Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

空から眺める④

2010-09-12 23:41:45 | 農村環境
 『多摩のあゆみ』138で紹介された空から眺めた地域の変化を捉えてみたが、長野県内の空中写真についても観察してみよう。これまでにも利用した国土地理院の「国土変遷アーカイブ」USA-R198-12は伊那市上牧あたりを中心にした1947年に米軍の撮影したものである。中央に現在のJR飯田線が南北に走り、それに沿って天竜川が流れている。北は天竜川支流の棚沢川の天竜川合流点あたりから、南は伊那市街地の中央あたりまでが写っている。伊那北駅の北側から天竜川流域の広々とした水田地帯が広がる。山寺から水神橋へ斜めに向かう道沿いは見事に水田が続き、水神橋を渡って天竜川左岸の上牧への道沿いも水田しかない。水神橋の少し北に、西側から合流してくる小さな川は大清水川である。この大清水川から伊那北駅北側までの天竜川右岸に広がる段丘崖下の水田の面積はとても広い。もちろん左岸側の上牧側の水田の方が広いのは言うまでもないが、この右岸側の段丘崖下に広がっていた水田、現在では数枚しか水田として利用されていない。JR飯田線から天竜川との間には現在は水田は皆無である。大清水川のJR鉄橋のすぐ下に現在も水神町の取水口があるが、かつては農業用用水だったのだろうが、今はまったくの生活用水として取水されているようだ。

 宅地化という視点で見れば、左岸側も同様で、水神橋を渡ったあたりの水田地帯も、今はまったく宅地化されており、そこから南へ向かってやはり段丘崖下に広がっている水田地帯もほとんど宅地化されている。段丘崖下ばかりではない。左岸側の段丘崖上にも今は住宅が広がり、戦時中に飛行場のあった上の原あたりも今では宅地が半分近くになっているのではないだろうか。右岸側の段丘崖上も同様で、大清水川の北側、南箕輪村神子柴あたりは1947年の写真で見ると、大清水川の端の集落から北側はほとんど水田である。これにはわたしも意外だった。大清水川と南箕輪村田畑との間にはそこそこ水田が今も見受けられるが、田畑地区同様に第二段丘崖下には家が点在していたのだろうという予想はまったく覆された。

 さて、空中写真では水が張られている面はすぐに解る。代掻きしたばかりの写真は稀なのだろうが、そんな写真を見ると圧巻かもしれない。そういえば、妻の実家の裏にあるため池を捜し求めてきた方は、グーグルの写真を見て「ため池」と判断してやってきた。けっこうため池は写真で判断できる。1947年の米軍の写真を見ていて気がつくのは、現在の伊那中央病院がある辺りの東側に小さなため池が写っている。現在はここにため池は存在しない。

 このほか市街地の西側室町や、川北町、あるいは伊那北高校の西側といったあたりも1947年の写真では、ごく限られた場所に宅地があるのみだ。いずれにしても天竜川沿いの水田がなくなったのは大きな変化と言える。

 続く

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