今日は我が家のニャンコ、カイザーの四十九日にあたる日だった。
白木のお位牌を霊園に納めに行った。
この画像はその霊園から宝塚市街を見下ろしたもの。
右手に甲山(兜の形をしています)ずーーっと向うに大阪湾も見える。
受付で「白木のお位牌を納めに来ました。」と言うと
そこまで神妙な顔せんでも・・・と思う係りの人が
「お経はどうなさいます?」と聞いてきたので、すかさず「結構です!」
と答え決められた場所にお位牌を置き、本日はFREEで帰ってこれた^^;
家に帰って今まで片付けられなかったニャンのトイレと爪とぎを片付けた。
私にはずっと疑問があった。
それはカイザーが亡くなってそれを引きずるのが自分の両親が亡くなった時より
長いと言うか・・・悲しみが深いと言うか・・・親の時はこんな事がなかった。
ある程度「しゃーないかぁ。。」でケロッとしている時もあった。
私は親よりニャンコが大事な人間だったのかな?と思い始めていたのだが
先日、ある人と話していたらその人も私と同じで親より引きずったと言う。
よかった!私だけじゃなかった♪と安心したら、その人が教えてくれた。
「それはね。愛する者を亡くした悲しみと愛してくれた者を亡くした悲しみの違いよ。」と。
人間は勝手だから「愛した者」を亡くす悲しみは「愛してくれた者」を亡くす悲しみを超えるらしい。
勿論、親は大切だし感謝もしてるけど正直「鬱陶しいなぁ。。」と思う事もあったもんね^^;
などと笑ったりしたが・・・まぁ人間は複雑な生き物だから微妙な心理もあるんでしょう。
って事は私の息子は私と同じ事を感じるようになるって事だ。
まぁしゃーないかぁ・・・
白木のお位牌を霊園に納めに行った。
この画像はその霊園から宝塚市街を見下ろしたもの。
右手に甲山(兜の形をしています)ずーーっと向うに大阪湾も見える。
受付で「白木のお位牌を納めに来ました。」と言うと
そこまで神妙な顔せんでも・・・と思う係りの人が
「お経はどうなさいます?」と聞いてきたので、すかさず「結構です!」
と答え決められた場所にお位牌を置き、本日はFREEで帰ってこれた^^;
家に帰って今まで片付けられなかったニャンのトイレと爪とぎを片付けた。
私にはずっと疑問があった。
それはカイザーが亡くなってそれを引きずるのが自分の両親が亡くなった時より
長いと言うか・・・悲しみが深いと言うか・・・親の時はこんな事がなかった。
ある程度「しゃーないかぁ。。」でケロッとしている時もあった。
私は親よりニャンコが大事な人間だったのかな?と思い始めていたのだが
先日、ある人と話していたらその人も私と同じで親より引きずったと言う。
よかった!私だけじゃなかった♪と安心したら、その人が教えてくれた。
「それはね。愛する者を亡くした悲しみと愛してくれた者を亡くした悲しみの違いよ。」と。
人間は勝手だから「愛した者」を亡くす悲しみは「愛してくれた者」を亡くす悲しみを超えるらしい。
勿論、親は大切だし感謝もしてるけど正直「鬱陶しいなぁ。。」と思う事もあったもんね^^;
などと笑ったりしたが・・・まぁ人間は複雑な生き物だから微妙な心理もあるんでしょう。
って事は私の息子は私と同じ事を感じるようになるって事だ。
まぁしゃーないかぁ・・・