Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

食べられることが楽しみ

2006-02-05 00:49:42 | ひとから学ぶ
 昨日は梅の木の剪定をしに妻の実家へ行った。家の裏の畑に十数本の梅の木があるが、自家用の梅干しを作るには多すぎる。もったいないといって、梅の加工工場に持ち込むことはあるが、収穫するにも大変なので毎年すべてを収穫するということはない。そんなこともあって、手で届かないほど高いところに伸びている枝はみんな落とそうということで剪定をしたのである。南側に山があってその北側の畑ということもあって日当たりはよくない。午前中と陽の沈むころには少し日があたるが、午後3時間ほど作業をしたときは、ちょうど日が陰っている時間で寒かった。わたしと義父で梅を剪定、妻と息子で梅畑に沿った山の雑木を刈って整理した。梅畑と山の間に帯状に雑木が生えている。ここには長年増やしてきた山躑躅がたくさん生えている。しかし、雑木が伸びてしまうために、毎年剪定屋さんに頼んできれいにしてもらっていた。しかし、けっこうお金もかかるし、加えて面積が広いということで、なかなか全域がきれいに整理されるという状態にはいかない。それでこの2月は、この山躑躅の周辺整備をすることになった。妻と息子で約半日やったが、今まで整理済みのところを入れても半分にはほど遠い。ドングリの木がずいぶんと伸びてしまっていて、傾斜しているのでたいへんな仕事である。切った雑木も山ほどあって、その片付けだけでも並大抵なことではない。終わったあとに、「非生産的な仕事だよね」と妻と言葉を交わしたが、まさしく退職後の趣味の世界レベルである。しかし、山躑躅が咲くころには見事に映えるであろうことを思い浮かべ、ひたすら雑木整理は続きそうである。
 ところで、昼にはイノシシ鍋をご馳走になった。久しぶりであった。もちろん家のものが獲ってきたものではない。遠山谷で山肉を扱っていることで知られる星野屋からいただいたものである。いや、星野屋でいただいたというより、星野屋の主人の双子の弟さんが青崩峠の麓で民宿をしていて、その弟さんからいただいたものである。時おりいただいていて、わたしもおすそわけをいただくことがよくある。鹿肉のサラミなるものも食べたが、こちらは癖があって、あまり美味しいとはいえないが、もらい物だからそんなことはいえない。民宿には妻の父母、わたしと妻と息子でうかがってご馳走をいただいたことがあったし、それこそ長野県民俗の会の例会を開いて、宿泊費以上のご馳走でもてなしていただいて恐縮したこともある。古くは秋葉街道の馬宿だったといわれる家で、民宿を始めたのはここ十年くらいのことである。主人は南信濃村の役場職員だったが、飯田市合併を機に辞めて、民宿に専念されている。きっと遠山の趣をふんだんに散りばめた宿を提供してくれることに間違いない。
 さて、お茶をいただきながら、昨日の元善光寺の節分会において投げられた福豆を、近くに住む叔母さんからいただいた。護符の落雁もいただいた。ということで、妻の実家に行っては働き、いろいろ珍しいものを食べられるのが何よりの楽しみである。わたしの実家に行ってもそんな珍しいものは出てこない。どちらも農家に違いはないのだが、かたや稲作中心のどちらかというと兼業から勤め優先の農業に変わった地域、かたや山間地で年寄り中心の農業地域。わたしの実家では「買った方が安い」という捉え方で、妻の実家では「できるものは家で作る」という捉え方である。実際そんな言葉を聞いたことはないが、長年妻の実家で農業をし、食事をともにしながらそんな印象を持つようになった。もちろんそういう暮らしにわたしは慣れてきた。

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