Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

レジに並んで思うこと

2006-11-08 08:18:22 | ひとから学ぶ
 現代人は買い物が好きだ。自給自足時代にくらべれば、現金を使ってみんなが自由なものを手に入れている。これほど銭を使う時代を、かつての時代に暮らした人はどう思っているだろう。間に合うものらわざわざ銭を使って買うこともないのだが、他人の暮らし向きが良く見えるように、銭を使うことでマスターベーションをしているようなものなのだ。それほど人間というものは、よそへ向かっているわけだ。内へ内へと向かうよりは、外へ外へという意識の方が発展性があるといえばその通りなのだが、そんな環境にはどうも性格的に合わない自分もいる。いや、若きころは、そんな気持ちは十二分にあったし、毎日同じことの繰り返しをするよりも、毎日が変化に富んでいた方が楽しいのはあたりまえのことである。

 生業としている人には失礼かもしれないが、例えば食堂を毎日営業している人は、毎日同じ仕事を繰り返し、加えてそこには客の顔の変化はあっても、そこから得るものは少ないように思ったりする。移動空間も少なければ、他人とのふれあいも極度に少ないように思う。さすがのわたしも、そんな暮らしは長くは続けられない。同様の生業はほかにもたくさんあるのかもしれない。

 話はそれてしまったが、わたしは買い物を好まない。もちろん金が有り余っていれば、節操もなく価格にこだわることもなく、レジに並んで人の買うものを覗くようなこともないのだろう。それが自信だとすれば、やはり裕福な人間ほど幸せだといえるのだろう。豊かさは銭の量で測れるものではないとわかっていても、現実は違うのである。銭がないほどに、人の行動が気になるし、ちょっとした噂話にも耳を傾けたりする。そんなものなのだ。

 さて、混雑している店でレジに並ぶのは、だれも好きではないだろう。レジほど空いているこしたことのない空間はない。わざわざ銭を払うのに待たされるのは嫌なものだ。加えて、レジに並んでいると、自然に前の人の籠の中が見える。「何を買ったんだろう」なんていうことは思わないが、見たくなくても買ったものが目に飛び込んでくる。ということは、自分がレジの前に来れば、後ろの人はわたしと同じことを考えるに違いない。店員に「こんなものを、この人は買うんだ」と思われるのは許すが、見ず知らずの人にそう思われるのは、裸を見られているようで良い気分ではない。と、なぜか昔からそんなことを思っていた。だから、レジが混雑していると、しばらく時間つぶしをしたりすることが、昔はよくあった。最近はモノを買わなくなったから、それほど人目を気にするようなものも買わなくなったが、それでも、見られるのは気分はよくない。だから、並んでいるとき、とくにレジの直前に来たときには、前のお客さんの籠の内を見ているようなそぶりはなるべくしないようにしている。もちろん、接近して、のぞき込むなんていうのは問題外である。ところが、さすがに買い物好きの現代人は、人目など意識もせずレジを平然と通り過ぎていく。世の中変わったものだ、と思うよりは、わたしはこの先生きていけるのだろうか、なんていう不安の方が大きい。だから買い物から足が遠のくのである。

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