Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「伊那谷の災害」から

2006-06-04 11:03:26 | 自然から学ぶ
 昨年の11/20に行なわれた飯田・下伊那地域研究団体連絡協議会、略して地研連というが、この会では「伊那谷の災害」をテーマにシンポジウムが行なわれた。その内容について『伊那』937号にまとめられているが、そこから思うことについて、少し触れたい。

 東海地震が起きるといわれて久しいが、被害予想を見ると、このあたりでは東海地震よりも怖いのは直下型の活断層による地震である。それはこと長野県では伊那谷だけではなく、松本近辺の牛伏寺断層帯の地震もかなり危険といわれるし、長野県庁付近の断層も危険度は高いという。山間部であり、河川が急流である長野県においては、地震に限らず災害とは常に隣り合わせの生活をしてきた。歴史から〝災害〟ははずせないほど、大きな印象を与えてきたのだ。

 今回のシンポジウムで基調講演をされた松島信幸氏は、早くより伊那谷の断層段丘を指摘し、とくにそうした断層段丘上に家々が密集してきたことに触れて、危険性を訴えていた。このごろはそうした自論を踏まえて地形地質上からさまざまな開発事象に対して指摘をしてくれる。しかし、松島氏はこの間違った人造空間をどうしたらよいのか、というところに対しては今ひとつ提言が解りにくいように思う。同誌の中にも盛んに〝意識〟という言葉がキーワードとして登場するが、意識として地形地質を理解したい、ということなのだろうか。意識さえしていれば、いざ災害に遭遇したとしても回避することができるのでは、ということになるのだろうか。そのあたりがどうも何を言おうとしているかがよく見えないのだ。危険な地質の場所に構造物を造るな、ということはわかるが、多くの事例を紹介しながら何を表現しようとしているのだろう。

 松島氏は、「増加する災害の背景」において、自然災害が地球規模で増加していると述べている。確かに地震や集中豪雨という形で災害は目立ってはいるが、こと、長野県内をみた場合、わたしが社会で働くようになってからこの30年近く、当初より災害は減少してきている。とくに伊那谷では大きな災害であった三六災害といわれる昭和36年の梅雨前線豪雨災害は特筆すべきもので、それ以降それ以上の災害は起きていないが、近いような災害は何度かあった。しかし、豪雨はあっても災害そのものの数や被災者などは減少している。一般的には道路にしても河川にしても整備されたことにより、災害が起きなくなったといわれる。しかし、おそらくその意見に対しては、異論もあるだろう。

 よく考えてみれば、今でこそ人口減少が言われているが、これまで日本の人口は戦争という事象を抜きにすれば、明らかに増加してきた。人間が増加するということは、自ずと住む場所が必要であり、かつて耕地が大切にされていた時代には、生産に結びつく土地は大事にされ、人は傾斜地とか沢沿いのような危険な場所に意外にも住んでいた。もちろん水が必要だから水の便のよい場所を選択した。川端に家を造ったといえば、いつか災害を被り、水害常習地から離れてみたり、しかし、再び川端に住み着いたりと、そんなことを繰り返してきたのだ。河川を固めて流路を整備したために、安心だと思い確かに川端に家を造るようにもなった。しかし、絶対安全とはいえない。が、人口が増えた以上は、そうした人々がどこに住めばよいか、というなかで危険な住処を求めたかもしれない。河川も整備せずに、山も昔のような植生に、といっていったら、人口の受け皿はなくなってしまうのだ。そんな人口と環境という問題が全世界で派生し、災害が起きて報道される。今だからこそ、開発とか高度文明化という指摘をするが、どう考えてもそうせざるを得ない部分があった。そうした背景と失敗を、これから開発される国にどう理解してもらうか、そしてその経験が生かされるかが鍵であって、もちろん災害にあわないために何をどうしたらよいか、ということが大事ではある。それは、造りだしてしまった環境に適応した生き方を模索するしかないということになる。

 今、〝環境〟という名のもとに、たとえば無駄なエネルギーを使わない、とかリサイクルなどというが、短絡的にいえば、この世から自動車をなくしたり、あるいは夜は外出禁止令でも出せば、数字としては素晴らしい成果が出せるに違いない。しかし、そこまでいかなくとも、夜はテレビ放映を止める、とかサマータイムのように明るい時間に仕事をする、なんていう現実的なことですら策として聞こえてはこない。ということは相反する世界を共有しながら地球を保存しようとしている、いわゆる文化財保護行政的な感覚だと思えばよいのかもしれない。そんななかで、何をどうすればよいのかという、具体的な施策を表現してこそ、大きなことを言えるのではないだろうか。そんな意味で、松島氏以降、研究発表がされているが、大きな意図に反して具体性に欠けているように思えるのだ。
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