徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

意味

2021-03-09 07:37:09 | Weblog

 結局、昨日は余り意味のないブログを2つ書いたことになる。まあ、連続の投稿に拘っている訳ではないが、一応、生活のリズムとして、朝一番で、パソコンに向かうようにしている。今日はこれを書く、という確たる意思はなく、その時頭に浮かんだことをブログる、という訳だ。

 今朝は家並みが霧に霞んでいる。これから気温が上がってくるのだろう。4月上旬並みとか言っていたが、こういう現象が現れると、気持ちが落ち着かなくなる。新聞の折り込みにも、野菜苗や肥料の売り出しが入ってくる。嬬恋はまだまだ、と思っても、腰が落ち着かなくなる。

 今年は、その腰の状態を見ながらなので、昨年の7割くらいにしようと思っている。始まれば忘れてしまうので、秋の段階で石灰や堆肥を投入しなかった。昨年、一部休耕する予定の場所に、土づくりもせずにカボチャを植えたが、あまり実が付かなかった。やはり、土を作らないと野菜は出来ない。

 繰り返し同じような野菜を作っているので、収量も質も落ちている。体力も落ちているので、これから段々難しくなるに違いない。いつ止めても良いのだが、孫の顔を思い浮かべると、その決断もつかない。それに畑に出なくなると、時間を潰すのに困ってしまう。

 まあ、そんなことで時期になれば勇んで畑に出るでしょう。

 ミャンマー編 ヤンゴンの街角 東南アジアのどこにでもある風景だった 平成26年2月13日撮影

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿