Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

地域の分断

2007-10-05 08:28:45 | ひとから学ぶ
 「空からの贈り物」て触れたが、かつてはずっと田んぼだったところに高速道路という幅50メートル程度の物体ができるということは、そこに住む人たちにとっては大きな変化である。もちろん納得の上で(納得なんかしなくても強制的なものもあるだろうが)その物体を容認したのだから、その変化も受け入れざるを得ないのだろうが、建設当初はともかくとして、何十年も経過すると、その環境は当たり前のことのように周辺の者も、よそから来た者も思ってしまいがちだ。隣接して住む人たちがどう認識されているのか、わたしの生家が高速道路からは遠く離れていたこともあって、あまり意識もしたことはなかった。その後自宅を設けた地域は、生家の地域に比較すれば高速道路が集落の中を分断していることから、身近な存在である。住み始めてこのかた、そなことを話題にもしたことはなかったが、あらためてこの物体のその後というものを聞いてみたくなった。

 実は高校時代は、高速道路が伊那谷を北上している時代だった。開通して間もないということもあって、開通後の変化のようなものが新聞紙上などでも取り上げられていた。そんなこともあってか、そうした問題に興味を示し、当時所属していた部において高速道路沿線でアンケート調査というものをしたことがある。その際わたしの意見でそのアンケートをつくったもので、そのアンケートの用紙も、そしてまとめたものもしばらくわたしが所有していたように記憶する。そのデータがあればと思い探したが、すでに処分されていた。なぜそんなところに視点を置くようになったのか、記憶は定かではないのだが、当時からこの地域の人たちの「生活の変化」というものに一抹の不安を抱いていたのかもしれない。記憶をさかのぼっても、何を聞いたのか明確ではないのだが、当時は公害問題がもっとも大きな視点であったように思う。ただ、単に公害はどうなのか、というものではなく、暮らしの変化なども含めた多様な視点で質問したように思う。ただ、地域が分断されるという変化を具体的にどんな変化が現れるか、という部分でもともとストーリーのようなものを持ち合わせていなかったため、今思うような課題が現れていなかたったはずだ。

 高速道路の場合、一般道とは異なり、立体交差するわけだから住民とは別の世界に区分けされる。だから住民の視野から上がるか下がるしかないわけで、上がれば大きな土手ができ、下がれば大きな堀ができる。住民に不自由ないように、既存にある施設の連絡を基本的には従前どおりに復元してくれる。とはいえ限度というものもあるだろう。今回の水路を例にとってみれば、もともとは単なる田んぼの中を真っ直ぐ通過していた水路である。そこに大きな堀が誕生したわけで、かつてと同じように水路を管理したり、あるいは水路際の通路を利用したりするには当然この水路橋を利用する以外にはない。ただ、同じように利用するにしても、ここを農業機械に乗って、あるては運搬車とともに歩行するなんていうことはできない。もちろん自動車が当たり前に農業に利用される時代への過渡期ということもあったから、現在の農業情勢を想定していたわけでもない。

 前述の例は農業における障害物ということになるが、ふだんの暮らしでもこれほど大きな障害物はさまざまに課題が浮かんでくる。何もなかった空間に障壁が現れるのだから、景観とか音とか気になる部分は多い。それにもまして、例えば隣組が分断されるということもある。従前の施設が機能回復されているから、道が分断されることはないが、かつてなら田んぼの中を直線的に連絡できたものが、迂回しないとできなくなる。人と人がそれほど触れ合わなくなった時代だから、たまたま問題視こなくなたが、かつてこの物体ができると聞いた人々にとってどう考えていたものだろう。「歩く」時代であったなら、地域の分断はより一層大きくなっていたはずだ。逆をいえば、こうした物体の出現が、農村地帯の地域感覚を変化させたとも言えるのかもしれない。

 さて、『伊那』2007.10月号において、北城節雄氏は「新たな有害獣出現」と題して、アライグマのことについて触れている。北アメリカから中央アメリカにかけて生息するアライグマが、三遠南信道に設けられた野生動物用の横断工作物の中で撮影されたという。たいへんハクビシンに似ていることもあって、一般の人たちにはアライグマの仕業がハクビシンの仕業として間違えられていることもありうるといっている。特定外来種として指定されているが、あまり日常の中で目にすることがないということもあって、その分布は定かではない。いずれにしてもこの伊那谷においても野生化したアライグマがいて、今後はアライグマによる食害も目立ってくるものと言われる。そんな北城氏の報告の冒頭でこんなことが述べられている。「(道路ができることで)今までは一つの生態系として野生生物など、自由な移動が許されていた里山の生息域が二分し、孤立化します。そのことが環境に何か悪影響をもたらすようなことがないだろうかと心配されるところです。」というものだ。これは野生動物に対しての言葉なのだが、実は人々は人間もまた地域が二分化して自由に行き来でなくなるということをあまり問題視していないこ。自分たちよりも動物のことの方が大事に捉えられがちであるが、人の暮らしはどうなんだといことである。確かに地域のために必要な道だと言われれば致し方ないが、この道路がどれほど必要なのかは疑問が多い。世の中は自然環境さえ配慮すれば良いような風潮があるが、では人様はどうなんだと問いたいところだ。

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