Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

年取りそして新年会

2006-01-01 23:48:14 | ひとから学ぶ
 年取りの食卓に並ぶものを話題にしたが、家族でそれこそ、「今はどういう年取りをしているのだろう」という話題になった。息子に母は、学校で友達に聞いてみたら、というような話をした。そして、○○さんの家はきっと豆や田つくりなどしっかり出しているよね、という会話になった。その判断基準は何なのだ、ということになって、「年寄りがいるからきっとそうしている」という話になったが、単純に年寄りがいればそうとは限らないのじゃないか、とはわたしの言葉だった。
 今日は毎年恒例の隣組の新年会である。そこで年取りの食卓について聞いてみたところ、まだまだ多くの家は豆や田つくりというような年取りに彩られる品が並んでいるようである。が、それはすべてではなく、ふだんの食事をとるというような家もある。また、必ずしも鰤をたべるとは限らないようで、年取りに並べられるといわれる品はあっても、必ずしも年取り魚を意識していないという感じがする。
 さて、隣組の新年会は、毎年午後3時に集まって、元旦から営業している店で酒宴となる。かつては家を回っていたのだろうが、わたしがこの地域に新築したときから、すでに外へ出て新年会という形になっていた。わたしが子どものころの実家では、家を持ちまわりで新年会を行なっていたもので、昭和50年代になると、元旦に遠方へ初詣に行きたいというような家もあって、新年会を元旦に行なうということはなくなったようである。いっぽう妻の実家では、やはり持ちまわりで家で行なうということは10年余前にやめたようで、今は集会所に集まっての新年会となっている。いずれにしても、三が日に遠出をするという環境はそこにはないから、ちまたで流れるような元旦の行事への参加とか、正月を温泉で過ごすなんていうことはありえない。ましてや海外で過ごすなんていうことは、違う世界のことである。
 
 写真は大晦日にここから数キロ離れたところで撮ったものである。この写真を撮った場所は、天竜川に架かる橋の上である。かつて天竜川の西と東にあった村が合併して、両者は大きな川に阻まれて、なかなか相容れない部分があった。しかし、この橋が架かることによって、両者は歩み寄った村づくりをしてきた。その象徴ともいえる橋は、盛んにこのような写真にされる場所を提供している。
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