Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

南相木へ

2007-10-04 12:19:03 | 農村環境


 10/3、仕事で南相木村へ向かう。久しぶりに長坂インターで高速を降り、国道141号を北上する。清里・野辺山と通過していくわけだが、ご存知のとおり、しだいに荒廃しつつある清里である。初めてこの道を走った時代に比較すれば、道は広くなったものの、そのいっぽうで廃屋が目立つようになった。かつてある山梨県内の警察署長を勤められた方に案内されて、国道から少し入った場所にあるペンションに宿泊したことがあった。もう20年以上前のことだ。京都の知人とともに宿泊したのだが、その知人も他界された。案内していただいた警察署長は当時既に退職されていて、国道端でソフトクリーム店を営業されていたが、今はもう清里には住んでいない。しかし、そのソフトクリーム店も宿泊したペンションも、ともに今でも営業されている。廃屋が目立ち、店の看板も変わっているほど時代は流れたものの、かつて利用した看板が生きている姿をみるたびに、その時代のことを思い出す。ただ、そんな看板が生きているいっぽうで、夏が終わり秋の寂しさが漂うなか、ますます廃屋は目障りなものだ。

 そんな清里を通過して野辺山に入り、初めてになる海ノ口から南相木を連絡する大芝峠下のトンネルを走る。従来なら小海まで国道を北上してから入っていたわけだが、海ノ口から一気に南相木に入るこの道は、南側からこの村に入るにはずいぶんと早くなった。長坂インターから南相木まで約50分ほどである。距離にすると60キロ以上あるというのに、道がよくなったから連絡はとてもよい。昔とは大違いである。この地域は下伊那郡の南部地域同様に、小さな村が点在する。ただ、下伊那と大きな違いは、行き止まりという雰囲気ではないことと、高原野菜などその地域特有の産業が生きている。だから下伊那南部ほど沈んだ感じはしない。帰路国道を南下する際、野辺山の国道端を子どもたちが集団で下校していたが、意外なほどの大勢な集団であった。

 南相木といえば最近交付税の不交付団体になった村だ。東京電力のダムができて、その法人税が入るために不交付となった。長野県内での不交付団体は軽井沢町とこの南相木村だけである。この村を始めて訪れたのは、昭和55年ころである。当時の南相木村役場は、茅葺の小さな役場だった。その後役場は新築されて旧庁舎は取り壊されたが、現在は村の民俗資料館として移築されている。その移築された建物の前に「廻り舞台」と標柱があるように、もともと廻り舞台だったものを役場庁舎として利用していたようだ。廻り舞台を役場として利用したという発想がとてもユニークだ。

 人口千人と少しというこの村、わたしは茅葺だった役場庁舎を訪れた以降、何度か訪れている。もっとも印象深いのは、正月の獅子舞を訪れた昭和60年代だ。加佐という集落で正月の2日に子どもたちだけで行われる獅子舞を見学したのだ。その際訪れた家の記憶をたどってみたところ、なんとなくではあるが思い出した。当時いたおじいさんはどうしただろう、なんて思ってその家の前に車を止めたが、会社より電話が入ってしまい様子をうかがうことはできなかった。たいへん小さな空間にこじんまりとした村である。ダムの方へ少し登っていくと、南相木温泉というものができていた。もちろん初めて見た施設である。その途中の右手の三川という川の向こう側に上州でよく見られるような岩が見えた。立岩という岩で、その下に「立岩の滝」という滝がある。昼を近くの道端でとって、少し道から下ってみると、それほど立派ではないが、滝が二つ連続している。上の滝の高さに沿って古い水路の跡形がある。もともとその滝の場所から農業用水路を引いていたのだろう。その滝も上部からの土砂崩落があったりして、少し滝の中に崩土が残り、写真写りはよくない。

 移築された旧役場庁舎を写真に納めた。役場として利用されていたときとは異なり、いかにも舞台という雰囲気を醸し出す。とても役場だったとは思えないほどである。と考えていたら、これは移築されたのではなく、もともとこの場所に役場があったのでは?と思うほど昔の風景に似ている。どうなんだろう。

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