仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

修行をしている教師のイメージ

2009年08月15日 | 教師修業
 懇親会で、教師修行の話になった。以前から考えていた教師修行のイメージを話したら、「その通り」と納得してくださった。同意していただき、少し安心した。

 修行をしている教師のイメージは、「川を上流にさかのぼっている魚」である。つまり向上か衰退しかない。停滞はない。

 泳ぎ続けている、努力し続けている人は上流に進める。しかし、泳ぐのをやめた人には停滞はない。停滞していると本人は思っていても、周りから見たら後退している。

 努力するのをやめたときから衰退が始まる・・・という危機感を持っている。

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毎朝、鍵山秀三郎氏に学ぶ

2009年08月15日 | 教師修業
 トイレには、鍵山秀三郎氏の「凡事徹底」という日めくりカレンダーがある。毎朝、めくっては、その日の言葉を読む。

例えば、今日15日の言葉は次の通り。

「平凡なことを非凡に努める」
 鍵山氏の解説→「今まで、誰にでもできる平凡なことを、誰にもできないくらい徹底して続けてきました。そのおかげで、平凡の中から生まれる大きな非凡を知ることができました。」

明日16日は、
「大きな努力で小さな成果を」
 鍵山氏の解説→「小さな努力で大きな成果を手にしますと、人間の心は卑しくなるものです。たとえ成果は小さくても、努力して手に入れるからこそ自信になり、満足が得られます。」

このような鍵山氏の言葉を読むと、地に足の付いた生き方ができるような気がする。
 このほかにも多数の本を出しておられるが、教員なら特に勉強になることばかりである。

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命の連続性と広がりに気付く「お盆」

2009年08月14日 | 家庭教育
 お盆に実家に帰る人は多いのではないだろうか?親戚が集まるイベントというのは、大切にしたいと思うようになってきた。
 理由は、自分はここで生まれ、育ってきたというアイデンティティを確認できるからである。この確認は、自分よりも我が子にとって大切な気がする。
 子どもにとっては、祖父母、曾祖父母に会い、そしてお仏壇に手を合わせることで「自分はここから生まれてきた」と感じることができる。お盆に親戚一同集まることで、命が続いてきたという連続性や広がりを感じることになっている気がする。
 命の連続性に「気付け」と言わなくても、自然と気付いてくれるのが、お盆と正月の帰省ではないだろうか。

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研究のキーワードは、「簡単、楽しい、効果あり」

2009年08月13日 | 授業づくり
 研究主任をしているときに、自分で心がけていたことがある。

 それは、「簡単、楽しい、効果あり」の実践をつくることである。

 この3つのキーワードに当てはまる実践は、全校で取り組める。

  逆に、「難解、苦しい、効果無し」に1つでも当てはまれば、誰も実践しない。

 研究は、3年計画で作られることが多かった。

 2年目までは、楽しくて効果のありそうな実践をたくさん集め、改善しながら実践し、検証することが多い。

 しかし、3年目には、いかに簡単にするかを重視してきた。

 理由は2つ。

 1つは、研究が終わっても残るような実践は、結局シンプルなものである。簡単でないと継続できない。

 2つめは、全校での実践となると、簡単でなければ実践してもらえないからである。
 
簡単に実践できて、教師も子どもも楽しく実践できて、効果がある実践だけが広まり、長い期間続けられる。

 現場で行われる研究や実践のキーワードは、「簡単、楽しい、効果あり」だと考える。


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毎日450字を書いた人、本多静六氏

2009年08月12日 | 教師修業
 自分が尊敬する人に、本多静六氏がいる。この方は、東京帝国大学の林学博士だった方である。「職業の道楽化」も本田氏が使った言葉である。
 この方は、四分の一天引き貯金で巨万の富を築いた方としても有名である。(そしてそれを寄付している。)

本田氏は、毎日1ページ以上の原稿を書いていたそうである。32字詰め14行で1ページ、およそ450字である。しかも「著述原稿として印刷価値のある」原稿を毎日である。80歳を過ぎても続けたそうである。だから生涯で370冊以上の本が書けたのだろう。

野口芳宏氏は、「経験は意図的に積み重ね、整理を加えなければ力にならない」と言われる。本田氏は、毎日、「経験の整理」をされていたことと思う。

 毎日450字を休まずに継続するのは、気が遠くなるような努力であろう。その努力を継続し、習慣化しているところがすごい。おそらくは道楽化(楽しみ)にまでされたのではないかと考える。

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「常識」を疑え~昨日の続き~

2009年08月10日 | 体調管理
 健康管理で大切なことは、「自分自身で考え判断する」ということだと思う。もちろん知識は大切だが、自分自身の感覚は、もっと重視されてもいいような気がする。一般的には常識と言われるものの中には、必ずしも自分の体には向いていない「常識」もある。

「朝ご飯」もそうである。自分自身には「不要」だと思う。
 食事に関しては、決まった時間に決まった量を食べるのはおかしいと思っている。
あまり体を動かさなかったにもかかわらず、いつもと同じように食事をするというのは、まるで、あまり走っていない車に、ガソリンを無理矢理詰め込むようなものである。結局余分な量のガソリン(食事)は、脂肪となって蓄積される。また、胃腸への負担を増やすことにもなっていると思う。

 「空腹を感じたとき」に、「腹八分目の量」を「よく噛んで食べる」というのが、自分にとっての理想である。
栄養学の研究をされていた川島四郎氏の食事は、「一食つまみ食い主義」だそうである。川島氏は、「続々 食べ物さん、ありがとう」(朝日文庫)の中で、次のように言っている。
「晩だけは人並みの食事ですが、朝と昼はつまみ食い」
「私はアフリカの原野で自然に育った動物のまねをしているんです。あいつらはいちいち時計を見て、昼だから飯を食わなけりゃなんて、時間でものを食ってやしませんよ。」
川島氏は、自分自身で実践、体験したことをよく本に書かれている。だから説得力がある。

追記:
医学の観点から見ると常識のようにいわれていたことでも、あとからひっくり返されることは多い。
例えば、育児に関しては、「赤ちゃんに抱き癖を付けるな」「決まった時間に決まった量のミルクを与えよ。」等と昔は言われていた。しかし今では、このようにアドバイスをする人はいないだろう。
 食事もいずれは「年齢に合わせて食べる」「空腹感を大切にする」のように言われるようになるのではないだろうか。

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成人男性も「朝ご飯」は大切か

2009年08月09日 | 体調管理
 楽しく仕事をするために、健康管理を重視している。そのための手だての1つとして、自分は朝食を(殆ど)食べない。
 20代の頃は、腹が減るので、朝からたくさん食べていた。30歳を超えてからは、朝食を食べると胃が重い感じがしていた。それでも食べていたら、体重がかなり増えてしまった。
 そこで、30代半ばくらいから、朝食は食べないようにしたところ、体調がよくなったのである。体重も減った。40歳を超え、もうすぐ「アラフィフティー」になろうとする今でも食べていない。その方が調子がよいのである。

 自分のように朝食を食べない方が体調が良くなる人はいるはずである。特に、30代を超えて昔ほど体を動かさなくなった人、特に男性、しかも晩酌をする人。
 朝食を抜くと、午前10時から11時頃に空腹感を覚える。この空腹感が体にいいのだと思う。この間に、胃腸は次の消化に向かって準備をしている気がする。体内の余分な脂肪などの栄養もこのときに使われているような気がする。
 当然昼ご飯はおいしく、噛み締めながら頂くことができる。

 早寝早起き朝ご飯という言葉が今重視されているので、「朝食は食べない方がいいですよ」と周りの人には言いにくい雰囲気がある。確かに子どもには朝食を食べさせるし、20代までの若者も朝食は取った方がいいと思う。

 しかし、30代を超えた男性で、朝は空腹を感じていないという人は、ムリして食べない方が体にはいいと思う。朝食を抜いて、ガマンができなくなったら、10時か11時頃に何かちょっと口にすればいい。(もともと江戸時代よりも昔は、1日の最初の食事が11時頃だったと聞いている。)

本を読むと、朝食を食べていない人はたくさんいる。しかも私が尊敬する人ばかりである。朝食を食べていない(と思われる)のは、次の方々である。
 川島四郎氏、鍵山秀三郎氏、渡辺正氏、石原結實氏
 これらの方々に共通するのは、健康そうに見える(実際健康だと思う)点である。全員肥満ではない。

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大宮崎落語祭

2009年08月09日 | ブログ

大宮崎落語祭が開催される。こんなに豪華なメンバーが集まる機会は、今後無いような気がする。そんな会である。





10月11日(日)~12日(月)に行われる。



詳細は、以下のページ



大宮崎落語祭



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天国と地獄

2009年08月09日 | 映画

天国と地獄<普及版> [DVD] 天国と地獄<普及版> [DVD]
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2007-12-07

 黒澤作品は、よくリメイクされるが、オリジナルの方が良いと思うのは私だけではあるまい。張り詰めた雰囲気が最後まで続く。

 この作品も最後まであっという間だった。観客をぐいぐい引っ張っていくこの演出はすごい。

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人生観、仕事観を磨く本

2009年08月09日 | 教師修業
 20代の頃は、買う本の7~8割が教育書だった。特に研究授業の前には、教材研究のために1~2万円位 本を買って準備していた。
30代になると、教育書だけでなく、自分自身の人生観を磨くための本を多く買うようになった。教育書4割、観を磨く本が4割といったところだろうか。(あとの2割はいろいろである。)

自分自身の人生観、仕事観を磨くために毎月楽しみにしている本がある。それは、月刊誌「致知」である。

 毎月、様々な業種の人たちの生き方や考え方が紹介される。こんなすごい生き方をしている人がいたのかといつも感動させられる。(この本の編集をしている人は、どうやってこんなすごい人たちを毎月探してくるのだろう)

 この本に出てくる方々は、自分の生き方から多くを学ぶことができたという意味で成功者であると思う。自分もいつかこの本に載ることができるよう教師修行に励みたい。

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カブトムシ、クワガタを捕まえるコツ

2009年08月09日 | 理科
 最近、虫取りによく行く。カブトムシやクワガタなどを取りに行くのである。小1の息子が今虫に夢中である。おそらく起きている間の90%くらいは虫のことを考えている彼である。
 一緒に虫取りに行くようになって、虫取りのコツが少し分かってきた。

1 暗いうちに出かけること
 夜行性のため、夜に活発に活動しているため、たくさん出てきている。そして、もっと大きな理由は、明るくなるとスズメバチが出てくるからである。

2 クヌギだけでなく、楡の木もチェックすること
 楡の木にも虫がいることを初めて知った。どんなところにいるかは、勤務校の子ども達に聞いたら詳しく教えてくれた。子ども達はよく知っている。

3 よく集まる樹は決まっていること
 林の中に何本も樹があったとしても、虫がよく集まる樹は決まっている。林の中に入ったら、1回目だけは全ての樹をチェックするが、2回目以降は、よく集まる樹だけをチェックすればよい。
 集まらない樹には殆ど虫がいないが、特定の樹には毎回たくさんいる。これはなぜは不思議である。



先日は、大きなヒラタクワガタがいた。あまりに大きいので、オオクワガタと見間違いしたほどである。実際に林に行って虫を捕まえるというのは、大人でもワクワクする。
 本物の持つ迫力はすごい。

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仕事も大事 遊びも大事

2009年08月07日 | 教師修業
サーフィンに行くと、2つのことをする。
 1つは、「波に乗ること」である。
 2つ目は、「ボーッとすること」である。この2つがあるからこそ、やめられない。

 波に乗るのは、「動」の楽しさである。ボーッとするのは、「静」の楽しさである。
 海で波待ちをしている間、海や空を眺めると、とても心が落ち着く。どんな美しい絵画を見るよりも、素晴らしい芸術を見せてもらっているような気がする。
今日の宮崎の海は、こんな感じである。






 サーフィンをしていると、体が鍛えられる。そして、いずれサーフィンを通して体育や環境教育もやってみたい自分にとっては、サーフィンも仕事のうちである。(と、自分では思っている。)

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心が引き締まる知覧特攻平和会館

2009年08月06日 | 教師修業
一昨日、映画を見た。「俺は、君のためにこそ死にに行く」である。特攻隊の物語である。散っていった方々に対しては、感謝の気持ちという言葉では、言い表せない複雑な感情がある。尊い命を捧げて下さったことに対して心から感謝している。
 この映画の中では、「犬死にだった」と言っている人もいたそうだが、自分は決してそうは思わない。そのような発言は、無責任で冷たいと思う。

 映画を見て感じたのは、もう1つある。このような特別攻撃を命じておきながら、責任を取らなかった上司もいるのではないかと言うことである。(もちろん取った人もいるが)
 人には、非情な命令を下しておきながら、自分は安全な場にいるような人は、いつの時代もいるような気がする。

 ところで、知覧特攻平和会館は、自分の心が一番引き締まる場所である。隣の鹿児島県にあるが、数年に1回は訪れている。知覧特攻平和会館は、日本人なら一度(と言わず二度三度)は訪問していただきたい場所である。
 知覧に行ったら一般に書店では販売していない本やCDがある。自分は、CD「とこしえに」(高城書房)を買った。隊員の遺稿が集録してある。何回も聴いたが、今でも時々聴き直している。こんなに心を打つCDは、ほかにない。

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教師の話し方を鍛える

2009年08月05日 | 教師修業
人の話を聴いていて、「だめだこりゃ」と思うのは、「話が長い。(しかも自分が長い話をして、他人の時間を奪っていることに気付いていない)」 「要点は何かが分からない。」という場合である。そして、こんな話し方をしている人の授業は決まって下手である。例外を見たことがない。
教師も話し方を鍛える必要がある。

 自分自身、話が下手であると思う。特に20代の頃は、他人の話を聴いていて、「何でこの人はこんなに楽しい話ができるんだろう。」「この人の話は、いつもためになるエピソードが入っている。」などと感心することが多かった。
 
若い頃に心がけていたことは、「短くまとめる」である。下手な話を聴かされる方は、かわいそうである。せめて短い話でまとめようと心がけていた。

30代の頃は、「伝えたい内容に関するエピソードを何か入れて話そう」と考えていた。聞き手は、具体的な話を聴きたがっている。

話し方がうまい教師になれば、子どもは幸せである。内容が一番大事だが、テンポや間のとり方、エピソードの取り入れ方が上手なら、子ども達は、楽しいだろう。

自分自身、話し方を鍛えるためによくしていることは、次の2つである。

1 野口芳宏先生の話を何回も聴く。
2 落語を聴く。

1 野口芳宏先生の話を何回も聴く。
教師の話で繰り返し聴いても「面白くて、ためになる」のは、野口先生の話である。内容がよいのはもちろんだが、エピソードの取り入れ方や間の取り方、ユーモアのセンスなど、聴く度にためになる。
 宮崎には、毎年10月に野口芳宏先生が、来て下さる。毎回聴いている。野口先生の講演をおさめたCDも購入して、繰り返し聴いている。

2 落語を聴く。
一番好きなのは「古今亭志ん朝」である。この方の噺を聴きながら通勤やドライブを何回したことだろう。「文七元結」「芝浜」「佃祭」「高田馬場」等を聴くと、日本に生まれて良かった。日本語を話せて良かったと思う。
最近は、若手や中堅の噺家さんの高座をインターネットでも無料配信をしてくれる。
「ピザハッ亭」や「お台場寄席」で検索すると分かる。

一昨日の自分が行った講座では、参加者にアンケートを書いていただいた。感想欄に、「話術も最高でした。」と書いて下さった方がいた。自分では話がうまいと思ったことはなかったので、とても勇気づけられる一言だった。これまでの成果が(少しではあるが)表れてきたのかもしれない。

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プレッシャーを克服する考え方

2009年08月04日 | 教師修業
 昨日2時間の講座が終わった。自分にとってはかなりの長時間だった。準備の段階でへとへとに疲れた。(同じサークルには、1日丸ごと1人で5本の講座をこなす方もいる。野口芳宏先生は、昨年度で11年連続11回目の宮崎県での講座を行われた。丸1日を11回である。体力も伝えるネタも良く尽きないと思う。すごい力量である。)

 自分で講座を進めるというのは、かなりのプレッシャーを感じる。依頼があった1ヶ月前から、ずっと感じていた。
 今回、プレッシャーを克服する考え方があると思った。

 まず第1段階は、ベストを尽くすことである。講座に向けて、「ベストを尽くして準備ができた」と思えるならば、たとえうまくいかなくても、あきらめはつく。失敗したとしても「まっ、しょうがない」と気持ちを切り替えるまでに、そんなに時間はかからない。
 ただ、この段階までであれば、プレッシャーを感じにくくするところまでである。心の状態が緊張感や不安を拭い去るところまでは、行かないと思う。プレッシャーを克服するところまでは行かない。


 第2段階は、参加者にとって有益な時間にしたいと願うことである。これは、自分のことではないから、使命感のような気持ちが生まれる。
「緊張なんかしていられない。不安になるくらいなら、少しでも良い講座を作ろう」
「有益な情報を伝えられるようにしよう」
「聴きやすい、楽しいネタも取り入れよう」等のように、積極的な心理状態になれる。
プレッシャーなど感じてはいられないという気持ちになりやすい。

 自分のためでなく、人の役に立ちたいと思うときに、プレッシャーに負けない強い心が持てるような気がする。
 それでもプレッシャーは感じるものだけれども・・・。

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