Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

成人社会の果ては

2008-11-30 19:25:13 | ひとから学ぶ
 「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」によると、2007年度の暴力行為の発生件数は、約5万3千件と過去最高に達したという。信濃毎日新聞11/30教育欄に「小中校の暴力行為急増」という尾木直樹法政大学教授のコラムが掲載された。小中学校での急激な増加だという。「中でも多いのが、「中学三年生の生徒と、同じ中学校の一年生がささいなことでけんかとなり、一方がけがをした」などという「生徒間暴力」」という。

 近ごろはたとえば学校の行事は地域一斉に行う。文化祭とか運動会などといったものがその例であるが、とくに文化祭は子どもたちが奔放になる時だけに要注意。別々に行うと、他の学校に群れて行って問題を起こす、などということも予想されるからなるべくそうした事態にならないよう配慮される。郡の学校が一斉に集まるような催しでは、他校の生徒とはちあわせにならないように、ルートを綿密にチェックするともいう。完全なる性悪説に従った回避行動といっても言い過ぎではないが、いざ問題が起きれば学校の責任とされるこの責任転嫁時代においては、篤姫ではないが無血開城を求めざるを得ないほど現場は非力なものになってしまっているとも言える。

 「小学校における暴力行為のカウントが始まったのは、ちょうど十年前の1997年からであるが、1006年度から連続して三割を超える急増ぶりも気になる」といい、そして中学三年生に向けて年々件数は増加していく。「このことは、義務教育における子どもたちのストレスがいかに強いかを物語ってはいまいか。とりわけ、内申点などを気にして、問題行動にブレーキのかかるはずの中三において、その兆しがまったくないのは大いに気になる」と言う。これらの背景として、2007年度に始まった全国一斉学力テストに象徴される学力向上圧力だと尾木氏は言う。学力主義は人間性豊かな人材を育成するというラインとは反対に、「いったいどんな大人が今後世に出てくるのだろう」と危惧せざるを得ないほど成長を続ける子どもたちの姿に見る。

 時に就職難時代が到来。今や中卒など就職できないという。その時になって気がついて「なんとか高校に」と拾ってくれる高校に通う。もちろんのこと郡境校であったり、地域校にそうした子どもたちが集まる。「授業が成立しない」なんていうことは想像にたやすい。自らが年老いてきて、自らの通った高校時代とまったく違うのは当たり前だと思う。しかし、いったいその場で何が起こっているのか、などということは、実は大人たちはあまり知らない。

 わたしの時代と違うのは当然と認識した上でのことであるが、電車の中の高校生を見ていてこんなことを思うときがある。かつては同じ高校の上下の関係、あるいは別の高校でも同じ中学を出たという上下の関係が、電車の中でも見られた。たとえば上級生が乗車してくると、下級生が席を譲るという光景を見た。ところが今の電車内の高校生にはそうした姿がほとんどない。もちろんのこと挨拶すらしない。先日先輩に挨拶をしている姿を見て珍しいと思って注視したほどだ。彼らは野球部であった。子どもたちにとって上下などもはや無いのかもしれない。年功序列の崩れた社会がそうなのだから不思議ではないことなのだが、何かを忘れているという印象を受ける。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****