Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

柊に鰯

2017-02-10 23:34:25 | 民俗学

 

 「かにかや」を含め節分に関しては昨日でおしまいのつもりだった。ところが今日もまた仕事で売木村まで足を伸ばすことに。昨日下條村まで足を伸ばした際にも注意深く様子をうかがったものの何も収穫がなかった(何も無いということが収穫だったかも)ので、ほぼ期待薄だろうと思いながらもそうはいってもと思って売木村までの沿線をよそ見をしながらうかがって走った。とりわけ沿線で集落の様子をうかがうには平谷村まわりが良いだろうとルートを選択。山間でまとまっていて、さらに古い感じの集落を求めて阿智村大野の様子を見、次いで浪合村のかつての中心街、さらには平谷村と、それらしい集落を覗いて見るも予想通りどこの家の玄関先にも貼り紙などまったくない。売木村に入って軒川などの集落も当然のごとく何もなく、間もなく売木村役場入口というところでそれらしいものを発見。いわゆる売木村の昔ならマチにあたる通り沿いの1軒に柊らしき枝が掲げられている姿が…。用事を済ませた後に伺ってみると確かに柊の枝に鰯が刺してある。かつて店を構えていたと思われるその家の玄関先と、店の入口の2箇所にそれが掲げられている。今年これを見るのは2例目。世間では柊鰯は珍しいものではないかもしれないが、長野県、とりわけ伊那谷ではめったにお目にかからないはず。もちろん話をうかがってみることに。

わたし「この辺てこういうことをするんですか」

おばさん(70代か)「せん」「昔はやっとったんな」「そいだけど、今の若い衆はせん」

節分以降気をつかって見ていて、「これが2例目」と言うとおばさんは大笑い。誰も「せん」ことをしていて気恥しかったのかも。「うちは毎年欠かさずにやっとる」と言うから昔から続けているようだが、これを見てから周辺の様子をうかがってみたが、確かによそでは見られない。表通りの目立つところにあるので、まさに魔除けになるだろうが、裏口にも出してあるという。「他に節分にされることはないですか」と問うと、「お婆ちゃんがおる時は、パチパチといって音がする物を燃やした」と言う。「裏にあったアスナロの木」を燃やしたらしい。音をさせることで鬼を追い払ったというわけである。「それをやりながらコンロで豆を炒って鬼は外をやった」。「隣のババは欲ふかババさ」といって「鬼は外」をやったという。今は京都のお茶屋さんが扱っている節分用の豆を通信販売で購入して撒くという。見せていただいたが、小袋に3つくらい入っているだけのもののよう。「これだとソツがないし、食べるのも楽だ」と言われる。

 「かにかや」は局所的習俗。いっぽう柊に鰯という魔除けは、メジャーなだけに点々としながらも残存しているものを見られる可能性があるということだ。


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