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こんぼった石

2018-04-18 23:13:19 | 民俗学

埋まっていた「庚申」より

 平出一治氏は、平成3年10月1日発行の『遙北通信』114号に「昭和の道祖神」30回目として次のような報告をされた。

諏訪市武津の双体像 (『遙北通信』114号 平成3年10月1日発行) 平出一冶


 諏訪市四賀武津は、武津公民館の庭に双体像が祀られている。自然石に二神をレリーフしたもので、台石の上に鎮座している。
 男神が右、女神が左の抱肩握手像で、女神は首をかしげているが、二神は正面を見ている。
 大きさは高さ103cm、幅102cm、厚さ52cm、像高は男神が大きく五十聖女神は四十六皿を計る。台石の高さは56cmである。

 

撮影 1990.1.12 平出一治

 

 銘文(碑陰) 昭和五十三年四月吉日建之

 双体像に隣接して銘石「こんぼった石」がある。その凹穴は当地方の道祖神場でみられる凹穴と同様のもので、古老たちが「こんぼった」とか「こんぼうめ」と言っている盃状穴である。
 説明板(金石文)が道祖神と同じ昭和53年に設置されている。長くなるが全文を紹介したい。

    銘 石  こ ん ぼ っ た 石

 昔この付近が湖水であった頃鷹津と呼び入江であったその後竹津と呼び何時の間にか武津と呼ぶ様になった我々の祖先が漁に出てこの石を舫石にした現地より北三十米山の手に有った夜這い時には秋葉神社の灯火を頼りに帰舟した区民一同廻り番で毎夜燈火したもので有るこの石は我々の祖先が漁に出て帰りを待った子供達が淋しい思をしながら青草を石でつきつき遊び乍ら父母の無事な帰りを待ったと云ふこの石は村人達には通称こんぼった石と呼ばれ親しまれて来た子供達の真心のこもった銘石である

   昭和五十三年四月二十三日  武津区建之
             諏訪市長岩本節治書

 

後ろにある石が「こんぼった石」(撮影1997.1 HP管理者)

 

 この双体道祖神の後ろに隠れるようにして、こんぼった石が置かれている。双体道祖神の台石よりは小ぶりな石である。その上面には、凹んだ穴がある。刻銘にあるように、「青草を石でつきつき遊」んだ痕跡であり、かつては子どもたちの遊び場となったところでよく見られた窪みである。今もなお、そうした窪みを見ることはよくある。ただし、これを「こんぼった」石と呼んだことは、さすがになかった。

 

 ※「遙北石造文化同好会」のこと 後編に触れた通り、「平出一治氏のこと」について回想録として掲載している。

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