Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

田んぼから畑に

2007-05-16 06:32:48 | 自然から学ぶ



 代掻きが始まって、田んぼに水を張る姿をいくつか見てきた。実はわたしの生家の周りは、ほとんど田んぼしかないから、この時期は耕地という耕地が水が張られているというのが、わたしの印象だった。生産調整の始まった昭和46年ころのことも覚えているが、そのころはまだ始まったとはいってもそれほどの面積ではなかったから、田んぼに水が張られずにいる、なんていうことはそう多くはなかった。畑は家の周囲にあるセンザイバタ程度で、あとは桑畑が少し家から離れた場所にあった。いずれにしても家の周りは田んぼだらけだったから、畑ばかりの空間と言うのは正直いってわたしのイメージできる空間ではなかったといってもよい。

 ところが、今自ら住んでいる場所は、田んぼが家の周りにはない。あるのはかつての果樹園ばかり。そんな果樹園も「かつて」と断るように使われていないところが多いから、簡単に言えば耕作放棄地となるが、かろうじて草刈などが行なわれているから、見るに耐えないという空間ではない。田んぼがまったくないというわけではないのだが、空間的にはかなり限られているし、広大に田んぼが広がるという空間は、天竜川の端にでも降りていかないとない。あまり意識したこともなかったが、考えて見れば、どこからか田んぼのない空間が広がるようになる。

 生家のある場所とそう遠くもないのに農村環境が異なるのだ。伊那谷は、天竜川を北から南下すると、右岸側は、おおよそ水田地帯が展開する。確かに畑地帯が集中するところもないわけではないが、水利のよくない山際などであって、ほとんどが畑地帯というような空間になるのは、上伊那郡から下伊那郡に入ってからだ。もともと水が豊富にあったわけではないから、開田できなかったということもあるかもしれないが、条件はそれほど変わらないのに、なぜ畑のまま現在に至ったのだろう、とそんな地域性というか環境特性のようなものを考えて見るが、想像の世界だ。ほんの少しの傾斜度の違いが、開田をあきらめさせたのだろうか。もちろん田んぼであった場所にも、折からの養蚕景気、あるいはその後の果樹への転換などがあって、田んぼではない土地利用がされてきたところもある。それだけ米より潤いがあったのかもしれないが、そうした背景が、人々の暮らしを形成してきている。歴史は調べれば解るが、どちらが豊かであったのかは、さまざまに捉えてみないと明確にはイメージできない。

 写真は、そんな地形の変化点を捉えて見たものだ。やや下よりを木々が横に走っているが、ここが天竜川支流の前沢川の谷である。手前は上伊那郡飯島町七久保(右側)と同郡中川村片桐(左側)である。もっと拡大した写真でないとはっきりは解らないのだが、手前側には水の張られた田んぼがけっこう見られる。それでも飯島町と中川村の境界あたりにある針ケ平といわれる場所は、丘陵地で水の便が悪いのだろう、畑が集中している。だからさらに北側の地域よりは、だいぶ畑が多くはなっているが、それでも前沢川の谷より向こう側よりは田んぼの姿がたくさん見られる。川向こうは、下伊那郡松川町(左側)と上伊那郡中川村片桐である。この川を渡ると、上段は明らかに田んぼが減少する。

 補足
 ちなみに、耕地面積における水田比率を、平成18年版農林業市町村別データから伊那谷の北から羅列してみると、
 辰野町  59%
 箕輪町  50%
 旧伊那市 67%
 宮田村  84%
 駒ヶ根市 76%
 飯島町  73% 以上上伊那
 松川町  25% 以下下伊那
 高森町  35%
 飯田市  38%
となり、箕輪町がほぼ同数ではあるが、上下伊那の境で見事に逆転していることがわかる。

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草取りにみる性格

2007-05-15 08:16:16 | ひとから学ぶ
 週末といえば、妻の実家の農作業か、わが家の草取りである。先日は、妻も一緒にわが家の草取りをしたのだが、今まではお互い担当の場所があって、お互いが接近して草を取るということはあまりなかった。同じような場所をするにしても、時期が異なるから、あまり妻が作業したすぐあとに、わたしがその隣接地を取るということがなかった。ということで、いつになく妻がわたしの領分の草を取っていたので、妻が取り残した周辺の草取りをすることになった。

 「おや、これ草取り済んでるの…」と思いながら隣接地の草を取る。虫食いのように草が取られていて、いつもの取り方と違う。どうも中途半端なのだ。ぶつぶつ言いながら新たな場所や取り残した場所を処理していく。しばらくしているうちに、妻がどういう視点で草を取っていたかが解ってきた。ようは、妻が自分で植えた草花がある場所を中心に、「まーるく」草取りをしたのだ。だからその外周はそれほどまじめに処理されていないのだ。

 草取りひとつの作業でも、人によって性格というか、違いが現れる。おもしろいものだ。子どものころに好き好んで草取りの手伝いなんかしなかった。長い時間しゃがんでいるから、膝などあちこち痛くなる。できれば早く終わらせたいから、その日のノルマを確認しておいて、そのノルマを早く達成しようと、いい加減にむしり取っていると、「根までしっかり取らないと、またすぐ伸びてしまう」と母に叱られたものである。その根を取る際も、できるだけ土を乱さないように取れと言われたものだ。乱してしまうと、土の表面がほぐれてしまい、草が出やすいという。だからなるべく草かきを使わずに、指先でつまんでしっかりと引っこ抜くのだ。そんな草取りの注意を聞いていたから、今でもその取り方は身についている。ところが、そのあたりが妻とは違うのだ。妻は「なるべく取ったのが解るように目立つところを取って欲しい」と言うが、わたしは片端からきちっと取って行くタイプだ。だから、庭中が一通り終わる前に、また最初に取ったところの草が伸びてしまう。するとまたそれが気になって戻ってしまう。なかなか家中の草が取り終わる、というところまでいかないのだ。それほど母親の言葉を覚えていないのだが、草取りのやりかたは常に草を取りながら頭に浮かぶ。
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擦鉢窪カール

2007-05-14 08:19:44 | 自然から学ぶ


 雪形が現れてくると春というよりは、もう初夏ということになるのだろうか。亡くなった松村義也さんの『山裾筆記』(信教出版)の雪形の項にそんなように書かれている。雪形が美しい季節になった。そんな雪形を追ってみると、広い範囲で見られる雪形というものは限られてくる。尾根のような場所であれば飛び出ているから割合広い範囲で見ることができるが、窪んだようなところに現れるものは、周りの凸部が邪魔して見えなくなる。そんな典型的なものが、中央アルプス南駒ケ岳の擦鉢窪カールに現れる五人坊主といわれる雪形だろう。カールそのものの認識は、かなり広い範囲で確認できるが、その中に浮かぶ雪解けした凸部は小さく、加えて横に並んで表現されるから、尾根の飛び出しが邪魔して五つの坊を確認できる範囲は限られる。正面に位置する飯島町では広くその姿を確認できるが、それでも駒ヶ根市境に至ると見えなくなる。カールそのものが南に傾斜して展開しているため、むしろ正面より南側の方が姿がよく見えるのだ。そんなこともあるのだろう、この雪形が現れると大豆を蒔くなどと農事暦として利用している声は、中川村でよく聞くことができる。

 今年の雪形の姿については、別ブログで紹介しているので、そちらに譲るとして、5/12、代掻きが盛んに行なわれていたこの日の早朝、久しぶりに陣場形山まで登ってみた。さすがに人がいないから、山頂でゆっくり観察することができた。山頂に有志で据えつけられた望遠鏡は、無料でのぞくことができる。人がいるとなかなかのぞくこともできないから、今まで望遠鏡から眼下をのぞいたことはなかった。そういえばいつから据えつけられたのかも認識していなかった。何度も訪れているのに、その存在に初めて気がついたような気がする。雪形から眼下の風景まで一通りカメラに納めていたが、ふと、デシタルカメラは顕微鏡に接眼してその写真を撮ることができることを思い出した。同様に望遠鏡でも簡単にできるはず、と思い、窓にくっつけてみると、ピンともまあまあという感じにみごとに望遠鏡の世界が再現できた。もちろん、小さな窓にくっつけているから、実際は周辺に黒く丸い影が写ってしまうが、それはトリミングすればよい。そうして撮影したものが冒頭の擦鉢窪カールである。先日「五人坊主現れる」なんていう地方紙の見出しを見たが、まだまだ五人坊主にはなっていない。それでもこの雪形、これから周りの雪が消えるまで、どんどん坊主の大きさが大きくなって、長い期間見ることができる。だから、農事暦として利用されていたというが、どの段階を捉えて「現れたら」と言ったのだろうか。この形でも「現れた」と言われるかもしれないし、もっと完全な形にならないと「現れた」と言われないのかもしれないし、どうだったのだろう。こうした雪形の記事はたくさんあるが、意外にもその時間的変化を捉えたものは読んだことがない。

 さて、擦鉢窪カールにの下の方に、擦鉢窪非難小屋が小さく見える。そして、そのすぐ下から大崩落が始まる。百間ナギである。さすがに望遠鏡からのぞく世界は、その自然の姿をよく見せてくれる。今まではただ山頂で肉眼で下界をさぐっていたが、こんな楽しみがあるとは知らなかった。山頂までわが家から30分ほどだから、この楽しみをたびたび味わいたいと思っている。
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何を「売り」と捉えるか

2007-05-13 14:33:33 | ひとから学ぶ
 住居地と同じ行政区の職員ともなれば、実際とは異なる噂が流れたり、妬みから出たさまざまな言いがかりもあるだろう。そんな事実を裏付けるように、近所で「○○は町長と親戚だから偉くなった」とか、「あんなやつはとんでもないやつだから・・・・」などなどさまざまな立ち話の噂を聞いたりする。人口の多い行政区ならともかく、小さな村や町ともなれば、顔見知りがたくさんいるから、噂話は広がりやすい。加えて地方が疲弊している状況なら、安定していると思われている公務員は妬まれても不思議ではない。今や地方の財政難を苦にしている地域は、アンバランスな空間が増幅して、「いよいよ終焉か」というような小さな事柄はたくさん散らばっている。

 生活を第一に考えなくてはならないのは当たり前だが、疲弊した地域こそ、どう地域の将来を築いていくか、考えておかなくてはならないし、目先のことに捉われてはならないことは当たり前だ。そんななか、知人は町のこと、そして町会議員のことなど、行政の視点でさまざまに意見を述べている。基本的に行政にかかわる人は、選挙運動などできない。そして守秘義務にあたるだろうから、誰がどうしたとか、誰が何を言ったなどということは言えるはずもない。だから、たくさんの情報を持っていても、内心はわかっていても口に出さない、という場面が常にあるのだろう。逆に一般の人たちは、もっと「言ってくれればよいのに」と思っても、それが言えないこともたくさんある。そのへんの対応の仕方とか流儀は、わたしたちにはとうてい解らない世界である。しかし、行動は一定の偏りをしてはならないから、誰に対しても不公平はあってはならないのだろうが、それでは、地域の政策とか将来に対して彩っていく行動を示せない。結局どこかどこかで自らの判断をして進めていくことになり、その判断に不公平がないとは言えない。行政とは公平を前提にしながら、その行動ひとつでさまざまに捉えられるから、それが正しかったと、なかなか判断できないことが多いだろう。

 知人が町会議員の報酬を含め、その定数などについても考えを示している。何をやっているかが見えない現実を踏まえると、「こんなに人がいるのか」と思うのも当然で、「こんなに報酬がいるのか」という声だってある。どう行動するかは誰もが見ているのだろうが、多くの住民は、その人たちと接することも関わることもないから、「何かやっているんだろう」程度にしか見えない。確かに何かをやっているのだろうが、その行動やなりを住民がしっかり見ていたとしても、選挙では別、ということもよくある話だ。みんなの代表である、と思えばなかなか言えることも言えなくなるし、その発言そのものが一定の人たちを否定していると言われても仕方ないことも出てきてしまう。いまだもって議員とは何か、行政とは何かと聞かれても、一般人はわからない。議員になったからといって、それまでの生活が忙しくなるから果樹を切ってしまったという人がいた。しかし、その地域が果樹を売りとして捉えているのなら、町を代表しているような人がその売りを切ってしまうようなことは逆行だろう。ずいぶん前になるが、山の中の傾斜地にある梅園がまっ茶色になっているのを見て、「こんな地すべり地帯の畑に除草剤蒔いちゃだめだろ」と思ったことがあったが、その畑はある町の助役の畑だった。確かに忙しくて手が回らなくなることはわかるのだが、そうした行動が正しいとはまったく思わない。同じようにどれほど議員生活が大変か、それほど忙しいのかわからないが、売りとしているモノ、そして本来の生業を見捨てるという行動は、本来の町を執行していく人たちにはあるまじきことだと思うのだがどうだろう。

 わたしはこれほどまでに売りになるモノが衰退し続けるのに、全面にそのモノを売りとして出しているのなら、当然そこに関わっている人たちは否定するようなことをするべきではない、と言いたいわけだ。もちろん、その売りが将来のために正しいかどうか、ということは別である。だから、そうした売りを全面に出すのなら、それを後ずさりさせるような問題にも適切に応えていかなくてはならない。果樹地帯ほど除草剤を撒きまくっているところはない。それもまた、忙しいからそうするのだろうが、土地を売りにしている人たちが土地を汚しいるのだからそれもまた逆行である。「消毒や農薬の影響が、土地や人体にどのくらい影響があって、そのデータでどう判断をしているのか教えてください」とは、町を執行している理事者や議員全員に質問したいことなのだが、それをマイナス視点だと言って否定していたら、売りはやはり逆行ということになると思うのだが、よそから住み着いた者の単純な疑問である。
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ガラス張りの瓦

2007-05-12 13:32:08 | 農村環境


 ブログでこんな書き込みを探し当てた。「宮古高校出身で花園出場経験のあるOBからトマトとケチャップ、ジュースが届いた。突然のことで、○○らしいのだが、生物なので返すわけにも行かず、取り合えずジュースを飲んでみると・・・!!!!これは、濃厚なトマトジュースだ。説明書によると「GOKOアグリファクトリ」という会社のもので、元々カメラを作っていた工場をトマト用として使っているようだ。このトマトジュース、今まで飲んだ中で、一番おいしいよ。無くなったら取り寄せようとネットで調べてみるとジュース、ケチャップともに1000円以上もする。安全でおいしい物はやめられなくなるなあ・・・。ビールを我慢してトマトジュースにするか!?」とまあ、トマトジュースの話である。ジュースというやつの多くは、闇の世界に入っていて、そのまま口をつけて飲んだりするから、中身に何が入っているかしらないうちに飲んでしまうなんていうこともある。トマトジュースだって、瓶詰めならともかく、缶となったら、ほとんど見ることはない。加工後の姿だけ見ているから、中に何が入っているか、なんていうのは、内容物の表示を信用するしかない。ところが、こうしたジュースも衛生的には、けっこう危なそうな話をよく効く。地方の地場産業品なんていうのも、けっこう場所によっては不衛生の場合もありそうだ。

 さて、ここに登場するGOKOのトマトジュース、飲んだことはないが美味しそうという話で、近くで作っているから今度味見をしてみたいものだ。実は冒頭の写真。まさにこのGOKOアグリファクトリの工場である。これもまた、犬の散歩をしていて通りかかって、朝陽の逆行に浮かんでいるガラス張りの屋根が、雲海のごとく光っていたので、思わず伊那山脈の山並みに融合させて見たくなったのだ。波の向こうに点々と光る家々は、中川村大草である。

 この施設、10億円を投じて温室栽培の野菜生産工場を造ったという。今や野菜も工場生産品である。もともとここにはGOKOカメラというカメラ生産工場があった。それが一転して野菜工場へ変身したのだから見事な変わりようである。2.3ヘクタールのガラス張り工場は、年間800トンのトマトを生産するらしい。同社の紹介によれば「ミネラル豊富な天然水と、トマトに必要な栄養を使った養液栽培で育てています。「オランダ式養液栽培法」を採用。土を使わず、工場内をできるかぎり無菌状態へ近づけることにより薬品の使用を極度に減少させています。廃液循環利用などのクローズドシステムを採用した環境保全型工場です。」というから、衛生的といえばそのとおりなのだが、そこからは土の香りはまったくしない。超衛生的なトマトと、土臭いトマト、何年もすると、前者のトマトでないと若者が食べなくなるかもしれない。
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実の成る花さまざま

2007-05-11 08:19:21 | 自然から学ぶ


 梨はもちろんだが、実の成る木の花が盛んに咲いている。
 
 リンゴの花は、咲く前のつぼみの時に周りがピンク色になる。しかし開いてしまうとそのピンク色は見えなくなる。なぜ?なんて思うが、花びらの裏側をのぞくとつぼみの時の赤さは消えている。よーく見ると、薄っすらとピンクがかったところが残っている。花が咲くとあの赤みは薄ぼけてゆくのだ。リンゴの花が咲くと、摘花作業が始まる。梨は花が咲いたところで受粉させて、あとで摘花となるが、リンゴは咲いているうちに摘花となり、賑やかだった花は急にまばらになる。

 「リンゴの花ッコが咲く頃は おら達の一番楽しい季節だなや・・」はご存知美空ひばりの「リンゴ追分」の中のフレーズだ。リンゴの花が散るころのつらい別れを歌っているが、歌になるほどこのピンク色の可憐さが歌に取り上げられるだけのイメージを持っているのだろう。[撮影 2007.5.3]



 次はブルーベーリーである。ほぼリンゴと同じ頃咲く。筒状で風鈴のように小さな花をたくさんつけるのだが、花がたくさんつくほどに実が多くつくからそれだけ良い木ということになる。実はブルーベーリーを生産しようとしている人は多い。けっこう収入が良いという。わが家でも妻が実家に植えたのだが、なかなか育ちが良くない。なにより肥料と水をたくさんやることが大事だというのだが、それがなかなか良い木にならない。わが家の隣接地にたくさんのブルーベーリーを植えた人がいるが、すごい量の肥料と水を豊富に与えている。さすがに2年もするともう収穫できるようになり、だいぶ稼いでいるようだ。妻はそのブルーベーリーを鉢植えにして植えてみたところ、育ちが良いのだ。この花も鉢植えのブルーベリーである。なぜかは解らないが、鉢植えなら肥料は効果的であることは確かだ。妻は痩せた畑に植えたものも鉢植えに植え替えると言っている。[撮影 2007.5.5]



 最後はアケビである。雰囲気はちょっとブルーベーリーに似ている。紫の6枚の花びら?がUフォーキャッチャーのような指先を見せる。雌雄同株であるが雌雄異花となる。6枚の花びらを見せているのは雄花で、雌花はまだ開いていない。[撮影 2007.5.5]
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何がどう「もったいない」のか解っているのか

2007-05-10 08:20:20 | ひとから学ぶ
 「農業構造改善」2007.5号に〝「もったいない」再考〟(農政ジャーナリスト・岸康彦著)という記事があった。専門誌の記事だから、素人、常人には解らないほどその世界にいてある程度唐突に書き始めても理解してくれる、というのが前提で記事は始まる。だから、ちょっと解りづらいのだが、ようは、暖冬で野菜が過剰になって、それをニュースなんかで畑に廃棄して公金を使っているのが「もったいない」とお叱りを一般から受けていることに対しての記事のようだ。では「もったいない」ならどうすればよいのか、といえば、消費者がその廃棄分を消費してくれるというものではない。もっとも合理的で、もったいなさがない行為としては、廃棄せずとも人様の口に納まれば、それが最善の策だ。ところが、言う方はただ「もったいない」というだけで、現実的にどうすればその「もったいない」が解消できるのか、といえば案はないのだ

 岸氏は、こうした報道に対しての情報提供が農水省として不足していたという。その一つは公金が支払われているなどと言われるが、それらの原資は生産者自らが積んでいるものであって、ようは補償のようなものなのだ。それをあたかも公金ですべて支払われてこんなもったいないことをしていると知れば、無知な人たちだって言いたくなる、というものだ。そして二つ目に、「廃棄」という言葉である。現実的には、ゴミと同じように焼却されるようなものとは違う。農地に戻すことによって還元させているわけで、生産者の悲しみの声(実際生産者だって泣きたいとは思うが)を誇大化するイメージで報道してしまうから間違いが始まるわけだ。せめて「農地還元」という言い方ができなかったのか、と言っている。

 岸氏は締めくくりにこんなことを言っている。「パーティーなどで大量の料理が余るのは相変わらずの光景である。それを堆肥化して畑に還元する試みも徐々に定着しつつあるが、そのために費やされる手間や費用を考えれば、初めから余らせない方がいいに決まっている。さらに言えば、外国で生産された農産物を、大量の化石燃料を使ってはるばる日本まで運んでくることは「もったいなくない」のか。」と言う。まさにその通りで、わたしが良く言うように、生産者と消費者はより近いほど無駄がなくなるということと同じだ。生産者と消費者が同一なら、こんなことにはならない。ところがさまざまな仕事が分化していくから、それぞれの分野での価値観が優先されてしまう。確かに経済性は安価な方に向くだろうが、では、環境を騒いでいるあなたたちはどちらを選択しているのか、と問いたい。
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どうでもよいでは済まないのだが

2007-05-09 08:27:49 | ひとから学ぶ
 このまま憲法を変えずに日米軍事協力を強化していって、名ばかりの憲法と化していいのか、それとも新たなる日本国民による憲法を組み立てるのが選択として正しいのか、という二者択一の選択ではないことは、多くの国民は解っていながら、議論する余地のない一般人の日常に、憲法はどうでもよいことになっている、というのが事実だろう。改正肯定論がこれほど漂っているのだから、そんな国民は押し付けられた憲法ではなく、自分たちの憲法を制定することがあたかも正論だと思わされている節がある。日々の暮らしに追われるとともに、これほど地方と中央が空間的には近くなったにもかかわらず、住民の声はますます遠く離れつつある。同じように人々と政治は離れたものになり、「どうでもよい」という雰囲気はさまざまな選挙の投票率をみれば理解できる。たとえ投票率が上がろうとも、「どうでもよい」と思っている人たちに、深い意図はない。投票率が上がればよい、なんていう問題ではなく、いかに人々が真実を見ることができるか、ということを国民は問われているように思うのだ。その上で国民が政治に騙されたとしても、それは自業自得というもので、真実を見ていた人たちは愕然とするかもしれないし、また拍手を送るかも知れないし、やはりどう転ぼうと「どうでもよい」の方が正しそうに見えてきたりする。

 今参議院選挙の争点を「憲法改正」で行くという安倍総理。言葉だけを聞くと憲法改正に対する是か非かという争点のように聞こえるが、これだけの争点だったら国民は自民党ノーとは言わないだろう。世論からして改正論者の方が多いのだから、自民党圧勝ということになる。「上手いなー」というのが印象であって、これほど護憲に対する盛り上がりがあっても、改正の是非だけでは相手にならないことを承知の上での争点なのだ。憲法改正の先にある思惑まで是非を問うているわけではないのに、国民は結局それすら肯定することになりかねない。何より争いの相手も憲法改正に対しては足並みが揃わない。当たり前といえば当たり前で、改正是非だけでは判断できないさまざまな内容を含んでいる。本当は憲法改正の先にある9条改正とか、安全保障を焦点とするのだろうが、国民に憲法は自分たちのものなんだという是非で問おうとしているのが上手いところなのだ。そのやり方に批判もあるが、まさに安倍総理の企みに政治も国民も惑わされているわけだ。改正憲法が明確に示されずに、さらにはでは改正の重要な意図に添って何がどう変わるのか、あるいは何を重視してどう行動するのか、ということは何も示されていないのに、争点もへったくれもあったものではないはずなのだが・・・。このあたりのやり口は、小泉流を受け継いでいるのかもしれない。

 盛んにテレビ番組なんかでもそうした憲法に関する話題を取り上げているが、どちらかに片寄ったものになりがちである。それも当然のことで、このごろの議論は両者間が相容れるような内容にはならない。ようは水と油のような番組になってしまい、まったく話にならないのだ。議論がなかなかできなくなったという印象はこと政治の世界ばかりではない。人の意見を解釈できない、あるいは議論することを好まない、それがまた「どうでもよい」という雰囲気を漂わせる。
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田んぼに映るモノ

2007-05-08 08:21:39 | 農村環境


 電車の写真なんかめったにフレームに入れたこともないわたしだが、連休ということもあってちょっと遠くまで犬の散歩にでかけて撮った飯田線の写真である。昔ならともかく、このごろは水田も転作していて水が張られないことが多い。張ってあってもなかなかこんな具合に背景がうまい具合に映し出されるような場所はない。そして飯田線沿いで水が張られているともなるとさらに少なくなる。まだ周りの田んぼは起したばかりでどこも水が張られていないのに、この田んぼだけ張られていた。小さな田んぼで、まわりのよけいなものをトリミングしないと、なかなか絵にはならない環境だ。午前6時過ぎだから、始発ではないが二番目の電車である。

 こんな田んぼの水面に逆さに映すような写真は、波が立っていると撮ることはできないし、また代掻きをして田植えをするまでのわずかな期間に限られる。しかし、そんな写真を撮ろうと、アマチュアカメラマンは場所探しをするのだろう。阿智村の園原にある義経駒つなぎの桜は、田んぼの土手に咲いている。この桜が開花している期間は、わざわざ田んぼに水を張って桜がその水面に逆さに映るようにしている。もちろん昔はそんこともしなかったし、桜見物のための歩道などもなかったのだが、今では時期になると大勢のカメラマンが登場する。カメラマンにとっては、水面が格好の道具になるわけだ。同じようなことはあちこちで求められているもので、そうした水面に映し出された桜の写真を多く目にする。

 さて、そんな映し絵の世界を設定することで、人を呼ぶことは可能なのだが、意図的そんな風景を売りにしているケースは少ない。もちろんわたしはそういう売りは好きではないのだが、本気にやろうとするのなら、なんでもない田んぼのある風景が、大観光地になる可能性はある。かつてのように形状が整っておらず、加えて農道があまりなく(当然舗装などしてないのは当たり前だが)、畔に季節の木々があり、団地化した田んぼの風景ならかなり好まれる風景だ。そう、桜だけでは一時的だから、そうでない季節の花を咲かせる木々を植える。もちろんそうした木々は観光目的だけに植えるのではなく、農作業の際の休み場としての「日陰」を作る空間ということになるが。そんな空間は今やなくなってしまったが、あったとしても転作されていたり、耕作放棄地であったり、なかなか環境が揃うことはこの時代にはない。いわゆる棚田百選なんていうものも設定されているが、いくつもそんな棚田を見ているが、総合的な風景として調和している場所など皆無といえる。わざわざ休憩施設をそんな空間に設ける必要はないし、大きな駐車場を設ける必要もない。どう人々を迎えるか、という部分についてはいろいろ方法がある。そこまでは紹介しないが、棚田オーナー制度とか、農業体験なんかに捉われていて、風景として残そうという取り組みはまだまだ良い例が見られない。水田のある風景は、日本人にとっては故郷みたいなものだったと思うのだが、まあそんな気分を持てない人たちばかりになるのも間もなくである。

 たとえ整然と整備された田んぼであったとしても、意図的に転作をせずに水を張る空間を連続して設けると、きっとそんな風景が少なくなっただけに、注目されること間違いないはずである。

 冒頭の写真は、中央アルプスの南駒ケ岳を背景にしたものである。そして末尾に紹介する写真は、宝剣岳を背景にしたものである。後者は先ごろ「人の集まる空間作り」で紹介した菜の花畑に隣接する田んぼである。菜の花がよいか、水の張られた田んぼが良いか、好みは違うだろうが、こうした水の張られた田んぼが連続しているともっと雰囲気は違ってくるし、さらにそこに米作りが営まれていることが生きた風景となると思うのだがどうだろう。

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怪しい看板「地域協働のまち」

2007-05-07 08:23:19 | つぶやき
 金を使わずに財政的に安泰、なんていうケースは当たり前のことで、そうはいっても必要なことをして財政面を検討していくのが行政なんではないかと思うのだが、違うだろうか。自治会の新年度総会なるものがあって顔を出したが、ほとんどは決まりごとの報告だから、手短にやって欲しいと愚痴をこぼしたくなるほど意外にも時間がかかった。加えて町の新年度予算の説明をわざわざ町から来てやってくれたが、表立ったことの説明で「わざわざ」という感は否めない。そういうことも聞きたいという人もいるのだろうが、だからといって町が住民へアプローチしていると思い込んでほしくない。

 さて、そんなどうでもよい会議だから早く終わって欲しいと思っていたら、最後に隣家の議員さんが今町が大きなテーマとして捉えている小学校の統合問題の最先端の噂話をしてくれて、この日の会議の最も盛り上がりを迎えたとともに拍手がわいて良い雰囲気を漂わせた。小学校のことについては、わたしは以前ここで触れた。確かに財政的に厳しく、加えて複式学級が全学年に該当するような学校が出てきているから、統合を視野に入れた小学校の再編は致し方ないという印象は持っている。しかしながら、学区を変えるなどして工夫をして子どもたちの学び舎を整備していく方法がよくないか、と提案した。もちろん、そういう子どもたちの学びを重視して1校への統合という選択があっても仕方ないのだが、どうも町当局は財政面を前面に出して1校統合を視野に入れているという。生徒数が多い学校=人口が多い=多数決ならそこへ統合、という図式が見えてくるのだが、そんな誰でも考えそうな流れに、金がないからくみ安しと考えているとしたら、そんな町が住民自治とか住民主導なんていう口上をしていたら「ふざけるな」と言いたくなるのはわたしだけではないはずだ。金がないからといっていかにもパフォーマンスをしているのなら、そんなパフォーマンスは即刻止めて欲しいものだ。

 そんな怪しい噂話を耳にして思ったのだが、平成18年度には町制施行○周年なんていってさまざまなパフォーマンスが繰り広げられた。そんな中のひとつに町史編纂というものが確かあったはずだ。その年にはその町史のひとつが発行されるという噂を聞いたが、音沙汰がない。既に発行されたのか、はたまた遅れているのかもまったく闇だ。いや、わたしが認知しないだけで、そんこと知らないのはおまえだけだ、と言われそうだが、元来町史編纂とはいえ、これほど闇の世界で編纂されている例は、他の自治体で見たことがない。それでもってまったくその発行される町史の注文すらされない。注文数がはっきりしないのに何部発行するのだろう、なんて疑問は湧くばかり。まったく怪しい。この町の行政の世界に、もしかして町史編纂を理解している人がいないのではないか、と思わざるをえない。だれがやってるのか。そして町民無視なのか、ということだ。もしこのブログを見るこの町の人がいたら、ぜひここに回答してもらいたいものだ。

 とまあ、怪しさいっぱいだが、実は先ごろ町長選挙かあって無投票再選だった。よほどのんきな町民なんだと、もしかして町当局は影で笑っているのではないか。
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名前ばかりの観光県

2007-05-06 09:33:17 | ひとから学ぶ
 「長野県政タイムス」4/25号のマルチ・シンク欄において、“長野県観光の「売り物」は何なのか”と投げかけている。県の企画局が4/4日に、東京、中部、大阪の3大都市圏を主な対象に、県内観光地の認知度や満足度を調べた調査結果をまとめたことについて、信濃毎日新聞Webページで4/5に触れていたが、「温泉のお湯の豊かさ」や「スキー場の雪の質」など観光資源そのものへの評価は高い半面、宿泊施設の「食事」「設備サービス」などの満足度が低い傾向が浮かび上がった、と述べている。そんな調査結果に触れてこのテーマを掲げているわけだ。そんな県政タイムスの見出しを見てなのか、読売新聞の5/3Webページにも同じアンケートに触れた記事が掲載された。その記事を転載すると、

「宿泊施設と食事はいまひとつ 県観光調査」
(前略)
 別所、昼神、白骨の3温泉地について尋ねた「温泉」の項目では、「お湯の豊かさ」「温泉の効用」といった温泉そのものの評価では、重視度と同程度の40%前後の満足度を獲得したが、「宿泊施設の食事」は、重視度61・8%に対し、満足度は13・1~21・2%にとどまった。

 また、志賀高原と木曽・御岳、奥美濃(岐阜県)、湯沢・苗場(新潟県)の4エリアを比べた「スノーリゾート」では、ゲレンデの広さや雪質で、満足度が重視度を上回るなどしたが、県内2エリアの「宿泊施設の食事」や「宿泊施設の設備サービス」は満足度が重視度を最大で20ポイント近く下回った。

 安曇野や戸隠高原などを対象にした「高原リゾート」でも、「宿泊施設の食事」「宿泊施設の設備サービス」の満足度が、重視度を20~34ポイントほど下回り、善光寺や高遠城址など「観光名所」でも同様の傾向が見られた。
(後略)

という具合で、どうも食事の満足度は低い。県政タイムスによると、食事だけではなく、スキー場の設備サービスの項目でも満足度は低いようだ。

 長野県は観光県といっても差し支えない。そして県も観光に重点を置いているようだ。実は「消えた村をもう一度」と題して観光パンフレットを紹介してきているが、昭和50年代の観光パンフレットを見る限り、長野県内の各市町村で発行していたパンフレットは、他県のものより立派で、あか抜けていると印象がある。しかしながら、実際のサービスはどうだったのか、と捉えると必ずしもパンフレットほど内容は濃くなかったのではないだろうか。かつてのパンフレットには、かなりマイナーな文化的な部分まで掲載して、ひなびた農村を色濃く示している。しかしながら、写真などで紹介したそれら農村が、今も同じようにパンフレットに登場していたら、癒しを求めるようになった日本人には、ことごとく気に入られたに違いない。しかし、そうしたかつてのパンフレットに掲載されたような素朴さは、現在の観光の世界からは消えてしまった。素朴でありながら、その素朴さは大事にされずに、ことごとく消されてきたように思う。それもやり方、あるいは認識の度合いであって、工夫しだいではどうにでもなったはずなのに、目先のものに捉われてしまった感は否めない。

 仕事がら県内のあちこちを歩いた。そしてあちこちの観光地に宿泊した。そうした中で、料理が期待以上に良かったという印象は、ほとんどない。だから、金額にもよるが、「期待するのはやめた方がよい」という感覚が見についてしまった。ひとそれぞれ趣向が違うから、誰もが満足するなんていうことは無理だ。しかし、だからといって手を抜いてしまったら観光県が笑われる。長野県らしい山のモノで食事が提供できればよいと思うのだが、そのほとんどが県外からの食材をメインとしている。いや、昔のことで今は変わりつつあるのかもしれないが、「らしさ」という意味ではまだまだ自分の土地を理解していないのではないか、という印象は抜けない。特に観光産業と提携しているような場での食事は、より一層長野県の特色を出さなくては、こうした評価はあがることはないだろう。とはいえ、その傾向は他県でも同じかもしれない。しかし、観光県という看板を上げているという事実に対して、その期待の裏切り方は並ではないと思う。

 ある地域のひとつふたつの宿の食事が満足できるだけではだめなのだ。地域全体が満足できるような姿にしていかなくては、変わることはできない。
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みどりの日の草刈

2007-05-05 09:55:08 | 農村環境


 田植えの前、まだ荒じろをかく前の田んぼの土手の草をきれいに刈る。畔の上とその両脇を刈るのだが、内側の草を刈っていると妻が「刈り方がよくない」と注文をつける。田起しをしてあるため土が邪魔して刈りにくいのだ。そこそこ刈れていればいいかと思ってすばやく刈ると、もっと丁寧に時間をかけろという。なにしろモグラが多くて、畔のあちこちに穴が開いている。それを見つけやすくするためにも、きれいに刈る必要があるという。

 ふだん草刈機は自前のものを持参して草刈りに行くのだが、この日は持参するのを忘れた。そこでふだん妻が愛用しているナイロン製の紐状の草刈機を使う。実は鉄製の鋸刃と紐状のものには大きな違いがある。もちろん形状が違うのは当たり前なのだが、凹凸のある場所の草刈りをするのには、紐状の方が大変やりやすいのだ。だから山間地なんかの地形が一定しないような場所には紐状のものが向いている。ただし、低木や太い茎に育ってしまったような草は、紐状のものでは無理だ。そんな草刈りになると、わたしの手が必要とされる。だからとくにそういう図太いものを刈るとき以外も、通常は鋸刃のものを使っていた。しかし、久しぶりに紐状のもので草を刈ってみて、大変作業が早いことに気がつく。考えてみれば、凸凹していても鉄製のものと違ってその地形の変化に対応して刈ってくれる。鉄製のものなら土の中に刃が入ってしまって止まってしまう、あるいは石に当たって火花を出すなんていうことになるが、そういうことはない。だからとくに石積、あるいはコンクリート構造物、フトン篭なんていう邪魔なものがある場所には紐状が一番なのだ。ただし、この紐状のものは、紐の回転で殴り倒していくわけだから、モノが飛ぶ。妻も隣家の近くで草刈をしていて、サッシの窓ガラスを何枚も弁償したことがある。だから近くに人がいたり、大事なものがある場所では使えない。そのくらいだから、刈っている本人にも土やら草が飛んでくる。それでも鋸刃にくらべれば安全だから、妻の実家のまわりでは、ほとんどの人たちがこの手の草刈機を愛用している。

 さて、安全にこしたことはないのだが、この機械に大きな欠点がある。ナイロン製だから、紐が磨耗してなくなると、巻いてある紐を少しずつ出していく。ようは、環境上から考えれば、世の中にビニールを撒き散らしているわけだ。妻とも「こんなものがどんどん消えていっているのだから大変だよね」とよく話すが、そういう意味では環境にやさしくはない。こんな時代なのだから、紐とはいっても土に帰るような材質で考えてもらいたい。

 文句を言われながら、畔の内側は鋸刃の方が妻の意図に合致するとわかり、鋸刃の機械を使う。そして写真の土手である。こんな土手ばかり持っているから絶えず妻は愚痴をこぼす。もちろんこんな土手はわたしの仕事となるが、あまりに急で年に2、3回ほどしか刈らない。どう見ても45゜より急だ。そして、高さが5メートルほどある。こういう土手には、回転をレバーで一定にさせているような草刈機は合わない。なぜならば、もしもの時に回転が落ちないからだ。もしも、のときにすぐに回転が落ちるような握って回転を上げるような草刈機がよい。ということで、二種類の機械を使いまわして、草刈は終わった。



 草を刈ったからといって、それで終わりではない。こんな土手の草を刈ると、下にある側溝に草が落ち込み大変なことになる。だから側溝をさらってきれいに片付けなくてはならない。一口に草刈と言ってもその環境は大きく違う。草を片付けていると、妻が何かを見つけたようで反応している。側溝の中に2匹のカニを見つけたようだ。コンクリートの側溝でもカニは生息する。ようは側溝の中に土が溜まったり、あるいは目地から草が生えてきたりして生息可能になる。コンクリートだと生き物に優しくないなんていうことを言うが、なにもかもダメなわけではなく、その管理によって生き物は住む場所選ぶ。
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人の集まる空間作り

2007-05-04 09:27:35 | ひとから学ぶ


 ゴールデンウィークである。高速道路が各地で30キロ以上という渋滞を起していると聞くと、そこまでして行楽に生きたいんだ、なんて思ってしまい勝手なお世話だと言われそうだが、実は連休だからといっていわゆる「行楽」などといった行動に出たことがないから、わたしにはまったくの世界である。連休といえば田植え前の草刈やら、自宅の草取りに励んでいる。

 さて、写真は木曽駒ケ岳宝剣岳を背後に、菜の花を撮ったものである。説明するほどでもないかもしれないが、実は、この写真を撮ろうとしていると、そこには何台もの車が止まる。わたしが撮ろうとしていると次々に車がやってくる。その空間設定とはどんなものか、といえば、もちろん残雪の宝剣岳が背景にある。そしてこの菜の花は、約3反歩の田んぼ一面に植えられ花が満開状態である。地形の傾斜が約5パーセントくらいだから、3反歩ともなれば畦畔が大きい。だから一面を彩る菜の花も目立つが、下のほうから山すそ近くまで近寄ってゆくと、畦畔上に菜の花が咲き、背景の山との間にある障害物を消してくれる。だからこんな感じに両者が別空間にあるように映し出されるのだ。それだけでは人目を引かない。周辺にスイセンの花が高い畦畔に沿ってたくさん咲いているのだ。すでにスイセンは時期を逸しているが、標高が高いだけに、まだ咲いている花も多い。ベストな季節ではないのだが、まずそんなスイセンが人目を引き寄せる。

 そんな空間に加え、光前寺という寺が近くにあったり、木曽駒ケ岳の登山口ということもあって、観光客も多い。スイセンが咲く4月上旬あたりから、土日ともなると、この周辺はこんな写真を撮ろうと車が止まる。とくに駐車場など用意されてはいないが、片側1車線の道で、そこそこ広い、そしてそれほど一般車が多くないということもあって、路上に車を止めてはカメラを構えるのである。駒ヶ根市近在で、これほど車が路上に止められて、人が歩いている場所はない。飯島町でコスモスが盛んに咲くころもけっこうそんな光景を目にするが、そちらは場所が一定していない(年によって場所が違う)。

 写真を撮るだけだから地域にお金が落ちるわけではないが、意図的にこういう空間ができあがっても不思議ではない。実はそんな空間づくりがあちこちで行なわれているような気もするのだが、そうしたものの一つに桜や花桃がある。どうせ意図的に作り出すのなら、わたしに企画させてもらえれば人呼びできそうな気がするが、わたしの意図に反する(意図的に作ると、知らないよその人は昔からそんな光景があったみたいに思ってしまう。そんな観光で人を呼ぶのは長野県らしくないとわたしは思う。)のでこれまでとする。

 撮影 2007.5.3 AM
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ため池の土手にスミレ

2007-05-03 07:58:03 | 自然から学ぶ




 わが家のあたりでもようやく梨の花の盛りが過ぎ、散り始めたとともに葉の姿が目立つようになった。季節がしだいに標高を駆け登っていくのは、わが家より低いところを歩く、わが家より高いところを歩く、そんなバリエーションで十分体感できる。だから、このごろはしばらく梨の花を追って犬の散歩をしていた。先ごろ、休日というこもあって、少し普段より遠くまで足を延ばした。もちろんわが家より高いところを目指してである。中央自動車道より山付けまで登ると、まだまだ梨の花の盛りである。そんななか、以前センブリを見つけたため池まで足を進めた。ワレモコウやリンドウなんかの姿も見えたため池だけに、家や耕作地がある空間では、このあたりでは珍しいほど自然が残っているため池である。ため池のすぐ近くまではセイヨウタンポポばかりが道端に咲いていたが、ため池の空間に入った途端に、在来のタンポポの姿が目立つのだ。やはりちょっと違った空間である。ここから山奥に入った山の中のため池が自然いっぱいというのは解るが、すぐ前を、ゴールデンウィークそのものを象徴するように、賑わった中央自動車道が騒音を響かせていると言うのに、この空間は穏やかな流れである。このアンバランスがとてもわたしには好みである。

 そのため池の土手に、よく見ないと気がつかないほどの小さなスミレが何株も姿を見せていた。よーく見ないと踏んづけてしまいそうなスミレである。スミレは、長野県内に40種類ほどあるというが、スミレということは解るがなんというスミレかまではわからない。花の形が大工さんが使う墨入れに似ていることから「スミレ」という名がついたとも言うが、大工さんの墨入れを最近あまり見ることはない。昔は生家にもその墨入れがあった。大工さんであったわけではないのだが、祖父が使ったものなのだろう、生家を造る際には祖父も手伝ったという。昔はこうして農家なんかにもあった道具なのかもしれない。確かにその墨入れは独特な形をしていて、スミレそのものだっようにも思う。

 ため池から少し道を歩いたところにも色の薄いスミレが咲いていた。ちょっと品種は違うようだ。さて、このため池、ワレモコウを見に来たころと、今の姿は知っているが実際の灌漑期間に訪れたことがない。あまり、水位が高かったという印象がないため、一年中あまり水は多く溜まっていないような気がする。どう利用されているのか解らないが、このあたりではちょっと特異な空間だけに犬を連れながらしばらくは通おうと思う。実は今から20年近く前のこと、このため池のすぐ南側は山(山というと山を想像してしまうが、平地と山の境にある平地林のようなもの)だった。そこを切り開いて今は果樹園になっているのだが、切り開く前はすごい藪状態で、その藪の中にこの季節、たくさんのタラノメが出ていたことを思い出す。仕事でやってきて、山ほどタラノメを採った覚えがある。今では果樹園になってしまい、すぐ脇の道に名残りのようにタラノメの株がいくつか見えているが、「この場所は山菜を栽培しています」と看板が立っている。かつての姿を知っている私には、不思議に映るのだ。
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5月4日って何の日

2007-05-02 08:17:51 | 歴史から学ぶ
 通称ゴールデンウィークというが、この期間の祝日の連続は、どの日が何の日なのかも解らなくさせる。子どものころは、5/5が子どもの日ということは理解していたし、4/29が天皇誕生日だということも割合覚えていた。では5/3は?と聞かれると、ちょっと考えないと出てこなかったものだ。もっとも意味ありげな日なのに、もっとも疎んじられていたのかもしれない。そのころは土曜日が休みじゃなかったから、とびとびで学校へ行ったものだ。その後どうでもよい間に挟まれた5/4が指定休のようについでの休みにされ、休む方には気楽な連休となった。この時代、サービス業が盛んだから、人が休む日にこそ一生懸命働く人たちも多い。だからいっそ4/30から5/2も祝日にすればよいのに、なんて思ったりするがどうだろう。でもわたしにしたら、こんな時期に何日も休みがあるより、正月の休みを長くして欲しいと思うばかりだ。

 さて、今年も5/4は「国民の休日」かと思っていたら、なんと「みどりの日」だという。またしても祝日が知らない間にいろいろ変わっている。「知らない」やつが認識不足で、間抜けだと言われればその通りだ。妻に「5/4って何の日か知っている?」と聞くと、やはり「国民の祝日」という。やはりわたしだけではなかった。みどりの日になったということは、昨年までの4/29は何の日になったのかと思うと、「昭和の日」だという。4/29だというのに、とくに「昭和」を意図した報道も聞かなかった。過ぎてから何の祝日だか解ったようではまさに間抜けで、祝日であることを忘れて会社に行かなかっただましかもしれない。

 子どものころ、よくこんなことを思ったものだ。祝日だと暦にあっても「本当に休みなんだろうか、もし学校だったらどうしよう」なんて悩むのだ。もっといけないのは暦にない休みだ。学校ごとの休み日があるものだが、そんな休みはそんな不安がとてつもなく大きくなったものだ。気の小さいとはこんなものなのだ。子どものころのそんな思いは、今も時おり思い出すことがあるし、「あれ、今日って休んでもよかったっけ」なんて思うこともある。

 ところで「子どもの日」のことは子ども体験があるから忘れることはない。でもその主旨を改めて読んでみるとこんなことが書いてある。「子供の人格を重んじ、子供の幸福をはかるとともに母に感謝する日」が祝日法に定められた意味である。最後の「母に感謝する日」ということをわたしはまったく認識していなかった。きっとわたしばかりではないと思うのだが、5/4がみどりの日になったことすら知らなかったわたしだから、そんなことを行っている間抜けは多くはないのかも知れない。よく「母の日」という日があって盛んに商戦にのぼるが、実は5/5も「母の日」みたいなものだ。

 とまあ、情けない話ばかりだが、これもどの日が何の日というより、「ゴールデンウィーク」という祝日になってしまっているためだろうか。
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**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****