人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

病気という文字

2016年05月27日 | 日記

知り合いの女性(寡婦)に

電話で

いつもいつも愚痴ばかり

の人がいます。

娘や実姉や実弟や

その奥さんのこと

お嫁さんのこと

もう何十回と聞かされた愚痴

そりゃもう辛抱して付き合ったのです。

そして怒りっぽい・・・

ただ、仕事はちゃんとやってて自活しています。

世間的には「がんばりやのいい人」なんでず

とうとう重い病気になってしまいました。

見舞いに行くと

ずっと娘のことで愚痴を言ってます。

「毎日毎日けんかしてる」と。

私「けんかできる相手もいない人もいるんだよ」

と言ったものの・・・

ほんの少しでも

毎日見舞いに来る娘のことを

ありがたいとか

幸せだな、とか

感じて「感謝」の心に切り替わったら

病状が軽くなるのでは、と

思ったのでした。

今、85歳で元気に仕事している

もう一人の女性からは

一度も愚痴を聞いたことはないのです、

怒りっぽい、愚痴が多いという

感情のきつい人は

やっぱり重い病気になるのでしょうか

「病気」の「気」とはなんでしょうか

しばし考えた一日でした。

 


ラベンダー

2016年05月26日 | 日記

たった一つ買ったラベンダーの苗

から

今は庭の片隅に群がっていて

可愛らしい小さな紫色の

つぼみをつけています。

これって、適当にちぎって?

どんどん地面に挿していっただけ。

紫色という色はどうして

こんなに

ひとを魅惑するのでしようね。

いかにも、といったふうの

赤やピンクの洋花には

あまり愛着はわかないけれど

そしてだいたい

すみれとか、ホタルブクロとかは

日本種のが好きなのに

ラベンダーばかりは特別です。

しかも簡単に挿せて

簡単に増えてくれます。

つつましくて

しかも気品があって。

またこの雨の季節に

何本も折っては挿して

しまいそう・・・


新聞って・・・

2016年05月25日 | 日記

久しぶりで新聞買いました

留守がちなので新聞取ってなくて

もっぱらニュースはネットから

でした。

で、その新聞、日本の大新聞社のですが・・・

えっ、こんなにつまんないものだったっけ??

ニュースはだいたいすでにネットで

読んでたものばかり、

一面広告とかがけっこう増えてた

社説は相変わらず・・・・

こんなのにみんな

毎月数千円も使ってるのかなと

気の毒に思ったりしました。

PCで、動画見たりしながら

一人食事も楽しいものです。

ほっとします。

若い世代がもうほとんど

新聞購読していないというのも

頷けますね。

もう、紙の時代は終わったのでしょうか。

紙と言えば「手紙」。

以前は世界を旅していた息子からの

手紙が届いて今も大事にとってあります

今は地球の裏側からでも

リアルタイムでケータイにメールが・・・

とてもとても便利です

手紙の持つ独特の懐かしさ

消えました。

おや、何を言ってるんでしょうか。

手紙の「紙」を懐かしがってて

新聞の「紙」には批判的。

だから

新聞が生き残ろうと思うなら

ネット以上に魅力あるものに

しなくちゃやっていけないのだと

思いますね。

そう

あの失われた「手紙の魅力」

のような・・・

 


よろよろとでも

2016年05月24日 | 日記

久しぶりに繁華街へ行きました

そのなかで何人かの

老齢の人や

歩行困難に見える人などが

堂々と?歩いているのを

見ました。

これが文化度ではないでしょうか、

堂々と車椅子や

松葉杖をついて

道玄坂を行く姿は。

若いときに読んだ

リルケ「マルテの手記」の

冒頭に

「ひとは死ぬためにパリに来た」

というようなことが

書いてありましたが

ここはそんなじゃなくて

「楽しむために」繁華な街を

歩いているのでした。

そんな姿を見ると

まだ今のところ

すたすた歩ける自分に

勇気をもらえます。

久しぶりの街の姿でした。

 

 

 

 


侯孝賢

2016年05月23日 | 映画

侯孝賢の映画を二本見ました、

「冬冬の夏休み」ーー

夏休みの子供たちの世界に

「気の変な女」がすばらしい位置に

存在していました。

あれこそがメルヒェンというものでしょうか。

あの「女の存在」こそが

あの映画を際立ったものに

したのだと思いました。

もうひとつは「恋恋風塵」。

気の弱そうな若者が

兵役中に恋人に捨てられて

失意のまま故郷に戻ったとき

母親は気持ちよさそうに

昼寝しているし

お祖父さんは畑。

そしてお祖父さんは孫に向かって

懸命に「サツマイモの育て方」を

しゃべる。

それがラストシーン。

ここがやっぱり侯孝賢の真骨頂。

安価な「解決」など求めず

「あるがまま」を切り取った・・・

そして緑したたる台湾の村

「赤とんぼ」や「仰げば尊し」が

流れる画面・・・

効果的に使われる「汽車」

小津を尊敬しているのが

ありありとわかる。

この詩情豊かな映画を見たのが

なんだか台湾の新しい

民進党による出発と重なって

見えてしまったのでした。