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自治会の在り方②

2022-06-15 23:17:58 | 地域から学ぶ

自治会の在り方①より

 検討委員会において、話題にしたかったのは「隣組」である。隣組については、明治7年に筑摩県から出された「五伍の法則」が原点にあることについては、同名日記で触れた。その後五人組と五戸十戸などでも触れたが、さすがに最近「五戸十戸」という単語を耳にした記憶はない。もちろんそれを意図してこの界隈で聞き取りをしたことがないから当たり前かもしれないが…。現在自治の基本単位となっている自治会とか区とか、あるいは常会といったものより隣組の方が古い自治組織といえる。自治会のような単位が確立される以前にあったもので、現在の自治会のように、最小単位の下部組織として自治会に組み込まれて成立したものではない。言ってみれば葬式など義理に密接したつきあいの原点でもあり、とりわけ日常においては葬式が大きい行事であった。葬儀の変容によってかつてのような隣組の役割は薄れた。今では単なる自治組織の下部にあるような、連絡組織に様変わりしている。したがって自治会に加入していなければ、隣組の一員でもない、そうした捉え方を多くの人々がするかもしれない。事実わたしも、この春をもって自治会を退いた方を、隣組の一員であるとは捉えなかった。自治会を退いた途端に、配布物は減り、当たり前に配布するのは〇軒と自然に捉えていた。それは、昨年と今年では組長が異なるが故の、自然な意識であった。今年はわたしが組長であるが、昨年はわたしではなかった。これが継続中であれば、意識も異なっただろう。年度という区切りとともに、当たり前に「これが隣組」と捉えていた自分がいた。

 つい先日まで同じ隣組だったのに、自治会を辞めたら隣組ではない、それで良いのか、そして「そういえば」と思い出したのは、退かれた方が我が家に挨拶に来られた際に口にした「隣組のおつきあいはこれからもお願いしたい」という言葉だった。挨拶に来られたのは、もう半年ほど前のこと。ご主人が亡くなり、高齢で女性だけの一人暮らしとなれば、自治会のつきあいはできないという思いで自治会を退かれることを判断された。本人は継続したかったようだが、同居していない子どもさんたちから自治会は無理だろう、と辞めることを促されたという。ご本人が自治会と隣組の在り方をどう捉えられていたかは、この後民俗に関わっているからこそお聞きしたいこと。そうした状況を改めて意識しながら、例えば次代に戸主を引き継ぎ隠居された方々が、近所にはたくさんおられる。果たして隣近所のつきあいと、いっぽうで現実的に地域をまとめている自治組織の在り方について、どう考えておられるのか聞いてみたいと考えている。わたしだからできる作業ではないか、そう思う。

 さて、第1回委員会において、自治会を退かれたこの方を例に自治会と隣組の関係について規約に掲げられる文言に意見をさせてもらった。そもそもこの流れで行けば、高齢の方たちは自治会の活動に参加できなければ、みな退会されてしまう。地方農村であるから、構成員が増える可能性はない。したがって自治会未加入者がどんどん増えていく。他所から住み着いた方たちが、自治会に加入しない例とは異なる。もともと加入して、自治会館など建設の際に、高額な負担をいただいた方たちだ。安易に「抜けたい」からという意志に沿って無縁になってしまうことで良いものなのか、どこに問題の所在があるか考えなくてはならない問題である。

 この委員会をきっかけに自治会長から、自治体の配布物について、抜けられた方の分も手に入れて配布できるように考慮していただけるという話があった。通常、自治会未加入者の場合、自治体は依頼をされれば郵送によって配布物(広報など)を配布するのだという。しかし、依頼がなければ最寄りの場所(役場など公共機関)で自ら受け取るのが通常だという。このあたりの仕組みに改善の余地はあると思うのだが、簡単にはいかないのだろう、自治体の事務量にもかかわる。権利と義務、そうした捉え方をすると、自治組織はあくまで加入者の利益のためにあると答えられるのだろう。自治会と隣組の在り方、別物であるという意識共有をしないかぎり、整理できない意識なのだろう。とりあえず、隣組の方たちには、隣組のつきあいは、自治会を抜けられた後も継続していくことを伝えた。

続く


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