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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

高遠だるま市へ 前編

2023-02-11 23:49:39 | 民俗学

 

 長野県民俗の会234回例会が、高遠町で行われた。高遠だるま市をメインにした例会を企画したが、実際は午後の「長野県民俗地図を作る」が目当ての会員によって構成された例会といっても間違いはない。昨日の大雪のせいで、「中止した方が良い」という意見もあったが、遠路足を運んでくれそうな会員もいて、すでに行動に移されている方たちがいれば、中止だったらそれこそ無意味なものになってしまうため、少数参加でも良いと踏み切った例会でもあった。その午後の例会については別項に譲るとして、高遠だるま市についてここでは触れておく。

 高遠だるま市を訪れるのは、40年ぶりくらいだろうか。記憶では若いころに1度だけ訪れたように思うが、もしかしたらその後に、もう一度訪れたかもしれないが、ほとんど記憶にない。かつてカラー写真を撮影したのはいつのことだったのか、もしかしたら二度目に訪れた際のことなのかもしれない。何より昔のわたしは、カラー写真はめったに撮らなかった。そのカラー写真を撮影した際の、売り子の法被の柄の記憶は鮮明に残っていた。その柄を久しぶりに訪れただるま市の売り子の背に見た。かつて見た法被の深い紺色ではなく、何度も洗いつくされて色褪せたものだった。しかし、あの時の柄と同じなのである。その法被を着られている女性に話しかけてみた。すると、父の代から高遠だるま市にだるまを売りに来られているといい、おそらくわたしの見たかつての法被の姿は、この方のお父さんだったのだろうと想像する。ちょうど40年ほど前に法被を新調されたといい、そのまま今もその法被を使われているという。あの深い紺色の法被が、真新しいものだったとも記憶する。周囲のだるまを売る方たちに聞くと、テレビなどが来ると、必ずこの法被を着られているだるま売りの店が対象になるという。もしかしたら高遠だるま市の雰囲気をもっとも出しておられる空間なのかもしれない。

 さて、鉾持神社への階段のすぐに店を構えられていたのは、松本市の布野恵だるま店だった。先ごろの箕輪町南宮神社の初市にもだるまを売りに来られていて、「高遠にも店を出す」と聞いていた。実は前述の法被を着られているだるま売りの店は、長野から売りに来られているというが、売っているだるまは布野恵さんのものだという。長野でももちろんだるまを売られるが、長野でだるまを売る際には長野のだるま屋のものを扱うという。わたしもこうした露天商の方たちの流通世界は詳しくないが、だるまについては、地域特性のようなものがあるようだ。やはり近くで別の店を開いていた方が、法被に「布野」という名入れの法被を着られていた。布野恵さんの関係者だという(布野恵だるま店を経営されているのは「布野」さん)。しかし、店を出している方は飯田の方だという。販売元はさまざまだか、そこへだるまを卸しているのは、同じ店なのである。そう捉えて何店か聞いていくと、ほかにも布野恵さんの関係の店があるとともに、松本にあるもうひとつのだるま製造販売店である丸栄さんも店を出しているが、実は布野恵さんとは姻戚関係だという。どちらの会社も里山辺にある。

 ちょうど顔見知りの方に出会ったが、「今年初めて高遠だるま市に来た」と言う。理由は毎年お願いしていただるまを扱っていた方が、だるまを売るのを辞めてしまったため、高遠だるま市に足を運んだという。毎年45センチのだるまを購入していたので、「小さくしてはいけない」からといって同じ大きさのだるまを探されていた。もちろん「探す」は「どこで買おうか」という意味だ。かつてなら値引きのかけ引きがあちこちであったのだろうが、今はほぼ定価で売られていて、値引きのかけ引きはあまり聞こえない。それでもその方は、「だるま」を目当てに足を運んだから、やはりなるべく安く手に入れたい。交渉をされて結局前述の法被を着られている店で手を打ったが、契約が成立すると手締めの声が高らかにあがる。さすがにこの時勢では、手締めの声があちこちで聞こえる、とまではいかないが、賑わいできた午前11時過ぎになると、手締めの声が頻繁にあがっていた。が、繰り返すが、裏を返すと意外にかけ引きしたのは同じ系統の店だったりするのだ。

続く


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