私のブログを読んでくださっている方は、私が勇気があって明るくて、なんて思って下さっているかもしれないが、違います。とても、気が弱いのです。反抗しているように見えるのは、受け入れてしまうと、何もかも狂ってしまうからです。そんな余裕も人脈もないのです。今思えば、私たち家族は、ずっと蚊帳の外だったような気がします。にも拘らず、奇跡的につながったのは、家族全員が直観力を駆使して、懸命に生きていたからだと思います。(欠けたる所はあったとしても) 母が頭脳明晰だった事も大きいと思います。
どうして私が今日は暗いのか?”たったこれっぽっちの事で”と恐らくビックリすると思います。暗くなってしまったのはTUTAYAのDVDの返却日を守れなかったので、気分が鬱になってしまったのです。たった320円程の延滞料金を払えば済む事ですが、きちんと出来なかった自分が嫌なのです。私は約束は本当は守りたい性分なのに、守れないような、めぐりあわせになってしまう時に、鬱になるのです。だから、本当は医療保険料を払っていないのも、台所の壊滅状態も、先日の停電の請求書の封を開けていないのも、超ストレスなのです。どうすれば良いのでしょうか?誰かに相談した方が良いかもしれません。親戚や友人に、でも、一般人の醸し出している雰囲気が怖ろしいのです。妙なうぬぼれと威圧感、狡さがあるような気がして、’世界の終わりの’プロデューサー達の顔なんて、人間ではない宇宙人か別人種に見えます。ある動画のチラ見だけで述べています。制作スタッフ達や、例えば皇室の回りに配属されている人達も、宇宙人か人種が違う感じがするのです。ひと昔前、病院の医者達が、妙な化け者のような波動を醸し出していた高慢さを、今のスタッフ達も同じくらい持っている。ユダヤの神系統に人類がなってしまっている。私だけが今頃になって、逆方向になっている。気が弱いから動けないのです。直感が響くのを、ただ、じっと待っているのです。待ちくたびれています。
父が亡くなってから、正確に言えば6年と4ヶ月過ぎました。なんとか生きてこれただけでなく、私にしては人生最大の業績を、あげられました。これは、ひたすら努力したというより、直感で響いた事は絶対やる!という信念で毎日を過ごせる環境に置かれていたからだと思います。近くに兄も、いるからだと思います。
ブログに吐き出せたら、鬱な気分が、もう直りました。クヨクヨするのはよします。ピアノを何日間も弾いていないからだと思います。電気ピアノばかりで練習しています。仕上がっていない曲をピアノで弾きたくないので、ピアノの音を何日も聞いていないから、気分が鬱陶しいのかもしれません。
「バリー・リンドン」という映画はちょっと悲しいです。せっかく縁が生じて家族になったのに、二度と会う事もない縁だったとは、最初から結婚するな!と、傍から見て思ってしまいます。縁なんて、いつでも切ろうと思えば切れます。私は幸い音楽だけは死ぬまで縁があるし、来世も音楽家でありたいです。私にも縁が一つだけあった。