仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

思い込んだらいけない

2012年03月09日 | 人生観

 算数の研究会で、授業終盤の習熟の時間に関する話になったことがある。

 

 自分は、その授業で学んだ内容を習熟させる時間が必要だと考えている。どの領域であっても、ほぼ毎時間習熟の時間を設定している。

 

 その時間に、自分は子どものノートを見て回り、

「できたね。」「頑張ったね、マル。」「丁寧だなあ。」などと言ってほめる。

その時間が自分にとって幸せな時間でもある。

 

 ○を付けたときに、子供達が喜ぶ姿はとてもうれしい。

 

 

 その研究会では、次のように発言する人がいた。

 

 「習熟を設定できるかどうかは、領域による。数と計算領域ではできるが、それ以外の領域の単元では、基本問題を理解させることで時間を殆ど使ってしまう。」「数と計算領域以外では、習熟を図る時間は設定できない。」

 

 びっくりした。

 

 それでは、この人たちは、子供達が理解できたかどうかをどのようにして評価しているのだろうか?

 

 きっとしていないのだろうなあ。(しかも、習熟の時間が取れないほど授業が進まないのを子どものせいにしている口ぶりである。)

 

 

発言を聞いて思ったことがある。

 

「思い込んだらいけない。」である。

 

 先の発言をしていた人たちは、きっとこれからも習熟の時間は取れないだろう。

 

 自分で「できない」という制限をかけているからである。

 

 自分で制限をかけるようなことがあれば、進歩は止まると感じた。「できない」と思い込んだら進歩は止まる。

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月刊「致知」道場六三郎氏の言葉

2012年03月08日 | 仕事術

今月の月刊「致知」も学びになる記事が満載である。

 

 料理の鉄人(和の鉄人)道場六三郎氏は、次のように言っている。

 

 

「ものに対する執着心を捨ててしまいたい。だからこの間も、今までためてきた献立などを全部燃やしちゃったんですよ。」

 

 

「ああいうものがあると、昔のままの仕事をしてしまうんですよ。まぁ、それなら間違いもないんでしょうけどね。だけどせっかく生きているんだから、自分の年が80なら80の頭の展開でやればいい。でないと、新しいものができないですよ。」

 

「ためてきた献立などを全部燃やしちゃった。」

 

 

 

 これは、教員ならば、これまでのレポートや指導案などを全て燃やしたということになるかもしれない。

 執着心を捨てる。これができている道場氏の今の料理を食べたい。

 

 芸事は、最終的には「軽み」になるときいたことがある。今の道場氏がそうかもしれない。

 

 「ああいうもの(献立)があると、昔のままの仕事をしてしまうんですよ。」

 

 ドキッとする。

 

 今の自分を否定しながら、新しいものを作り続ける道場氏の気概が感じられる。

 

 

 

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毎朝3分弱の「かけ算の歌」でみんなかけ算が言える。

2012年03月07日 | 算数・数学

 勤務校では、毎朝「かけ算九九の歌」が流れる。3分もない歌であるが、全校児童が聴いている。 

 

 かけ算を初めて学ぶ2年生は、この歌を夏頃からずっと聴いていたおかげもあって、みんながほぼ全部のかけ算九九を言えるようになっている。

 

 「慣れ」というのは強いものだと思う。

 

 

 ちなみに、メロディーは、「おお牧場は緑」である。2の段から始めると九九81まで全部が言える。

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モノに名前

2012年03月06日 | 人生観

 本日の「みやざき中央新聞」も面白かった。

 

 特に、水谷編集長の社説はいつも面白い。今日のは、「モノに名前をつけて呼んでみる」だった。

 

 小学生のあるクラスで、ドッジボール用のボールがなかなか片付かないで困っていたそうである。 

 

 そこで、学級会を開いたところ、出たアイデアが「ボールに名前をつける」である。

 

 男子用のボールには、「ぴょん太」、女子用には「ぴょん子」と名前がつけられた。

 

 そうすると、、休み時間が終わると、必ず誰かがボールを教室に持ち帰るようになったそうである。それだけではなく、ボールが汚れていると、誰かが必ず拭いてきれいにするようになったそうである。 

 

 やはり名前をつけると命が吹き込まれる。だから命名を言うのだろう・・・。という話だった。

 

 

 確かに、名前をつけると愛着が湧くだろうなあ。

 

 早速つけてみよう。・・・ただ、壊れたりしたとき、別れるのが辛くなるだろうなあ。

 

 

 

 

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たかがテスト されどテスト

2012年03月05日 | 教師修業

 学力を計る物差しに「学力検査」いわゆる(ペーパーによる)「テスト」がある。

 

 学力とは何かを語るときに必ず議論の一つになる。「テストで測れる学力が、学力と言えるのか」

というものである。

 

 

 「学力」とは定義があいまいである。

 

だから、学力向上に本気で取り組まない人にとっては言い訳がしやすい。

 

 「ペーパーテストで計るテストが本当の学力ではない。」

という。

 

 もちろんそうであろう。あくまでも指標の一つである。

 

 しかし、ペーパーテストも重視しなくてはならないと考えている。 

 

 その理由は2つある。

 

 1つは、客観的に見える指標は大切だと考えているからである。 

 たかがテストであるならば、それくらいの数値が上がるような実践をしてみせればよいのだ。それも自分にとっては一生懸命やって全国平均以上にしている。

 

 いいわけをする人ほど、数値は低い。

 

 (逆に、優れた実践家は、ペーパーテストで計る数値的なレベルはかなり高い。その上で優れた学力を子供達に身につけさせている。)

 

 

 2つめは、教員を守る武器にもなると考えているからである。 

 

 これから先、数値で結果を求められることは多くなるだろう。そんな時に、指導の結果を数値で示せる人は強い。

 

 モンスターペアレンツの攻撃があっても、逆境に陥ったときでも、数値で結果を示せるというのは、大きな自信になる。

 修行途中の教員にとっては、落ち込んだときの、心のよりどころにはなるような気がする。

 

 たかがテスト、されどテストである。

 

 

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愛用の文具

2012年03月04日 | 通販・買い物

 算数の指導をしていると、ノートに丸を付けたり、アドバイスのために、薄く図形や数直線を書いてあげたりすることがある。

 

 赤鉛筆を使用していたが、今は、次の商品を使っている。

 

 三菱ユニホルダー

 

 である。

 

 太い芯を使ったシャープペンシルのようなものである。 

 

 替え芯もある。

 

 

2mm替え芯N 赤 (6本入) 2mm替え芯N 赤 (6本入)
価格:(税込)
発売日:

 

 さらに、鉛筆削りまで販売していた。

 

 丸付けがしやすい。

 

 しかも、心のみが消耗品なので、捨てる部分がない。資源を無駄に使うことがない。

 

 

 一度使うと、その書き味の柔らかさにも惹きつけられることと思う。

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iPod touch を使っています

2012年03月03日 | 趣味

iPod touch 64GB を2週間前に購入した。

 

 

Apple iPod touch 64GB White MD059J/A Apple iPod touch 64GB White MD059J/A
価格:¥ 33,800(税込)
発売日:2011-10-13

 

 音楽プレーヤーとして購入した。これは誤解だった。いい意味で期待を裏切られた。

 

 音楽プレーヤーでできることを遙かに超えている。

 

 例えば、「天気予報を知る。」「産経新聞を読む。」「ラジオを聞く。」「料理の調理法を調べる。」等々、実にいろいろなことができる。インターネットの端末として使えるからである。

 

 

 家族に言わせると、「小さいパソコンだね。」とのことである。

 

 確かにその通りである。

 

 すごい製品が世の中にはあるものだと感じた。

 

 

 この10年間で一番驚いた電気製品である。

 

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腹が立ったら自分ができることをする

2012年03月03日 | 人生観

 以前、とても腹が立つ出来事があった。

 

 私が、トイレのスリッパを並べていない子を叱った後の話である。

 

 叱って、できるようにさせ、ほめて学級に帰した。

 

 その後、その子の担任から、聞かれた。

「何かあったの?A君を叱っていたみたいだけど。」

 

 

 私は、次のように言った。

 

 「自分で使ったトイレのスリッパを並べていなかったから叱ったんですよ。」

 

 すると、

 

 「ああ、A君は、何回言っても忘れるから。」

 

 その言葉は、

(指導しても無駄だよ。)

(どうせできないよ。)

 

 

 というニュアンスで聞こえた。

 

 なぜなら、その担任は、「自分が使った履き物を並べる」という基本中の基本すら指導していなかったからである。

 

 かなり腹が立った。

 

 「A君をバカにするな!しかも自分が指導している子だろう!」

(と、言っただろう。20代の若い頃なら。)

 

 反論する代わりに、

「ようし、見ていろ。絶対並べるようにしてやる!履き物を揃えるという気持ちよさを味わわせてやる。」

と誓った。

 

 そのあとは、なぜかA君の方から

「ほら、先生、スリッパを並べたよ。」

「見てて、スリッパを並べるからね。」

 

 と声をかけてくるようになった。

 

 

 結局、スリッパを並べるようになった。

 

 

 だからといって担任には私からは何も言わない。A君をほめる。

 

 密かに自分で満足感を感じるだけである。

 

 それでいいのだ。

 

 (昔ならば、「スリッパを並べないはずのAくんは、最近スリッパをよく並べますよねえ。」と、担任に皮肉を言っていたかもしれない。)

 

 今なら絶対言わないなあ。

 

 

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2011年の世界の地震

2012年03月01日 | 人生観

 2011年の世界の地震 分布図

 

 という動画がyoutubeにある。

 

 東北大震災がいかに強大だったかが分かる。

 

 

 

 いろいろな感じ方があるかもしれないが、見るべきだと思う。

 

 自分は、この動画を見て、「今、自分に何ができるのだろう」と考えた。

 

 もうすぐ3月11日が来る。これからもこの日を忘れず、被災地の人たちのために何ができるかを考えていきます。

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