Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

はざ架け

2008-10-05 19:46:35 | 農村環境
 「落穂拾い」について先日触れた。そのときに「わたしは稲刈りの際に落穂が落ちないように配慮している」と言った。わたしが稲刈り、とくにはざ架けに精を出すようになったのは高校生のころだろうか。ろくに勉強もしなかったが、家の仕事もろくにしなかった。ろくな息子ではなかったかもしれない。稲刈りもけして楽しい仕事ではなかったが、手伝わなくてはいけないという気持ちはあった。稲刈りといえば「はしかくなる」のが嫌だった。藁から発散するほこりが身体につくと気持ちのよいものではなかった。それでも仕事をしている中で、はざ架けは稲刈りでも最後の仕事。架け終われば「それでお終い」ということだからとくに早く終わらせることを考えたものだ。だからこそはざ架けは自ら進んでやったし、終わらせるためによく働いた。そんな行動が解っていてか、父はよく戒めたものだ。「いいかげんに架けると穂が落ちる」と。はじめのころは確かに架けるのは早くても、わたしが架けると落穂拾いが大変だった。積まれた稲の山から手にとった束片っ端から取って架けていた。もちろんその稲の山の積み方も大事で、穂がばらけた状態で積まれていると、どうしても挟まれた穂は積まれた束の重みで抜けてしまうものだ。手当たりしだい力任せに束を握って架けるから、どうしてもそんな具合に穂が抜け落ちる。それを戒めて父は言うのだった。なるべく上から束を取る、そして無理をしないというのが穂を落とさない方法なのである。それを今もしっかりと覚えている。今は稲の山へ運ぶのも自分だから、だきるかぎり穂がばらつかないように運んだ束を積む。それが強いては架けるときに落穂を増やさない方法なのである。

 生家のはざ架けをしたころには運搬車などというものはなかったが、今は小型の運搬車に乗せて運んでいる。運搬車に載せたまま架けると腰を屈めないから楽であるが、そんな運搬車に載った稲を親戚のおばさんに取ってもらって架ける時が今年も何度かあった。おばさんもわたしの架け方があまりに早いから、稲を取るのを嫌がる。当然だろう、取る方が腰を屈めなくてはならない。年をとってくると地面においてある稲束を拾い上げるのがきつくなる。催促されるように待っていられると、ただ拾い上げるだけの作業も大変である。だから運搬車に載っている稲ならおばさんも取ってくれる。そんな時は、ほぼ一秒に一把架けるくらいの早さである。もちろんはざを支えている杭棒の立っているところはそんな早さでは架けられないが、そうでなければ平均一秒一把である。わたしの場合地面に置かれている稲を自ら拾い上げて架けても一把二秒はかからない。妻もそんなはざ架けするわたしを見ては、「はざ架けの競技があったら絶対優勝するね」と揶揄する。わたしにしてみれば、刈り取りからかけ終わるまでが稲刈りの一連作業だからそういう競技でなくては意味がないと思っている。もちろん早さは当然であるが、いかに穂が落ちていないかも大事なことである。いまどきのはざ架け率など低いから、そんな競技を発想する人もいないだろうし、「だから何だ」程度のことである。そういえば、できあがった農産物の品評会はあるが、作業工程に関する評価などと言うものはない。農業は時を惜しまず手をかける生業なのである。

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