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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

お囃子の練習(天神祭り)を訪れる・前編

2019-06-29 23:24:50 | 民俗学

 

 20年ぶりくらいになるだろうか、深志神社の天神祭りについて話をうかがうのは。当時とは様子が違う、そう思ったのは、子どもたちのお囃子の練習が、6月22日から土日の午前行われると聞いた時だ。当時のお囃子は、録音したものを流しているところが多かったように記憶する。ようはお囃子そのものも衰退し、いずれ消滅してしまう、そう思ったものだ。ところが現在、そのお囃子が10日間のみ、それも1日1時間だけ行われていると聞き、継承に向けた取り組みがされていることを知った。

 練習は午前10時、深志神社境内にある天神会館で始まる。今年の名簿に掲載されている子どもたちは30名。今日はそのうち18名が参加していた。土曜日だけ、日曜日だけ、といった具合に家庭によって事情があって、10日間ずっと全員が参加するというわけではないという。お囃子の練習を担われているのは深志神社舞台保存会のお囃子委員会の人たち。この日は6人の方たちと、笛師が二人参加されていた。笛師は山辺の人たちで、現在は4人おられるという。すべて下金井の方で、下金井の方を依頼された理由は、下金井の笛師とのつながりがあったからのよう。ほかに、本町二丁目は独自の笛師が訪れていると聞き、その方の名を聞いてすぐに思い出した。平成9年、まだ二十歳前の笛師に話を聞いたことがあった。彼は町には古いお囃子があるのではないかと期待して当時の本町や中町の合同のお囃子練習を訪れたという。その理由は、昔から山辺の笛師が天神祭に呼ばれていたので、もしかしたら古いものが残っているのではないかという思いだったようだ。ところが彼の期待したような古いものはなかったが、その際声がかかり、本町二丁目の舞台で笛を吹くようになった。まだ高校3年生だった平成7年のことである。まだ若かったこともあり、継続的に彼が笛師として続けられるかどうかはわからなかったが、その彼が今も天神祭りの笛師として来ているという。聞くところによると、勤めは長野だという。彼の天神祭りへの思いが、今も祭りを支えているのだと感心する。

 ということで、現在は舞台を出す16町それぞれのお囃子ではなく、共通化したお囃子となってしまったが、子どもの少なくなった現在では致し方ない。聞くところによると、旧市内にある小学校すべてにお囃子への参加を呼びかけているという。そして希望者を募った上での30名なのである。この取り組みは平成20年に始まったという。当時は80名ほど参加者がいたと言うが、しだいに減ってきて、今年は30名。今まで最も少ないとも。かつては男の子だけであったお囃子も、もちろん今は女の子も加わる。以前『松本市史』に次のようなことを記した。

明治期以降、裏通りにも人が住むようになった。しかし、昭和期にはいっても、日常のつきあいはなく、表は表ばかりで裏通りの人々とのあいさつはおろか、顔もろくに知らないという状態であったという。もちろん祭りもおなじで、舞台のとおる表通りだけの祭りであった。お囃子に裏通りのこどもがくわわるということは、きわめてまれなことであったという。隣組制度が昭和十五年に発足すると、こうした表と裏のつきあいかたも解消され、しだいに小路に住む子どもたちも参加するようになったが、かつてのようなつよい囃子仲間としての結びつきはそのころにはなくなっていた。

 かつては男の子も全てがお囃子に参加できたわけではなかったわけだ。

続く


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