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【人生の苦悩】(6) 「自己実現」という罠

2010-11-29 01:37:30 | 高森光季>人生の苦悩

 人間の欲求に、階層があるということを提唱したのは、A・マズロー(マスロー)でした。彼は、最も根源的な生理的欲求の上に、安全欲求、所属と愛の欲求、承認欲求、自己実現欲求という高次な欲求群があると主張しました。
 このモデルの「一番高次な欲求」が「自己実現」です(晩年にはその上に「自己超越」の段階があると主張しましたが)。
 「自己実現欲求」とは、ウィキペディアの記述を流用すれば、「自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化したいと思う欲求」ですけれども、単に才能や特性を存分に使って生きたいというだけではなく、「潜在能力(持っているのにいまだ発現していない能力)」に気づいてそれを発揮することとか、また、自己を「特殊」で「かけがえのない」存在として世界の中に位置づけようとすることとかが含まれる感じがあるようです。
 このマズローのモデルは、20世紀後半の「ニューエイジ」運動にも大きな影響を与えたようです。今もそうした流れを引いた「自己啓発本」「自己啓発セミナー」が、相変わらずの人気を持っているように見えます。

 けれども、「自己実現」を普遍的な価値に思ってしまうと、そこでまた余計な苦しみが生まれます。「才能を発揮して、特別な人間にならなければならない」というような思いにとらわれて、「今の自分は平凡だ、無価値だ」と思ってしまうのは、よろしくないことです。
 才能というのは不公平なもので、社会の注目を集めるような秀でた才能を持っている人は、ごくわずかしかいません。多くの人がスーパー・ギタリストや、サッカーのファンタジスタになることを夢見ながら、それは実現しないわけです。世の中の大多数が、実は、夢を描いたものの挫折した人であり、自己実現に失敗した人のようにも見えます。
 もちろん、自己実現とは、有名になったり賞やお金をもらったりすることではありません。自分の持っている才能――数学が強いとか、美的感覚があるとか、交渉能力があるとか――を開花させ、それを職業に生かしている人は、自己実現に成功した人だと言えます。こうした人は、社会の注目を集めるような天才よりは、はるかに多くいるでしょうけれども、それでもおそらく多数派ではないでしょう。
 おおかたの人々は、特筆するような才能もなく、生の可能性も限定されているわけで、そういう人たちに何か特別な「自己実現」を推奨したり、幻想を煽ったり(「パワーストーンを身につけると潜在能力が引き出され、素晴らしいあなたに生まれ変わりますよ」とか・笑い)するのは、よろしくないように思います。
 才能は確かに祝福されたものかもしれませんが、人間は才能を生きるばかりが本分ではないわけで、それぞれの魂にとっての「生きる意味=自己成長の道」は様々なわけです。誰もが独特の環境や人間関係に生まれ、独特の性格や魂の色合いをもって、至らない点やありあまる感情などと格闘しながら生きていく。その意味では、別に特別な才能を発揮しなくても、豊かな可能性にめぐまれなくても、ただ生きているそのことだけで充分「自己実現」であると言うべきでしょう。
 それに、なまじなことで周囲にちやほやされて生きることより、平々凡々と、着実な社会人として生き抜くことの方が、むしろ難しく、高貴で、魂の成長にも実り多いという霊信の教えもあります。

 時代的には少し前になりますが、C・G・ユングは、初期のタイプ論を確立した時期には、人間の精神的な成長(「個性化過程」)は、自らの劣っている機能を自覚し、伸ばしていくことだと提唱しました。たとえば思考機能が優等でそればかりを使っていると、感情機能が劣等になる(神経症などもそこから発生することがある)。内向・外向は、それぞれの得意な生き方ばかりをするようになる。そうした偏りを警告するのが無意識からのシグナル(夢や神経症の症状など)であり、それに気づき、偏りを是正して、全方位的に豊かになっていくことが成長なのだというわけです。
 ここには特別な才能を発揮しろというような命題はなく、人間はより健全でバランスの取れた存在になっていくという、非常に穏当な考え方が示されています。自分の心を育てること、それが「個性化過程」であるというわけです。そしてこのことは、ほとんどすべての人にあてはまる、必須の課題だとも言えます。

 「自己実現」欲求を否定しているのではありません。「どうしてもこれを」という思いがあるのなら、絶対チャレンジしてみるべきでしょう。ただ、これも「幸福の追求」と同じで、「素晴らしい自分、特別な自分になりたい」という思い方は、間違いなのではないかと思います。いくつかアドバイス的なことを述べれば、
 ・他者の評価や賞賛を求めるのではなく、「よい仕事をした」という自己の内面的満足を求める。
 ・自分の置かれた位置の特殊性を見いだし、「自分でなければできない仕事」を見つける。
 ・不安や恐怖心をなくしていき、失敗を恐れない。

 スピリチュアリズムの霊信がよく言うことに、「不安や恐怖心を捨てなさい」というものがあります。死すらも終わりではない、守護霊はしっかりと皆を見守っている、だから余計な取り越し苦労はやめなさい、というのです。なかなか簡単ではありませんけど、確かに、その通りです。
 人間社会がもう少し霊的なものになったら、不安や取り越し苦労はなくなり、ぎすぎすしたせめぎあいも少なくなって、それぞれの「自己実現」も、もっと豊かで多様なものになるように思います。
 もしここを覗いている若い人がいたら、なおのこと、そう言いたいと思います。やりたいと思ったらやった方が得、成功したら嬉しいし、失敗しても勉強になる。

 ちょっと話があちこち飛びました。最後に一言、エセ精神世界が煽って言い立てる「自己実現」や「潜在能力の発揮」には、くれぐれもご注意のほどを。


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