Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

発言を選ぶ日々

2016-06-10 23:59:38 | ひとから学ぶ

 このところ、ここには書けないようなことを体感しながら日々を送っている。おそらくわたしの日記の読者には、仕事の関係者もいれば役人もいる。そこにかかわることを記す時は、これでも言葉を選んでいるつもりだ。

 ある知人もかつてはブログを書いていたが、組織の重責を担うようになると書き込みが止まり、気がつけば公開されていたものがすべて非公開、あるいは消されていた。立場が変われば、それまで書いていたものが問題になる。舛添都知事が私用に使ったのではないかと指摘されているカネも、あからさまに公開していたブログから証明された。カネのことではなくても、過去に記した意見を引っ張り出されてお客さんに指摘されると、信用問題にもなるというもの。裏を返せば、いくらでも表の顔とは違った思いが詰まっているのが人間なのだ。そんな人間模様を、今盛んに探りながら歩いている。

 それは情報流出ではないか、と思われるようなことを、わたしはここに記しているかもしれない。それでもある程度そのあたりは留意しているつもりだ。それでも問題だと指摘されれば、この年齢になっているから、今ある立場など捨ててもわたしの書き記したことを消滅させるつもりはない。この日記は2005年から間もなく11年を迎える。当初に書き記していたころと、明らかにわたしの立場は違う。しかしそれが人としての積み重ねだと思っているから、変わったところもあれば変わらないところもある。しかし、冒頭に記したように、最近は言葉を選ぶことが多くなった。とりわけこのところの日々は、明らかにここには記せない。

 今までは少し本音を書きたいと思うと、過去記事でこの日記ともリンクを貼っていた別の日記に記した。でもそれにも最近は思いを書き記せなくなっている。そういえば、と思う日記がもうひとつある。こちらは2009年1月に書き込みを始めたが、7年も経ているというのに、アクセス数が100に満たない、超レアもの。ほとんど非公開レベルといっても良いが、やはり言葉は選んで書いていることに違いはない。かなりここに記している内容とは異なる自分を表現している、正真正銘の日記だ。今、そこに「記そう」と思っている。


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