺籃期のエネルギーはそこにあったと見るしかない。
では、ブッダの「さとり」とは何だったのか。
【哲】0的確定論
『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』
【0特性】
◇絶対性
『拡がりが無い,』
◇不可分性
『分けられない,』
◇識物性
『存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対保存できない,』
◇変化性
『物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する。』
【0特性】が真理であるならば, 時間平面的な視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根據が【0∞1】, 有限的無限性を有する物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何かを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類似事的な確定であること, である。
零的確定論では, 一つの時間平面が, 拡がり無き【時の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を捉え, 【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。
△無は有を含む。