Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

宮沢の道祖神祭り

2019-01-13 23:48:34 | 民俗学

 昨年訪れた際には、「どんど焼きは昨日だった」と言われた伊那市高遠町山室宮沢を訪ねた。今年は事前に13日午後1時からと確認して訪れた。聞くところによると、当初6日に実施するという話もあったと言うが、この地区で主導的立場にあるAさんが、早すぎると進言して13日になったようだ。

 

 

 午後1時にうかがうと、隣組長が祭りの準備をされていた。Aさん宅の入口にある道祖神2体の前に、かつては当番の家を持ち回りしていたという箱入り道祖神を出してきて、お供えものと灯明をつける準備だった。隣組長さんはここに越してきて8年という御夫婦。この地に暮らすようになったのは、空家を探していて、なかなか良い物件がなかったなかで、ようやくここに落ち着いたという。永住するつもりはないようだが、既に8年暮らしているということは、ここ暮らしていてさしあたっての支障もないよう。

 この日祭りに参加を呼びかけた家は6軒あったという。そのうち4軒が参加された。組長さん御夫婦と、やはりIターンでここに暮らし始めて1年という若い御夫婦。Iターンの移住者によって、集落の雰囲気は少しはがり活気を取り戻しているとともに、若返った雰囲気を醸し出す。昨年上田市野倉のIターン移住者の多い集落を訪れたが、野倉とくまた違った雰囲気だ。そもそも野倉に比較したら、集落は消滅寸前の状態だったとも言える。Aさんはここに住所を置いていないものの、ほぼここを拠点にされて暮らしていることから、この集落の中心的存在。年齢もそうだが、ここで生まれて育って、母が亡くなるまでは母一人で暮らされていたようだが、その後ここに移られてくらされている。それまで暮らしていた本拠地もあるため、言ってみれば単身ここで暮らし始めた。これからの農村の暮らし方を象徴する形かもしれない。住所を置いていなくても、この地にはなくてはならない人、そんな存在が地域を担っていかれる。消滅寸前まで至った集落を継続するための姿だ。

 準備をされていた間、Aさんに案内されて集会所にある獅子舞の道具を見せていただいた。頭には傷が多いものの、手を加えれば今もって使える程度ではある。頭に付けられた幌は小さく、一人立ちの獅子だったことがわかる。幌はだいぶ傷んでいて、もし復活させるとなるとこのままでは使えない。ササラや男根があり、あと方がこれを持ってさすって歩いたという。大太鼓ひとつ、小太鼓二つも残されているが、いずれの道具にも年号のようなものは見られなかった。これらは、青年会の人たちによって各戸をまわって獅子を舞ったと言い、舞をすることでご祝儀を集めたという。Aさんの子どものころに既に中断したというから、半世紀以上前のことだ。

 獅子頭を見せて頂き道祖神に戻ると、すでにどんど焼きが始まっていた。どんど焼きといっても、飾られていた松飾りを集めて燃やす程度のもので、数軒から集められたものだからわずかなもの。とはいえわずかなものでも少しずつ燃やせば、櫓を組んで燃やす所よりもむしろ時間は要す。集まった御夫婦2軒と、Aさん、そしてもうひと方お年寄りの6人でのささやかなどんど焼きとなった。世間話と、かつての様子をAさんが語りながら、すでに山の尾根に日が落ちようとしている午後のひと時を過ごした。やはり日が当る時間が短いことが、若い方たちの話の中心となった。お神酒をいただき、ささやかな火の中で焼かれた餅をその場で口にし、おすそ分けをいただいた。そのうちにAさんが箱入り道祖神のうちの双体道祖神を取り出すと、どんど焼きの横に置き、火に炙ったわけだが、その道祖神を参加された方たちに手渡しすると、みなが抱えたり、あるいはお腹に当てて摩ったりと、丈夫になるようにと祈願された。2時間ほどの火を囲んでの直会が終わると、組長さん御夫婦によって、箱入り道祖神は元の場所に戻され、道祖神の祭りは終わりとなった。

獅子頭

 

男根

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