Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

記録を残す、ということ

2017-10-29 23:25:31 | 民俗学

 『長野県民俗の会会報』は、今年発行号(11月に発行)で40号を数える。言ってみれば記念号にあたるわけだが、そういうこともあって多くの会員に執筆のアプローチをした。少しくらいページ数が嵩んでも記念の号らしく仕上げたいという思いもあって、予定執筆者も多かったが、そのうちの一人だったわたしは、結局生業の忙しさに追われて執筆は叶わなかった。それでも多くの方々に執筆していただき、これまで発行されたどの号より厚い会報となりそうだったところへ、巻末に会の活動記録を掲載することになって、ふだんの倍のページ数を数えるほどの、まさに記念号になるという。

 何より活動記録は昭和46年に結成されて以降の歴史が詰まるものとなる。まとめていただいたのは倉石忠彦先生。創設時の主旨はもちろん、時々の会の動きが『長野県民俗の会通信』からまとめられている。印刷物の発行の歴史、そして例会や総会の内容などもまとめられている。そんな活動記録のこの1年のみを事務局であるわたしがつけ加えたのだが、過去のまとめを見ながら同じようにまとめようとしたら、ちょっと悩むことが…。まとめ方が時代によって少し異なっていたりして、遡って見てみると人名などに誤記があったり。ということで、校正を別の委員さんが主になってやっていただいたようだが、わたしのところでも一通り目を通すことに。

 一気にまとめられたものではなく、徐々にまとめられたものなのだろう、確かに内容には不統一も見られる。とはいえ60ページにも及ぶ記録を細かく校正段階で修正するのも迷惑だろうと、最小限の確認にとどめた。そんな中で感じることは、時代によって内容が前掲の『通信』を紐解いてもよくわからないときもある。かつてすでに終了した例会について、「通信に今さら載せてもしょうがないだろう」と思ったとき、記録として紐解いた時に掲載されていないと困るから、たとえ終了していてもどこかに記すべきだと教えられたことがあった。しかし、まさに『通信』に記録のない例会がある。近年は編集担当の方たちの努力で、例会が実施されると必ず「例会報告」を『通信』に載せていただいている。これが仇となって「例会に出にくい」なんていうことを漏らす人もいるかもしれないが、例会報告が必ず掲載されるから、実際の例会の内容が確認できる。今回の活動記録はそうした例会報告を紐解いて記録するところまでは至っていないが、前述したように『通信』に記録のない例会については、例会後に発行された『通信』から例会報告らしいものを紐解いて埋め合わせた。それでも記録がない『例会』がある。最も会が低迷した時代だったと言えるが、周りの人たちが支えないとこういうことになる、そういう現象だったのではないだろうか。

 記録を見ていて気になったのは、総会報告の内容だ。総会の報告はほぼ例年通り、という具合に報告されているが、新年度の計画は具体的に記されているが、本年度の活動記録はほとんど記載されていない。前述したように、例会の案内は掲載されるが、実際の例会の項目はどこにも記されない。したがって予告した例会と内容が異なっていると、記録には予告されたものしか掲載できない。中には予告したものの中止された例会もあった。活動記録だから、実施されたものでなくてはならない。このあたりが、『通信』からは読み取れないのである。実際の総会ではそのあたりを報告しているが、総会に参加された方以外の会員さんには予告でしか活動の様子はわからないというわけだ。活動記録をまとめていて、総会報告の内容は検討が必要だと教えられた。

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