Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

タテ割り社会へ

2010-07-30 12:52:25 | ひとから学ぶ
 よくタテ割り社会として批判される役所であるが、役所に限らず時代はタテ割り社会を助長しているとも言える。その最たるものが個人情報保護と言われる環境である。仕事がら役所との付き合いが深いことは今までにも何度も述べた。逆に言うと役所から仕事を貰っているというあたりからして、怪しい会社とすぐに解るだろう。役所の仕事がなければなかなか組織が成り立たないという世界は多い。役所が手抜きをして委託に出せば、それをもって収益としている会社は潤う。昔は委託するということをせず役所ができることはやっていたのだろうが、今やそれをしないと仕事が回らないようだ。しかし、本来役所が「手が間に合わない」といって委託するものと、「手を出せない」といって委託するものはその意味が異なる。前者は本当に人数的問題であって、例えば仕事が集中したりすれば人手を借りるしかない。しかし、後者の場合は人手があっても専門性が高いために出せない分野があるということであって、複雑化した社会はそうした分野を広めてきた。しかし考えようによってはそれが自治体格差のようなものを生んだだろうし、役所頼みの会社を育んだりした。そこに生まれたのが随意契約も含め怪しい関係の契約である。複雑化した社会は自治体をも複雑化し、強いては「専門性」という名の下によく言われるひも付き法人をこしらえたりした。果たして役所が担うもの、役所が自らしなくてはならないもの、という明確な境はないのだろうか。タテ割りしなくとも良い環境とは本当にできないものなのか、というあたりが問題の所在なのだろうが、実はこの解消は永遠に不可能なことなのだと、前述した個人情報保護に関わって感じる。

 農業に関する具体的な、それも限定的なデータを作成しよう、あるいは計画の樹立で求められたりした場合、当然委託した側である自治体にその実数をこちらも求める。しかしである。そのデータは容易には開示されない。個人を割り出せるようなものはその用途において開示できるものとそうでないものがある。さらにはもし開示できないものでも必要性があるとすればその責任の所在を明確にしたうえで役所内でも利用ができる。そもそも同じ役所内であっても担当係のもの以外には簡単には無関係な者には見せることもできない。このあたり、わたしが今の会社に入ったころに比べれば大きな変化である。すぐさまデータを出してくれた時代と、なんだかんだいって「嫌そうな顔」をされてようやく出てきても求めるものと異なっていたりすると、またまたなんだかんだいって時は過ぎていく。そもそも委託した側はそのデータの必要性をどの程度理解しているのか、またその数値を出させようとしている側(おおかたの場合は国であるが)がいかに簡単には出てこない(開示できない)データであるかという理解がどの程度あるのか。というより委託せず、役所そのものがその重要度を認識して自ら計画を構築すれば、このようなことは自らの責任の上において理解も問題も解消されるものなのだろうが、こうした仕事を「欲しい」という会社がそうした根本的問題を霧の中に隠してしまう。もちろん委託せずとも役所がそのデータを横断的に必要と思っても容易にはいかなくなっている時代。まさにタテ割りされた壁はとても厚い。中には受託側に「自分で調べろ」みたいなことをいう厄介な自治体職員もいたりして・・・。手間をかけても「不明」などと記すことはできない。明確な根拠の無い時代を描くことにもつながるのだ。

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