蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

レヴィストロース、ルロワグーランとの対話 6

2020年02月04日 | 小説
(2020年2月4日)
演壇裏の通路からコツコツ、靴の音が聞こえた。始めは微か、すぐに大きく、急ぎ足を響かせた。ドアが開いて男が肩口からのりこむかに入った。痩身、振る腕の手先には一帳のノート、頸がひょいと長くその上の顔はコケ皺の一条が刻む薄い頬、鷲鼻がその真ん中にしっかり座る。その若い頃の写真で髪は黒。しかし登場した男の頭に白い髪、生え際が後退しているから、もとの広い額をさらに広くしていた。紺の上下にネクタイ。生地にやつれが見える。着する様は羽織るかにゆったり、着古したその分、着易いと覗える。肩口から前身頃は素直に、着ずれの皺を浮かばせず垂れている。上着と同系、でもより濃い色のネクタイが頸もとを緩く占める。

写真はネットから。拡大解説は下に。

演卓に歩みを速め立ち止まった。
ノートを卓に置き頁を開いて、黒縁眼鏡をすこしズリ上げて、席列に待ち並ぶ聴衆に目を向けた。それはクロード・レヴィストロースであった。写真で見慣れた風貌まさにそのもの、彼自身であった。

百人を越す聴衆に対峙し、演壇に立つ一人の男が無表情に視線を巡らせた。
構造主義の旗手、言語学意味論を換骨奪胎、意味の主客を逆転し、現象論を無味乾燥の根源的対立の無神論に刷り替えて、弁証法論争でサルトルを打ちのめした理念の超人。神にも近い立ち姿を目の前にしている。その筈だ。
しかし、張りつめた気がすーっと風の通りのように、私から抜けた。
背広上下にネクタイの痩せた長身の男、それは一人の市民ではないか。

フランス学院の公開講座のレヴィストロース。黒板にaishishi(イシス)と書かれる。「裸の男」のヒーローなので撮影は1970年以降。私(渡来部)が聞いた2年後であろうか。

確かな気落ちである。沈思してしばらく、そして、
tapis rougeレッドカーペットを敷き詰め、登場に合わせファンファーレでも流したらよかったのか。哲人といえども背にオーラが生えてはいない、バラ花弁の散らばる石楠花の小径を踏みしめる毎日ではないし、風体とか身なりでそこいら市民と変わるところがあるものか。痩せぎす背の高い一人の眼鏡の男。それで彼には十分ではないかと思い直し、
「この初老男がレヴィストロースを演じているのではない、レヴィストロースが彼を演じているのだ」気を取り戻した。

<Messieurs, dames et mesdemoiselles. Bonjours a tous.紳士淑女、お嬢さんの皆さんによい日よりを>
damesとmesdemoi...の間に一息おいた。damesで終わってお嬢さんを外しても欠礼ではない。聴衆に未婚女性が混じると気付いたのでmesdmoi... お嬢さんを追加したのだろう。顔見知りかも知れない。
さっそく演題に入った。
彼の口からは演題について「それが何か、素材は、主題は、展開、筋立ては...」これらの一切を語らない。すぐに本題に入った。

写真をもう一葉。公開講座の雰囲気(50年前)がお分かりかと。3日投稿した写真は今の状況である、随分と変わったモノだ。

1968年11月のレヴィストロース刊行物の状況をさらうと;
神話学の第三巻「食事作法の起源」を1968年7月に出版している。部数は9495冊。
それ以前は;第一巻生と調理(Le Cru et le cuit)の出版が1964年末、8979部を印刷して評判は高かった。第二巻蜜から灰へ(Du Miel aux Cendres)は1967年初に出版。部数は若干増えて9271。
すると1968年4月までの講演は(おそらく)「蜜から灰へ」であったろう。7月出版の「食事...」を11月に取り上げたのは自然な流れである。
しかしここで私(渡来部)の記憶が不確かになる。

「食事...」はモンマネキの冒険から始まる。この神話M354が本書の基準とされるので、まずここから解説を始める筈だが、その時聞いたのは「バイソン婦人」(M465北米Hidatsa族)に思えてならない。神話は小男、実は太陽神が村人に賭をけしかけて、村が所有する武器を全て取り上げた。バイソン婦人が「太陽神の手下部族が攻めてきて、男は殺され女は奴隷に貶められる。これを防ぐには...」村人に入れ知恵し、何とか守りきった。神話紹介の段は分かり易かったが、その後が「全く分からない」状況に陥った。
後日、同書を購入し読み進めて、というか辞書を首っ引きにして、幾度も挫折して頁を開けたままにして、数年後に(自分なりの)理解に至った。
前知識なしに<le nombre ordinal et le cardinal, la somme arithmetique assure la meditation , puisqu’elle permet aux nombres de parraitre l’un apres l’autre......>
を聞いて100名のフランス人聴衆はスノッブで高学歴だから、きっと分かっているのでしょう。私を言えば全く理解は出来ない。ラテン語の講義を聴いている錯覚さえ覚えた。
続く

(なお上記バイソン婦人神話は「食事...」の第二部Balance egaleの基準神話となります。この章は数え方の原理、基本数詞と序列数詞の区別。序列数詞の最終位が「充実」を意味するを述べる。部族社会の興隆と没落の周期性を序列の最終位と見比べる思考を解説している。部族民通信のホームサイト(WWW.tribesman.asia)2019年10月15日投稿で取り上げています)

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