週末は山歩きだった。・・・といっても、登山ではない。
両親は、山に少しだけ土地をもっている。ほんの少しではあるが、5箇所位に別れているため、ややこしい。
山というのは、境界が分かりにくいことが多いため、専門の方(お役所関係の方)に、境界を調べてもらったそうだ。
週末は、その境界に当たる樹にペンキを塗って回った。両親からの依頼(命令?)である。
びっくりしたことがある。
もう亡くなった祖父がつけたペンキのあと(25年位前)が、今もうっすらと残っているのである。
もっとびっくりしたのは、自分ではない人のため(子孫)に、役立ててもらおうという意識で植林をしたり、木々の手入れをしたりしていた事実を実感したことである。
自分が幼い頃に植えた木もあった。(ただし2~3本である)
自分ではあまり覚えていないが、寒くて泣きながら木を植えたような木はする。
その木は、今直径20~30㎝位である。大きくなったような気はするが、役立つほどの大きさではない気がする。きっとあと100年位すれば、木材として役に立つであろう。
山の中には、直径70センチ位の見るからに立派な樹もあった。
それは、祖父や曾祖父が植えたものらしい。
祖父「が植えた木は、決して祖父が使えるわけではない。100年後位にやっと使える。
しかし、それでも、後世に生きるもののために、木を植えるというのは、何か崇高な行為に思えた。山を通して、何か後世におくりものができるような気がする。
そういう意味では、『山』に土地があるというのは、いいものだと思う。ご先祖からのおくりものを目に見える形でいただける気がする。
『山』に限らず、何らかの形で、後世におくりものができるような生き方がしたいなあ。
週末は、山を歩きながらそういうことを考えた。