Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

“今ではお目にかかれないモノ”14

2016-03-07 23:09:05 | つぶやき

“今ではお目にかかれないモノ”13より

十字架の刻まれた観音(白滝山)

 

対岸は三原市

 

 前回伊勢市において、海を上にした構図について触れた。伊勢市はもともと海辺に向かって北方に近い構図で空間が展開されている。したがって「たまたま」とも言える構図だったかもしれない。今回は海を意識する地域を選択してみた。それも周囲が海という「島」である。

 因島市はもちろん因島にあった。平成18年(2006)に編入合併という形で尾道市になった自治体である。わたしが因島市の白滝山を訪れたのは平成3年11月10日のことだから、まだ因島市だった時代のことである。当時は尾道から四国に渡る本州四国連絡橋の尾道・今治ルートは未完成だったが、因島大橋は完成していて、尾道から簡単に行くことができた。因島大橋が完成したのは昭和58年のこと。尾道市街地の海上に相対する島を向島といい、その向島とその向こう側に浮かぶ因島を結ぶ橋が因島大橋である。ここで紹介するパンフレットには、因島大橋の橋脚が見えるが、まだ架橋の途中の写真が掲載されている。「昭和57年1月現在」と記されている。パンフレットはまさに完成直前に世に放たれたものと思われる。

 時代をうかがわせるのは、これもまた女性モデルが何度となく登場すること。同じ二人連れは24枚の写真に登場する。あか抜けた感じはしないから、素人のモデルなのかもしれない。かつて数多いパンフレットを収集したが、印象に残らなかったものは後に処分している。残したものは印象深いもののみであるから、残っているものは比較的しっかりとした意図があって、内容の濃いもの、あるいは自分の興味のあるものが掲載されているもののみ。当時はこうした冊子型でそこそこのページ数で構成されたものは、それほど多くなかったと思われる。県においては、まったくパンフレットが残されていない県もある。そういう意味では当時から長野県は観光パンフレットに力を入れていた自治体が多かった、とも言える。

 さて、冒頭の構図についてであるが、周囲が海に囲まれているということもあるのだろうが、全体図も、また詳細の略図も、いずれも上を北にしていて、こちらの意図するようなものは見られない。今もってわざわざ北を上にしないような構図をとる長野県内のパンフレットを目にするとワクワクする。とりわけ山を意識してイメージするのは長野県人特有なのかもしれない、とあらためてこうした異空間のパンフレットを見つめながら思う。

 白滝山を訪れたのはずいぶん昔のことになるが、眺めの良かったイメージは今もって記憶によみがえる。村上吉充が、因島青木城の控えの護りとして永享3年(1431)に観音堂を建立したのが白滝山という。山の中腹から山頂にかけての参道に700体ほどの石仏が並んでいる。本堂前の巨岩に半肉彫りされているものの中に、十字架が刻まれているものがある。柏原伝六が始めた一観教は、観音道一観といい、儒教・仏教・神道・キリスト教の4教を一丸としたものだったという。

続く

 


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