Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

新盆のしるし

2017-08-20 13:03:43 | 民俗学

 

 

 今年は妻の実家は「新盆」だった。この新盆の間に大勢見舞客がくるだろうと予想して、身内の新盆見舞は前倒しして盆の前に行った。ということで新盆であったが、わたしはそれほど手伝いもせずに盆を終えた。近年は実家の母は施設に入ったままで、盆に帰るという措置もないため、実家の盆にお参りするということも積極的ではなくなった。ということで仕事帰りの夕方に実家に寄ってみると、誰もいない。家の鍵は開いていたので手土産を玄関先に置いて裏口の方へ。居間の縁側の戸を開けてみると、予想通り今年は盆棚は作られておらず、仏壇に少し盆らしい供え物がしてあるだけ。かつてのような盆の雰囲気などまったくないのである。誰もいない家に線香を立てて去るのも危ないと思い、線香をあげることもなく実家を後にした。

 妻の実家では8月に入ると盆提灯を玄関先に吊るした。飯田下伊那ではこうした光景で、今年は「新盆」だとすぐに気がつく。夜になれば灯篭に火が灯り、盆らしい風情を見せる。とりわけ夏ということもあって、盆提灯越しに家の中に人の姿が大勢見えると、盆の賑わいを感じる。わたしの実家でも数年前父の新盆の際に提灯を玄関先に吊るしたが、このあたりでは盆提灯を玄関先に吊るすという光景は、あまり記憶にない。そもそも新盆のしるしに盆提灯を出すという光景が一般的なのかどうかと思い、「新盆のしるし」というものを先日同様に分布図にしてみた。やはり『長野県史民俗編』の東南中北の4巻の「仕事と行事」編を用いたが、南信と中信編に比較すると北信編には新盆のしるしのデータがほとんどなく、東信に至っては無いに等しい。新盆のしるしというものをまったく出さないのか、それとも編集上の表現違いなのかわからない。また「トーロー」と言っても実際は形が違うことも予想される。伊那谷では盆提灯を出すところが多いが、やはりわたしの実家のある中部あたりは空白地帯になっているから、印を出すという風習がそれほどなかったのかもしれない。伊那谷南端にキリコドーローというものが登場するが、これは阿南町新野の事例。実はこのキリコドーローというものが現代になって少し北上している。実際のところ葬儀社の盆に関するパンフレットにはこうした新盆のしるしも掲載されていて、その中にキリコドーローも並ぶ。分布図からもわかるようにも東信には事例がほとんどなく、北信も少ない。

 

 

 さて、飯田下伊那では盆は終わったものの、まだまだ盆提灯が玄関先に吊るされている。妻の実家もそうである。いつまで吊るされるのか、それも分布図にしてみた。しるしを出し始める日も様々だか、ここではしるしをいつまで出しておくかに限って示してみた。16日までというところが全県的に多いが、8月いっぱいというところが伊那谷の飯田以南に多い。また9月までというところが諏訪地域に多く見られる。

 

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