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地域の人々を動かす

2019-06-27 23:54:55 | 民俗学

 細井雄次郎氏は長野県民俗の会第214回例会について、『長野県民俗の会通信』第271号に報告している。この例会については、わたしも「大岡日方のセイゾーボー」において記しているが、当例会を企画した細井氏が、自らその例会について報告したものだ。

 春彼岸の行事については、何度となくここに記してきた。とりわけ松本から長野にかけて分布する、藁による作り物を伴う行事は、この地域独特なものだ。県内において、春彼岸に数珠を回すところはいまもってかなりの事例を拾うことができる。しかし、藁の作り物を伴う事例は、この地域に集中している。それがなぜ発生したかについては、いまもって判明しないところだが、いずれにしても、この地域の特徴的習俗であることに間違いはない。

 そうした中、今回の例会を開くに当たって、細井氏はあらためて長野市大岡村を中心に行われている行事の現状を確認した。細井氏は、以前この地域の春彼岸行事を紹介した本人である。それから十数年を経て、現状はどうなのか、という捉え方をするのは当然のことで、この間どのような変化があったのか、これら行事を世に知らしめた当事者として興味を抱くところもあっただろう。

 細井氏は「ここ十年間での行事の変化」と題して、次のように今回の例会で知った変化を記している。

 今回見学した日方集落では、筆者が初めて見学した平成一七年当時、作られるのは藁人形だけで腹の神送りの幟は作られていなかった。幟は平成二三年に記録撮影をすることになって、かつて一緒に行っていた腹の神送りも再現しようということになり、集落の人たちに昔の記憶をたどって作ってもらったものだが、筆者としては記録撮影のための一時的なものと考えていた。ところが今回訪れてみると、腹の神送りの幟が今も引き続き作られていた。

 ようは長野市立博物館が記録のために復活してもらった行為が、それをきっかに継続されている例である。ところがいっぽうで、長野市信更の軽井沢では、記録してもらったからという理由かどうかははっきりしないが、「記録された」ことによって安堵して、その後行事が途絶えてしまった例もある。周囲の人々に、どう映るかというところに該当するのだろうが、あるきっかけを期に、行事に対する地域の人々の変化が現れる好事例ともいえよう。もちろんかたや復活した行為が継続されるという例であり、いっぽうは衰退してしまった例である。その背景まで操作できるものではないが、他人の関与によって、いかようにも変化する可能性があるという教訓でもあるのだろう。


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