Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

同姓同名

2008-09-07 19:26:07 | ひとから学ぶ
 先ごろ新聞の「おくやみ」欄をのぞいていたら、「あれ」と思うような名前があった。「まさか亡くなったの」などと思うのは同姓同名なら誰でもそうだろう。内容まで確認すれば違う人だとすぐに気がつくものだ。おくやみ欄というのは太字で書かれた名前が真っ先に目にはいる。だから、一瞬で目に留まらなければ意味がないことも事実だ。地方では新聞は「おくやみ欄のためにとっている」という人も少なくない。わたしの住んでいるあたりでは「宮下」「大沢」「片桐」などといった姓が多い。同姓が多いとなかなか区別がつかないから名前を呼んだりする。ところがせ昔なら一郎、次郎とか太郎、正雄なんていう名前はよくつけられたから、名前だけでもよく解らない、狭い地域ならいわゆる屋号というものがあった屋号で区別されることが普通だった。そんな屋号も旧家やあまり出入りのない集落ではいまだによく利用されているが、新たな家にはまず屋号がつくことはない。わたしの住んでいる周辺は古くても戦前の家が数軒で、ほとんど戦後の家である。ということで屋号などというものは周りを見渡してもない。集落そのものは新しいものではなく、古い集落なのだが、新たに住み着き始めたような空間では「屋号」などまったく縁がない。新たな集落でも屋号なんかをつけて呼び合ったら楽しいかもしれない。

 さて、このあたりでも多い宮下姓。わたしの若いころの認識では、「宮下一郎」といえば郷土史家の宮下一郎先生だった。現在住んでいる地域の出身の方だが、なぜこの先生を知っていたかといえば、生まれ育った飯島町の『飯島村史』というものを編んだ方だった。1974年に名著出版から発行されたもので、いわゆる自治体が編纂したものでない。わたしが中学生のころに発行されたものだっから、当時強い印象をもっていた。その後飯島郷土研究会というものに参加したことがあって、当時はわたしのような子どもは誰もいなかったが、その会で一度宮下一郎先生を拝顔した記憶がある。しかし、現在「宮下一郎」といえば、長野5区選出の衆議院議員である。この地域の人に「宮下一郎」といっても、かつてわたしが知っていた宮下一郎先生を思い浮かべる人はまずいない。「先生」と言えばますます代議士の方を思い浮かべるだろう。そんな自分も郷土史家「宮下一郎」を思い描くことはすっかりなくなった。どちらも雲の上の人であったが、どこにでもありそうな名前だからほかにも同姓同名の人はたくさんいるのだろう。

 そういえば伊那谷で「宮崎学」と言えば駒ヶ根市に在住している写真家「宮崎学」を思い浮かべるだろう。1990年に「フクロウ」で土門拳賞を受賞した動物写真家である。ところが、全国的な知名度でいくと写真家宮下学より、作家宮崎学の方が高いのかもしれない。おもしろいことに写真家宮崎学氏は、自身のブログの中で、この同姓同名のことを触れている。「gakuの今日のひとこま」の中で触れているのだが、2007-01-22の「2人の「宮崎学」」では、「傑作だっのは、「ヤクザに追われているから助けて欲しい」と、東京の主婦から手紙と電話があったことだ」と述べている。作家宮崎学氏は、その手の専門家である。

 有名人ともなると、同姓同名だと困ることも多いだろう。そういう意味ではごくそこらへんに横たわっているような姓は区別がつかなくて混乱してしまう。わたしのようにあまりない姓でも、地区内複数あると、「あの○○さんですか」などと解ったように声を掛けられてしまうが、「それ、ちがう方ではないですか」といつも口にしている。あまりに無名だと、珍しい姓も間違えられてしまうのだ。

コメント    この記事についてブログを書く
« くだらないことを意識する | トップ | 宿帳から »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ひとから学ぶ」カテゴリの最新記事