人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

多賀城

2015年06月25日 | 旅行
老婆がまだ

青春期にあった

ころ

東北の旅を

続けていた

ことがありました。

もう真っ暗に

なった

列車の外

とまった駅の

名が

多賀城

でした。

「あ、多賀城!」

わたしはつい

大きな声を

あげました。

わたしの前の

座席には

東北大学の

学生らしい

若者たちが

並んで座り

ベートーベンの

フィデリオの

話を

情熱的に

話し合って

いました。

でも

わたしが思わず

「あ、多賀城!」と

叫んだので

彼らはなぜか

黙ってしまいました。

リュックを背負った

妙な女の子が

一人

旅をしていて

突然

彼らにとっては

日常の地名を

感動のあまり

叫んだのを

奇としたに

違いありません。

あの学生たちも

いまは

超高齢者で

どこかの

施設にでも

入っているのでしょうか、

それとも

元気で

奥さんと

フィデリオを

聴いて

いるのでしょうか。

長生きの恐怖

2015年06月24日 | 日記
長生きして

いえ

しすぎて

生き恥晒して

まで

生きるのは

辛い

です。

そんなことが

ないように

願うけれど

もしも

100歳までも

生きていたら

息子や

孫の

なかに

起こるかもしれない

悲しみを

見なくてはならない



思っています。



先日

老妻をなくした

老人が

昨日と同じように

淡々と

暮らしている

のを見た

とき

あまりの

高齢者は

人生の悲しみも

喜びも

超えてしまうのかと

思ったけれど

やっぱり

この私

もういいかげん

よぼよぼの老婆は

早く召されたい



思うのでした。

そうしたら

残されたほうも

ほっとするのは

間違いないのです。

ひがみではなく

そう

思います。

ヒロシマ

2015年06月23日 | 日記
老婆は

広島の人間では

ありません



広島の知人が

老婆に言いました、

「ヒロシマ」には

うんざり。

マスコミも学校も

ヘイワ、ヘイワの連呼。

ヒバクシャ、ヒバクシャ

は、まるで英雄

原爆の悲惨を

語り伝えることが

使命というけれど

いくら伝えても

「悲惨なドラマを語り継ぐ」

という「尊い義務」は

それで世界が

平和になる

有効な装置とは

とうてい思えませんよ。

おやおや

あなた自身

被爆者ではありませんか

なのに

どうして?

だってね

何千回、ヘイワと叫んだとて

何万回、ヘイワと叫んだとて

世界のヘイワは

実現しない

はず。

原爆はどこの国が

落としたの?

これは国際的な

罪悪で

ナチのユダヤ虐殺と

同じではないの?

目の前で

肉親が焼かれたり

体じゅうに

ガラスが突き刺さったまま

死んでいくのを

ただ見守るしかなかった

わたしらは

この怒りを

どこにも向けられない

のです。

だって

マスコミも国も

教育も

だれも

本当の罪人を

告発しないのですから。

ただただ

日本が悪かった

というばかり。

ということは

ヒバクシャは

被曝したことが

悪かった

ということで

わたしはだから

ものも言う気が

いたしません。

みんな勝手に

大きな声で

「ヘイワ」「ヘイワ」と

叫んでれば

自己満足なんでしょ。

本当の悲しい

被爆者は

沈黙を

守って

命の尽きるのを

待っています。



知人は打ち明けて

ふっと

笑いました。

運命の同居

2015年06月22日 | 読書
同居したくなくても

せざるを得ないのは

運命としか

言いようが

ないですね。

おヨメさんにとっても

姑にとっても

過酷な

それはもう

運命としか

言いようがない



思いますーー

例外は必ずありますがーー



同居が当然だったころ

おヨメさんも

姑も

どんなふうに

自分をまかなっていたのでしょうか。

そこには

過酷さに

適度な

解消の装置が

あったと思います、

それは

何だったのでしょうか。

愚痴を言い合う

仲間の存在か

それとも

ヨメに押し付けられた

道徳観の

強い縛りか

いずれにしても

「近代」のヨメと姑は

「個」に目覚めて

しまったため

もはや

世間の

道徳観は

ゴミ箱に行きました

から。

それぞれが

うめくように

「個」を

生きていくしか

ないのですね。

いやいや

同居を

謳歌していますと

いう

家族もいるとは

思いますから

誤解なきように。

ただ

老婆は

このような

100点満点の

家族を

奇跡としか

思えないのでした。





方程式はいらない

2015年06月21日 | 日記
老婆には

難しいことでした、

人生の負の部分と

輝く幸せの

ないまぜになった

自分の立場を

完全に

Xの二次方程式か

なんかで

太陽の光のように

まるで陰のない

幸せの解を

見つけるべく

そんな方程式を

考えても

考えても

Xの

解答には

至らなかった

ところが

そんな方程式は

要らなかった

ただ単純な

「引き算」で

事足りると

わかったのです。

あちこちに

突き出ている

負のこぶを

ただ

引き算していくだけ。

あれも引こう、

これも引こう。

ただし

見ざる言わざる聞かざるは

あまりにも悲しいから

引き算のたびに

違う世界で

その分

足していこう



思ったのでした。

なんのことか

わかりにくい

話で

すいません。