Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

続 本日の成果

2022-06-26 23:09:19 | つぶやき

 まさに投票依頼の電話は「こころの浮き沈み」を実感するわけだが、今日もまた休日を利用しての電話依頼を小さな選挙事務所で行った。この時だけの固定電話だから、電話番号が表示される機種なら「怪しい電話」と受け止められる。もしかしたら、「電話を取ることができません」は、あえて通話拒否されているのかもしれない。午前9時半ころからの1時間、5割以上の電話は通じなかった。当たり前かもしれない。今日は日中の気温が真夏日なるかもしれない、という予報だった。休日を利用して外の仕事をしたい人たちにとってみれば、午前中は仕事に適していたかもしれない。とりわけ市街地らしき住所の方たちは電話を取っていただいたが、農村部と思われる住所の多くの方たちは、呼び出しだけで終わる人たちが多かった。この時間帯は「ダメ」と、あらためて悟ったところだ。とはいえ、最後の30分ほど、知り合いのところに何件が電話をしてみた。確かに通じない家もあったが、何人かと通話ができた。とりわけ後援会への事前依頼を行わなかった友人や知人に、「もしかしたら協力いただけるのでは?」と思って電話をしてみると、意外に良い返事をいただいた。誰が取りまとめたかもわからない名簿に沿って電話をするより、友人、知人に電話をした方が「確実」で、「こんな時にしか電話をしなくてすみません」という言葉に対して、「それでもそれを機会に電話をいただいてありがたい」という言葉を聞いて、まさに沈んだこころを持ち上げてもらった。こうした現実を目の当たりにしながら、選挙手法の見直しするべきだとは、わたしなりに思う。そもそも世間のポスター掲示状況だ。

 わたしたちは関係の方たちに依頼してポスターを立てる。もちろんわたしたちも直接立てて歩くが、その配布数のバランスの悪さに「何それ」と思うが、指示通り従っている。とはいえ、関係者の活動エリアの大きさに無関係に、過去の後援会加入者の数をイメージして、前例に倣って配布している。が、狭いエリアにたくさん「立ててほしい」と言われても、苦慮している方たちがいるようだ。そもそも近年の参議院選挙では、ポスターにそれほど力を入れない候補者が多い。それは世間で見かける比例区候補者のポスターの数でもわかる。回を重ねるごとに、その数は減少している。いまどき確実にポスターを立てるのは、農村では与党の一党と、郵政系の方ぐらい。本当にポスターを見かけなくなった。大勢の人の目の届くところに立ててもその効果はほぼないのに、見えないようなところに立てて何の意味があるものなのか。今日思いたって掛けた友人への電話で、「〇〇にポスターが掲示してある候補者」と説明するとすぐにわかってもらえた。彼には事前に何も伝えてなかった。同じ町の方には、電話をしていたら「ポスター立っていましたね」と言われた。いかに効果的な場所にポスターを立てられるか、であり、そもそも少し手間を掛ければ効果的な場所をお願いできるのに、それをしない方たちが多いということは、一生懸命やっているわたしたちには無念さが残る。それは「電話を一人でも、二人でも」というちょっとしたところに通じる。「選挙」と耳にしただけで抵抗感を覚える、この国の人たちなのである。投票率が上がらないのも無理はない。

 さて、電話をしていて気がついたこと2点。ある方は依頼した候補者のことを覚えていて、事前に候補者名簿を確認されていた。そして「名簿の中ほどに記載されているから大丈夫」と言う。今は名簿順は無関係だ。制度改正があって「特定枠」を採用している党(自民党とれいわ新選組)があるが、33人名簿に登載している自民党でもそれは2人だけ。名簿順は無関係だ。もう1点も同じ意味に当たるが、「自民党」とは書きづらいという方に候補者について説明し「名前で書いてほしい」と言うと、候補者の投票数で当選が決まることをその方は知らなかった。けして選挙に興味がないという方ではない。衆議院と異なる比例代表制に混乱されている要因かと思われる。

 

ここに小さな田んぼが何枚あったかも、今は定かではない

 投票依頼の電話を終えた後、今日も50キロ南下して「草刈三昧」だった。8月に入ると毎年ため池の草刈が行われる。近年は当日は参加せず、事前に草刈りを応分の範囲しておくのだが、さらにその前にため池の下の耕作放棄している水田の草を刈る。7月末にもなるとその草の丈が背丈以上になって刈るのも大変なため、数年前から耕作放棄している水田の草をこの時期にも刈るようにしている。まだそれほど伸びていないから刈りやすい。加えてため池の法尻に生える太くて丈の長い草が毎年厄介で仕方ないため、今年は丈がまだ短いうちに一度刈っておくことにした。やはり丈が短いうちなら、それほど苦労ではない。年に一度しか行わないため池の草刈だが、この状況を知っていれば、2度に分けて刈る方が楽なはずなのに、無知な人たちだ。ということで、今日も我が家とは無関係な隣接地をたくさん刈った。


コメント    この記事についてブログを書く
« 「運を掛けた」? | トップ | 過去の別の日記を振り返って⑨ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事