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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

飯田線の壁

2012-12-09 23:57:28 | ひとから学ぶ

 昨日松本市で年配の方たちを前に少しばかり話をした。良い話が用意できず、無勉強でも話せる伊那谷のことを話したのだが、その中の一人とこんな話になった。「飯田線はなぜもっとまっすぐできなかったのか」と。実は話の中ではその理由として地形の変化を説明した。ここでも以前触れたことであるが、谷とは言いがたい上伊那の水田地帯の展開は、郡境に至ると様変わりする。それを描いたように飯田線は曲がりくねっていく。その始まりが駒ヶ根市と飯島町の境にある中田切川だ。駒ヶ根駅を発車した上り列車は、すぐ南隣にある小町屋まではあっと言う間だから真っ直ぐでもスピードは上がらない。いっぽう次の伊那福岡まではそこそこ距離があるため、列車のスピードが上がる飯田線でもハイスピード区間だ。ところが伊那福岡を発車すると伊那市からほぼ真っ直ぐに走ってきた列車は、ブレーキ区間に入る。いわゆる田切地形をパスするために山へ迂回するためである。次の与田切川とともに飯田線を描く代表的ルートとも言える。わたしに話しかけてこられた年配の方は、そういった理由ではないものを引き出そうとした。もちろん詳しくは知らないが、そういった話も近在だから知らないわけではない。谷を迂回しないように天竜川の端へ下ればよいものをわざわざ山付けの方に向かったのは、当時の有力者の意見が効いた。「ここを通すな」というものだ。上片桐まで押しあげられたのはそのせいだ。そして次の伊那大島まで、これまた長い長いうねったルートをとる。こんな具合に伊那の谷を東西に走るのは飯島町から松川町の間のこと。伊那大島を発車した列車は、再び真っ直ぐなルートをとって飯田の手前まで走る。ところが飯田の丘の上と言われる旧市街に駅を設けるために、再び大きく迂回する。これがよく話題に上る「走れば間に合う」という駅間を生んだ。そうだ、伊那上郷で乗り遅れた学生が、走れば下山村の駅で乗車できるという話だ。その間に桜町・飯田・切石・鼎と四つの駅を挟む。学生の足で走って数えること五つ向こうの駅を目指せば間に合うと聞くと、どうして?と思うだろう。ようはこの間が迂回区間なのだ。加えて飯田線の列車は飯田駅での停車時間が長い。故にショートカットするような位置にある下山村まで走れば間に合うということになるのだ。もちろん伊那谷にっとっては大きな町故に、飯田の町へ上がらないわけには行かなかったのだろうが。

 さてそんな中、「真っ直ぐ作られていたら上下伊那はこれほど中が悪くならなかった」という言葉になるほどと思ったのだ。確かにこと飯田線という鉄道交通だけから捉えると、せっかく真っ直ぐ早く走ってきたのに、ここで足止めを食らうのは気分が良いものではない。それが郡境に顕著に現れるわけだから、仲が悪いどころか交流そのものがなくなるのも自然な流れだろう。お互いが理解できない、それは飯田線が曲がり始める地帯が大きな壁となって描き出したものなのかもしれない。


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