Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

二者択一の危険

2006-05-18 08:14:39 | ひとから学ぶ
 二者択一の選択をしようとする動きは、さまざまな部分にある。そうした選択をするために、ルールを作る。われわれはよくチェックリスト、あるいはチェックシートのようなものを作りたがる。もちろんマニュアルの類も似てはいるが、とくにチェックの考え方はどらかの選択であり、「できているか、できていないか」という判断である。東北大学教授の清水哲郎氏は、射水市民病院で起きた患者の人工呼吸器をはずした問題に触れて、この二者択一のあり方を批判されている。ルールを決めていくよりも個別の判断が必要な場面もあるだろう、という意図である。「家族の同意を得た」というチェックがされているかどうかで問題視されがちだが、そのシートにチェックが入るまでのプロセスはどうだったのか、ということになる。

 いたずらに延命措置をするよりは「尊厳死」の選択もある、という考え方をチェックシートにチェックを入れるがごとく家族の同意を得るような導きがあったとしたら、それは尊厳死とはかけ離れているだろう。清水氏は「生命維持装置を着けて、生き続けようとしている患者に対して〝もうそろそろ中止を意思してはどうか〟と無言の圧力がかかるという点がある。(中略)・・・二者択一の割り切った選択をできるようにするルールだけがルールなのではない」という。これは人の生死という重要なチェックシートであり、それが結果だけを求めよう、あるいはその選択をしたことが正しいという証を求めるがためにチェックボックスがあったとしたら、人の生死とはそれほど軽いものなのかと思わざるをえない。

 以上は生死という場面であるが、重要度はともかくとして、こうしたチェックシートによる判断は、自らの確認作業であったり、第三者への判断をした証を示すものでもあり、わたしたちの生活のあらゆる場面に登場する。昨日も歯医者を訪れて、受診するにあたりのチェックシートを記入した。重要度も低いから、躊躇すれば記入しなければよいことだが、書く側の認識の差や、個人の性格によってもチェックへの思い入れは異なる。しかし、選択されたチェックでどうとなるものでもなく、歯医者程度なら・・・と思って選択しておいて、もしかしたら勘違いされてはいけない、なんて心配してしまうこともあるだろう。そのくらいなら直接問診して欲しいと思うのも、患者の気持ちではある。ところが、最近は歯医者に限らず、そんなチェックシートを書かないと受診してもらえない場合は多い。人間ドックの際にも、あらかじめ送られてきたシートへ、ある程度の答えを書いて持ち込むというのが一般的だ。自らの確認の意味でチェック一覧を作ることは、わたしの場合はよくある。とくに仕事などの場合は、同時にいくつもの業務をこなしたり、あるいは段階ごとの確認の意味で、自分なりの確認シートを作る。そうでもしないとボケてきたせいか忘れてしまう。だからけして悪いとは思わないのだが、何を客が、あるいは患者が、さらにはその家族が求めているかというときに、チェックシートはどうだろう。

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