Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

くだらないことを意識する

2008-09-06 23:29:54 | ひとから学ぶ
 駅を出るときはもちろんだが、降車する際にも陽が高く、暑い中を坂を登っていたのはつい先日のことのようだ。昨年ならすでに暗くなった駅で乗車し、もちろん降車時は真っ暗、人影すらないなかを家路に向かっていたが、うそのような今年の日課であった。そんな乗車時の真昼間が、降車時には真っ暗という日々が最近である。帰宅が遅くなったわけではない。日が短くなり、夜の訪れが早くなっのだ。いずれは乗車時もまっくらという具合になってくる。ホームで電車を待つ際は明るく、電車を見送る際には真っ暗というのも、不思議なものだ。それだけ長い時間電車に乗っているということになるのだが、どこから真っ暗になったのか、などということはまったく記憶にはない。当たり前のことで、ずっと外を眺めているわけではない。しかし、きっとボーットして外を眺めていても意外と気がつかないものなのかもしれない。意識していなければそんなものだ。それでも降車すると「真っ暗」という突然の闇の訪れに、不思議だと感じる。記憶の悪い自分を恥じることもないが、きっと記憶の良い人は感じないくだらない世界なのかもしれない。人はそれぞれがそんなくだらないそれぞれの意識を持つ。どれほどくだらない事実を意識する、あるいは感づくかということだと思うが、どうだろう。

 そんなことを思っていた先日、終業ととともに会社を飛びだすと間に合ういつもよりひとつ早い電車に乗った。たった30分ほど早い電車であるものの、最寄の駅に着いてもまだ真っ暗ではない。とはいえ、伊那駅を出発する際は、陽もしっかりとホームを照らし、一時間後に夜の到来を感じさせるような印象はとてもない。まだ30゜を越える日々が続くのに、つるべ落としという秋の様相を帰路にみる。本当はもう少し先の時期のことを言うのだろうが、わたしはすでにそれを体感している。北海道では、すでに紅葉が始まっているところもあるという。このところ氷点下の日があって、急速に紅葉がやってきたという。例年に比較してもずいぶんと早いと言う。

 すでに稲刈りも始まったという。おじさんは、いわゆる篤農家である。誰よりも早く田植えにしても稲刈りにしてもしなくてはいけないと、毎年それを信念にしているという。しかし、最近は人より早いからといって得するわけでもないようだ。「隣が始めたからうちも」とか「みんなが始めたからうちも」といった具合に、よその家を見ながら農事暦にしている人たちもいるが、いっぽうでそんな人頼みではない篤農家がいるからこそ、人頼みの暦ができあがる。意外と人の顔を、あるていは行動を見ていて季節感を感じることって多いのかもしれない。そんなことを思いながら、また電車に乗る。

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