Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

中学の部活はどうあるべきか

2006-06-03 09:45:46 | ひとから学ぶ
 まもなく中体連の大会である。いろいろあった部活も、3年生だからそれを最後にお開きである。がしかし、思うところはたくさんあったし、解消されることはない。中学の部活がどうあるべきか、わたしには今の流れ、あるいは同じ子ども達を持つ親の考えはよくわ解らない。しかし、学校が荒れたり、いじめの温床とされる何かがあるとしたならば、子ども達が寄ってたかって先生のいない空間を持てる部活というものは、そのひとつの要因にもなっているのではないだろうか。難しい時代、子ども達をみるにつけ、それだけ先生の深い眼が必要だろうし、そこへ介入する親たちを、どう処理していくかということも大きな問題だろう。

 以前にも書いたが、息子は上級生の中体連が終わったあとに、1年生ながら部長になった。2年生が1人もいなかったから息子がなったわけだが、本人はそれほど表に立って引っ張るタイプではない。それでも一生懸命やっていたが、その後のレギュラーを張る同年の数人に見事にいじめられた。息子が部長でいることが気に入らなかったわけである。結局ほぼ半年くらいして息子は部長を辞したわけだ。なぜ・・・という印象は、内情を知らない親たちにはあったかもしれない。担当の先生は、いじめた子ども達が薦める仲間を部長に据え、新たなる部活が始まったわけである。気の合った者たちだけに集約していくから、ますますその数人によって部活は占領されていった。けして息子は下手な方ではなかったので、部長を辞めたころはランク付けをするその部の中ではAランクにいた。そのランクにいられるのは4人。その4人だけは、部活の際に卓球台を優先的に占領できる。4人で2台の台を占領できるのだから、ずっと練習ができるわけだ。そんなわけだから、その4人に息子が入っていることは、その仲間も先生もいい気分ではなかったかもしれない。しだいに息子も1日10時間も練習をする部活に嫌気がさすとともに、遠くに盛んに遠征し、加えて危険な運転をする先生の車には乗りたくない、なんていう意識も出てきて、自主練習には参加しない、遠征にも参加しない、そんなことを繰り返していくにしたがい、ランキングをつける試合にも欠席しているうちにAランクからはずされたわけだ。実際は新たに入ったAランクの子どもより強くても、ランク付けするのは先生であって、はずされた以上は仕方がないし、その方がやりやすいと息子も思ったところはあったかもしれない。

 ところがである。担当の先生は卓球に詳しいわけではないから、指導となると自信はない。だからこそ町の社会体育の方たちに教わることで、子どもたちも実力をつけていったことは確かである。しかし、その指導者が、Aランクにいた時は息子に指導してくれたのに、ランクから落ちた途端に口も聞かなくなったというのである。それからである。息子が社会体育にも出なくなったのは。母は言う。息子もそこで経験しただろう、と。Aランクにいた時は気がつかなかったが、そのランクにいない子どもたちは指導してくれると思って行っても、何も口を聞いてくれないのだから嫌になるのは当然だと。そんな環境だから、レギュラー以外(レギュラーとは言うが今も息子はレギュラーだが、ようはAランクという台を独占している一部の子どものこと)の同年の子どもたちは、やる気をなくしていった。社会体育なんていうものの、いったいなんなんだ、と思うばかりだ。底辺を広げるという意味だってあるのだろうに、一部のそれも占領しているどうみてもいじめの世界を肯定しているような態度は、子どもたちをダメにしてしまう。だいたいランクなんていうものは本当の実力とは限らない。Aから落ちた途端に口も聞かないなんていうことがあるのだろうか。それにAから落ちたのは試合に出なかったために落ちただけで、たとえれば日本のサッカーのFIFAランキングが、ドイツよりも高いのと同じだ。卓球を知っている者だったら、ランキングなど関係なく、それぞれの子どもの評価点を認識できるはずだ。それができないようなかつての栄光だけで指導しているようなうぬぼたやつがのさばることじたいが、この町の社会体育に人間性の低さを覚える。

 おそらく最後になるのだろう、部活をしている子どもの親が集まっての懇談が先ごろあったという。母は、もう早く終わってくれることだけをと望んでいたから、あまりいろいろしゃべるつもりはなかったが、レギュラーからはほど遠く、試合にも出られなくて最後になる子どもの親が、先生のレギュラーに対する差別が子どもたちをダメにしているという発言をしたという。それでも先生は「そんなことはない」といいわけをするので、母は言いたくもなかったのに、またまた差別に対していろいろ言ってしまったようだ。そしたら部長の親が「血のにじむような努力をしている」と正当化したという。息子のあとを継いだ部長は、どうみても人のことなど考えないタイプだ。だから自主練習などに欠席した子どもたちに連絡網を使って連絡するときも、しょっちゅう連絡しないことがあった。当然Aランクだから、台を占領することは当然だという認識のようだ。そんなやつが部長をしているんだから、部がまともでないことはわかる。ほぼ土日といえば両日部活をし、自主練習といいながら出てこない仲間に暴言を吐く。練習試合に行っても負けると、応援が悪いとなじるという。ヤクザや暴力団の世界である。

 これが現実の部活動だ。学校教育の場で繰り広げられる不幸な事実としかいいようがない。そして、そんな空気を学校や教育関係者がどれだけ認識しているかも怪しい。息子の部だけがそうならよいが、聞いていると問題を抱える(先生も、また指導者も親も含めて問題だと思っていないかもしれないが)部はたくさんあるようだ。知人はブログ「弟と兄」で対照的な部長の息子を描いている。田舎の小さな中学と松本市内の中学では子どもたちの意識のレベルが違う。そう言ってしまえばそれまでだが、子どもたちにとってはたった1回の中学の部活である。一部の子どもたちに私物化された部活が不幸であることだけは確かだ。かろうじて母も息子も、踏みにじられた部活生活ではあったが、そんな経験をしたことを〝良し〟としようと前向きだ。
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