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埋まっていた「庚申」

2018-04-10 23:55:46 | 歴史から学ぶ

繭玉か、陽石か」より

 平出一治氏は、平成3年5月1日発行の『遙北通信』110号に「資料紹介」として次のような報告をされた。

原村で「庚申」文字碑を発掘 (『遙北通信』110号 平成3年5月1日発行) 平出一冶

 

 

 1年前の平成元年10月23日に、郷土史家中村久太郎さんから払択区で庚申塔が発見されたことを聞き、25日に払択区役所を訪れ区長さんから聞いた経過を紹介してみたい。
 払択区のほぼ中心にある辻には、右から石燈篭・御嶽山(高さ約2m)・駒嶽神社(約3m)・天照皇大神宮(約4.4m)・象頭山(約2.8m)・月山羽黒湯殿山三山大権現(約4.2m)蠶玉神社(約4m)の大きな文字碑が祀られ、その周囲にはしっかりした玉垣が作られている。しかし、長い歳月を経てその痛みも甚だしくなり、主要道路に面していることから安全と美観維持のため、払沢区では平成元年6月に修復工事を茅野市穴山の守屋石材店に依頼した。その工事の折に庚申・駒嶽□(下部を欠損)・□訪大明神(上部を欠損)の文字碑3基が発見された。しかし、それらの石碑を知る人はいなく、かなり古い時期に埋もれたものであろう。
 紹介の資料は、6月28日に玉垣より外の畑地との境に、碑面を下にして埋まっていたものである。御嶽山と駒嶽神社の祀られたが、自然石(碑面を僅かに加工しているか)に「梵字 庚申」と刻まれたもので、高さ43.5cm、幅33cm、厚さ12cmを計る。銘文は次のとうりである。

  銘文 (碑 面)     寛政□
           梵字 庚  申
               仲 冬

 なお、御嶽口と□訪大明神は、7月6日に玉垣内の大きな石碑の間に埋まっていたのを発見した。駒嶽口は御嶽神社との間に、□訪大明神は月山羽黒湯殿山三山大権現と蠶玉神社の間にそれぞれ祀ってある。


以上のようなものであった。そもそも埋まっていた石碑は、なぜ埋まっていたのか、状況がよくわからないが、自然に埋まってしまったということはなかなか考えられないことから、埋められたものなのかどうか。

 

 ※「遙北石造文化同好会」のこと 後編に触れた通り、「平出一治氏のこと」について回想録として掲載している。

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