Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

奇石

2017-10-20 23:53:48 | 民俗学

 伊那市美篶の青島諏訪神社境内の脇に、神社から見れば背を向けた道路側に表を向いた石碑群がある。とりわけ「庚申」の文字碑が目立つのだが、摩耗しているものの、明らかに男神と女神の違いが解る道祖神が建っている。顔は摩耗のためかのっぺらぼう状態であるが、なぜか表情に温和さが漂う、そんな道祖神に思わず立ち止まってしまう。これほど男神と女神がはっきり解る例は少ない。摩耗しているにもかかわらず。それがはっきりするのは背の高さによるもの。背丈だけではない。身体の大きさもずいぶん向かって右側の像と左側の像には差がある。彫りは単純にもかかわらず、豊かさを印象づけるのはどこからくるかと考えると、やはりこの体型の違いのある二人が寄り添っているからそう思わせるのだう。背面には「宝暦十庚辰天正月吉日」とある。1760年銘というから、このあたりの道祖神の中では古い方にあたる。のっぺらとした顔には、当初はしっかりとした彫りがあったものなのか。背面の年号がしっかりと深彫りされているのとは対照的である。

 さて、双体道祖神の脇に、大きな凝灰岩系の自然石が立っている。かつて『長野県中・南部の石造物』を発行した際に、同書内に掲載した長野県道祖神一覧について、『伊那谷の石仏』を著された竹入弘元氏に、奇石を一欄から外したのは道祖神として認めていないということか、と指摘をされた。実はあまり注目されていないが、道祖神は文字碑と双体どちらかに分別できてしまうわけではない。山梨県のような丸石や石祠型の道祖神も少なくはない。そして何といっても奇石、あるいは陰陽石を道祖神として捉えておられる地域も多い。とりわけ竹入氏が昭和55年にまとめられた『長野県上伊那誌民俗篇』の中の道祖神一覧をみてみると、「奇石」の道祖神がずいぶん多いことがわかる。

 全景の写真でもわかるように、双体道祖神の右側に背の高いごつごつした石が立っている。奇石という形態の道祖神を知らない人は、これを道祖神と考える人は少ないだろう。それほど奇石の数は多くともメジャーな存在ではない。前掲の『長野県上伊那誌民俗篇』における道祖神一覧を見てみても、かつては奇石の道祖神が多かったことがわかる。ちなみに双体道祖神に向かって左手に立つ「庚申」のさらに左側にも道祖神の横に立つ奇石と同様の石質と思われる自然石が立っている。これも奇石であったかは分からないが、こうした奇石が道祖神とともに並んでいる例は多い。いっぽうでかつてはたくさんあった奇石が、今はずいぶん姿を消してしまっていることも事実である。


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