若殿の気ままな独り言

日常生活で見聞きしたこと感じたこと、はまってるマカオ/Macau/澳門のことなど、勝手気ままに書き綴ります。毎日更新!

世界遺産を巡って (沖縄ぷらぷら散歩~首里城公園~)

2010-06-20 12:00:48 | Macau、旅行
昨日19日は一日早い父の日のお祝いと、メインイベントが青天のもと無事終了のお疲れさん会を兼ねた吞み会を、イケメンくんと姫がプレゼントとシャンパン持参で殿宅に来てくれて催してくれました。沖縄でのビデオやスライドショーを見たりで、和気あいあいとした楽しい一時を過ごすことができました。感謝!
さて14日月曜、ついに沖縄最後の日です。レンタカーを1時に返すので、それまで午前中那覇市内の観光スポットを駆け巡ることにしました。まずは首里城公園です。


有名な守礼の門です。思いのほか、大きくなかったです。
「琉球は礼節を重んずる国である」という意味の「守礼之邦」と書かれた扁額を持つ守礼門は、当初は待賢門と呼ばれていました。これは賢人を待ち迎えるという意味からつけられたと考えられます。また、中山門が「下の鳥居」と呼ばれたのに対し「上の鳥居」とも呼ばれていました。現在、二千円札の図柄に採用されています。


世界遺産の園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。守礼門と首里城歓会門の中間にあります。 守礼門のわきにある石門と周辺一帯の森を『御嶽(うたき)』とよんでいます。国王が首里城から出かける時は、ここ園比屋武御嶽石門で道中の安全祈願が行われました。


歓会門。俗に「あまえ御門(うじょう)」と称さる首里城の正門で、“あまへ”は古語で「よろこび」を意味し、歓会はその漢訳になります。


瑞泉門。首里城内郭の門で、門の手前にある「龍樋」にちなんで「樋川御門」とも呼ばれています。1470年頃の創建といわれ、尚巴志によるものとする説もあります。第二尚氏の尚真王の時代に歓会門や久慶門ができるまでは、この瑞泉門が首里城の正門でした。


「龍樋」。瑞泉とはおいしい水のことをいいますが、それは、瑞泉門に登る石段の途中、向かって右側に位置している清泉に湧き出る水のことをさしています。この水は冊封使が訪れた際には、宿である那覇港の近くの天使館まで毎日運ばれたほどの銘水で、この泉に石彫りの龍形をした吐水口がとりつけられていることから、「龍樋」と名付けられています。この龍樋の奥には、大人が這って入れるほどの大きさのトンネルが水源まで約30メートルほども続いていることが、復元のための調査でわかりました。そのトンネルには掘った時のものと思われる鑿(ノミ)の後が生々しく残り、突き当たりからは今でもこんこんと清水が湧き出ているといいます。


瑞泉門への石段にて。後ろに見えるのは歓会門。


漏刻門。首里城第三の門で、俗に「かご居せ御門」とも呼ばれ、駕籠の使用を許された高官もここで下乗するのが慣わしでした。瑞泉門と同じく石造アーチを持たない木造櫓門で、城壁の上に木造平屋建・入母屋造・本瓦葺の櫓を載せています。
漏刻の名は、かつてここで時刻を測っていたことからついています。晴天の時は門の東方約20メートルの所に設置した日時計で、雨天の時は櫓の中に設置した水時計で時を測り、いよいよ時刻になると、役人が漏刻門で太鼓をたたくのを合図に、城庭、東アザナ、西アザナ及び右掖門でも同時に大鐘を打って時刻を報せていました。


広福門。漏刻門の東側に建ち、別名「中御門(ナガウジョウ)」と呼ばれていました。広福は「鎮まる」の名詞で、「鎮まる」には「長い」という意味もあることから、「中山は治世よく永しえ(とこしえ)に」との願いをこめてつけられたと考えられます。
木造平屋建・入母屋造・本瓦葺の首里城内郭第二の門で、建物廻りに開口部が多くとられ、上部には霜除けが設けられていました。役所としての機能があり、東側が士族以上の家の戸籍や財産をめぐる争い事を調停する「大与座(おおくみざ)」、西側は神社仏閣を管理する「寺社座(じしゃざ)」がありました。この門は明治の末、第一尋常小学校の建設のために取り壊されましたが、数枚の古い写真や発掘調査で出土した礎石を基に復元されました。現在は大与座側が券売所、寺社座側はトイレになっています。


下之御庭の中央にある首里森御嶽。首里城の別称ともなった「首里森グスク」はこの御嶽の名前に由来したものです。かつて首里城には「十嶽」といわれる十のいべ(御嶽の内部の最も神聖な場所)がありました。その中の10番目のいべ、「きやうの内の前の御庭首里のいべ」が、首里森御嶽です。


首里城の頂上にて。向うに見えるのは正殿。


同じく、正殿。


奉神門から有料区域のお庭、正殿を望む。奉神門は「神をうやまう」という意味で、正殿のある御庭に入る最後の門です


奉神門から。向うに見えるのは広福門。


こちらは首里城とは比較的距離も近いところにあり、同じく世界遺産の識名園。王家の人々の保養やまた外国からの来賓を接待するところとしても使われていたという歴史を持っています。識名園は中央に池を配した廻遊式庭園となっています。日本の廻遊式庭園と中国両方の庭園美を合わせた様な感じで、六角堂などの建物には中国の影響も見られるのが特徴となっています。
時間がおしてきたので、入場はしませんでした。


那覇空港をTack off中の機内から。


眼下には沖縄の地が。また来るよ!

今回はメインイベント以外でも、何人かの親切で暖かい沖縄の人の心にふれた旅になりました。ゆうなさんには残念ながら会えなかったし、またリゾートでのんびり過ごす旅も楽しそうなので、ぜひ沖縄再訪を果たしたいです。
 これで沖縄ぷらぷら散歩は完結です。(家老)


人気ブログランキングへ ←★応援のクリックをお願いしま~す!

P.S.
6/18に続いて、昨日19日もランクインしました。12/3から199日間で、190回ランクインしたことになります。142万ブログ中の4,051位で、通算235度目、訪問者数248名(累積66,860名)でした。ということで先週(6/13~19)は、(11/22~28)から(6/6~12)までに続いて30週連続で、33回目の週間ランク入りを果たしました。142万ブログ中の4,533位で、訪問者数は1,646名でした。みなさん、どうもありがとう。(目障りでしょうが、殿の記憶のためのメモです)