Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ハザ掛け2019 前編

2019-09-16 23:05:31 | 農村環境

ハザ掛け2018より

 これまでにも何年かかけて、「ハザ掛け」のことを記してきた。きっとこの後も記していくと思うが、ハザが減少していくことは確かだろう。その要因は、水田耕作の集積化による。今や水田を自ら耕作する農家はかなり減っている。その中でも上伊那地域では、集落営農組織が担い、現実的には元来の農家が耕作している例も多く、集積率が上がっても、個人耕作するひとはまだまだ多いことも事実。とはいえ、世代交代とともに、耕作は担い手農家(組織)に集約されていくことだけは確実。もしそれを引き留める要因があるとすれば、担い手の有無だろう。現在の担い手の後継があるかどうか、そして増えるだろう貸し手に対応できるだけの借り手がいるかどうか。集積を目論んでもそれに応えるだけの環境が整っているとはとうてい思えない。しばらく前に「小農」について触れたが、どちらにしても不安定要素を含んでいる。

 ハザ掛けが多いか少ないかは、結局集積率に関わっている。ハザ掛けが多い地域は集積率が低く、ない地域は集積率が高い、これは明確に言えること。例えばいまもってハザ掛けが満遍なく見られる下伊那は、全体的に集積率が低い。いっぽうハザ掛けに地域性があるかのように見られる上伊那は、集積率は高い。上伊那においてハザ掛けが目立つ地域は、西天竜や、山間地域。ほとんど見ないといっても良いほど限定的だ。もちろん皆無ではないが。

 ということで、今年のハザ掛けの光景をいくつか拾ってみた。

 

飯島町七久保柏木

 ほ場整備が昭和50年ころ実施されるまでは、ここから数百メートルのところに我が家の農地があっただけに、このあたりで作られるハザは、かつての生家のものに近い。このハザは飯島町七久保の本郷境にあった。竹竿を使って、1本杭と2本杭を交互にするのは、まさに生家のハザだった。作られている方はだいぶ高齢なのか、少しこのあたりのハザにしては低い。乾いてくると、穂先が田面についてしまわないかと、心配になる。

 

飯島町七久保荒田

 これも前例のすぐ近くにあったハザ。とはいえ、ひの周囲でハザがある光景は、極めて希。1パーセントにも満たないかもしれない。生家では「ワカサ」と言われた1段掛けた後に天端に掛けられる稲が横にへの字状に掛けられている。下伊那では見ない掛け方である。

 

飯島町飯島石曽根

 これも同じ飯島町石曽根のもの。1段掛けた上に、重ねて2段目を掛けた上に透明シートを掛けている。やはりこのあたりで他にハザ掛けの姿を見ない。飯島町でハザ掛け田を探すと、数えられるレベルしか存在しない。

続く

 

ハザ掛け2017

ハザ掛け2016⑨

ハザ掛け2015 終章

ハザ掛けから見えるもの⑥

 

 

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