Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

自然葬から環境を考える

2005-12-02 08:22:19 | 農村環境
 菅平高原で遺灰をまく活動が公になって論議を呼んでいると、新聞に掲載されていた。内容からいくとこうだ。自然葬の推進団体が、菅平高原の推進団体の会員の私有地、約50アールに遺灰をまいているという。2003年以降今年の5月までに9回、10人分の遺灰をまいた。散灰1回につき山林整備費として5万円を受け取り、山林の整備にあててきたという。所有者の会員は、反発を予想して地元へは説明せずに散灰してきたというが、改めて森林保全などにもつながるとして菅平区へ相談し、公開した。予想通り、観光地として生きている地元にとっては、風評被害を恐れて反対された。区議会では、自然葬反対を決議し、署名を集め、真田町に規制する条例案の制定を求めるという。
 自然葬そのものには法的規制がないという。したがって、葬送の自由を求める側にとっては、条例などにより葬送の自由を奪われることに反対している。この話を聞いていると、下水の放流問題に近い。下水施設の流末の浄化した水をどこへ流すかでもめることが多い。とくに広域の下水道のように、おおきな河川に排出する施設はともかく、農業集落排水といわれる農村地域の小規模の施設では、農業用排水路などに排出していて、たとえば下流で農業用水に利用していたりすると、反対されるケースは多い。考えてみれば、それまでの家庭雑排水が直接流されていたことを思えば、明らかに下水施設の排水の方がきれいな水なのに、根っからきたないと判断されてしまう。似たような話にこんな話もある。下伊那郡松川町から飯田市まで、天竜川右岸に天竜川から出水した農業用用水路が流れている。この水を上段にポンプアップをして農業用水に使ったらどうかという話があったが、木曾山脈から流れ出す支流のきれいな水を使っている人たちは、「そんな天竜川のきたない水はいらない」なんていうことをいう。しかし、現実的に水質検査をすれば、天竜川の水はけして汚染されているわけではない。まさしく風評被害なのかもしれないが、うわさと現実は違うのである。
 今回の自然葬の話でも、菅平に私有地を持っていて散灰していた人に言わせれば、スキー場で使う塩類や畑の科学肥料に比べて遺灰の方が影響はすくないはずだという。風評被害が生まれる原点には、確実なデータがそろっていないことも要因になる。ここに記述してきたことを覆すようだが、こういう話も考えられる。いわゆる水の汚染の指標とされる水質のデータをみたかぎりでは同じであっても、微量に含まれるなんらかの性質によって、できる作物に影響させるということもないとはいえない。どういう性質がどういう品質の作物を作るのかというところは、明確にされていないということなのだ。農産物も同じ地域であっても、土壌はもちろん、気候、水などによってきっと微妙な違いをみせる。だからこそ特産といわれるものができるのだろうが、もっと狭い範囲で作物をとらえてみても、品種によってはかなりの性質の違いをみせることもある。以前から感じているのだが、果樹園地帯のように四六時中消毒をしているような土壌には、消毒の成分が十分にしみこんでいるはずである。もちろん土壌だけではなく、空気中に広がる成分も若干なりとも違いはあるはずである。そうした環境に住んでいる人と、果樹園地帯ではないところに住んでいる人とは、健康上の違いは絶対あるはずである。東京に住む人と、田舎に住む人の違いと同じくらい差があるはずである。しかし、そんなことを現実的に調べた資料など見たことがない。
 結局持論を展開するひとの趣旨に沿った部分だけをとらえて対立させても、本質は見えてこない。本当のところはどうなんだということは、世の中意外に知られていないことが多い。
 前にも墓のことで述べたことがあったが、わたしなどは骨など残さず、全部焼いてしまってもらってよいといった。でも考えてみれば、すべてが消えてしまうわけではない。調べてないが、遺灰の残は産業廃棄物なのか、それとも何なのか、そして火葬場ではどう処理しているのか、そんなことが気になって仕方ない。
コメント    この記事についてブログを書く
« おいべっさま | トップ | 市販品のジャムはなぜ美味し... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

農村環境」カテゴリの最新記事